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エッセイ044:ボルジギン・フスレ 「高倉健と寅さん」

「日本人に対してどんなイメージを持っているか」と、日本に来てよく聞かれる。少年時代のわたしが持っていた日本人のイメージは『君よ憤怒の河を渉れ』『幸福の黄色いハンカチ』などの映画で知った高倉健だった。男としての剛直、堅忍不抜な姿は、親しく感じると同時に、尊敬の念が自然にわいてくる。のちに渥美清のシリーズ作『男はつらいよ』もふるさとで公開され、笑わせてもらっただけではなく、寅さんがもたらした、悲しさと同時に、ユーモアも豊かという日本人のイメージも持つようになった。大学に入って、第一外国語として、もちろん日本語を選択した。日本の歴史や文化と関連する科目も選択し、日本の小説もたくさん読んだ。現代日本社会の厳
しさも認識したが、高倉健像と寅さん像は変わらなかった。

 

1998年4月、わたしはやっと夢に見た日本に来ることができた。日本での生活の厳しさは覚悟していたので、これまでの留学生活はそれほど不便とは思わなかった。ただし、さまざまな日本人との出会いによって、高倉健像と寅さん像を持っていたわたしが幼稚であるということがよくわかった。日本の男は高倉健でもないし、寅さんでもない。

 

似たようなスーツ、似たようなネクタイをしめて、朝から夜まで働くサラリーマンたちは、職責を尽くすが、「本分」以外の仕事は他人事と見なし、助ける意識はほとんどない。そして、職場でも、職場以外の場所でも、毎日、決められた「用語」を繰り返す。街では、髪を黄色や緑、ピンク色に染めて、いろいろな髪型にしている男の姿もよく目にするが、彼らは髪の色と髪型以外、何の個性ももっていないし、他人のことに対して無関心という点では、ほかの日本人とあまり変わらない。さらに、テレビや新聞では、手術をして性転換したスターが結構注目される。一体男なのか? 女なのか? 分からないが、日本では大変人気があるそうだ。

 

日本の男たちはどうしたのだ? 健さんと寅さんはどこにいってしまったのか?

 

高倉健が演じた剛直は、人間の一種の美徳でもあるが、現実の日本社会では、自分の責任を人になすりつける人が少なくない。三年前、大学のスキー教室で経験したことはたいへん印象に残っている。留学生の日本理解、及び日本人学生と親睦を促進するという目的のスキー教室の最終日の懇親パーティーは、とてもにぎやかだった。三日間のスキー教室で、互いにあまり話しかけなかった留学生と日本人学生は、お酒を飲みながら、歌ったり、踊ったりした。各国の留学生たちは、相次いでコーチたちに感謝の言葉を言い、お酒をすすめた。同じテーブルに坐っていた日本人の男子学生Aさんは、女性のコーチと争ってカラオケを歌い、興奮のあまり、テーブルに登って、ビールやワイン、ウイスキーなどを豪飲し続けた。留学生たちは、もちろん、コーチにお酒をすすめると同時に、Aさんにもお酒をすすめた。みんな気も狂わんばかりに喜んだ。結局、コーチ二人とAさんらが酔っぱらって、戻したあげく、動かなくなり、会場で寝てしまった。

 

翌日の昼になって、スキー場を離れる際、Aさんはようやく酔いが覚めてきた。ホテルの前に全員集合した。「大丈夫ですか」と何人かの留学生がAさんに声をかけたら、彼は「全部あのモンゴルの女のせいだ。すごくすすめられて・・・・・・」と繰り返し言った。バスに乗ってからも何度も繰り返した。バスが大学に戻り、全員挨拶をし、それぞれ各自の家に帰るときなっても、Aさんはまだ「あのモンゴルの女……」と言い続けた。

 

日本人は控え目であるとよく言われているが、こうしたパーティーでは、決して控え目ではない。のみならず、自分を抑えることができず、酔っぱらいになったのに、それをほかの人のせいにするのは、男らしくない。そのモンゴルの女子留学生は、同じテーブルの人全員に対して、同じようにすすめたのであって、わざとAさんだけにお酒をすすめたわけではなかったのだ。わたしのふるさとでは、お客さんがパーティーでお酒を飲んで酔っぱらうのは普通であるが、誰もそれをほかの人にせいにしない。何か悪かったとしても、自分でやったことは自分で責任を負うのである。

 

同様な場面は、おととしの夏の北海道の旅にもあった。それはある財団が費用を負担し、各大学からの留学生10名と日本人学生2名を集め、北海道でおこなわれた国際フォーラムに派遣した時のことだ。会議が終わって、帰りのフェリーに乗るために港に向う途中、財団は、あるレストランで焼肉の食べ放題をご馳走してくれた。ほんとうかどうか分からないが、モンゴル人であるわたしの焼いた焼肉がおいしいと言われ、ほかのテーブルで食べていた人も、わたしのほうに集まって来た。結局、みんな腹いっぱい食べて、満足そうに車に乗って、再び港へ向かった。

 

しかし、車の中で、日本人の男子学生Kさんが急に「気持ちが悪い」「お腹が痛い」と言い出した。「どうしたんだ」と聞いたら、「全部フスレさんのせいだ。あんなにたくさん肉を食べさせたからだ」と、わたしのせいにした。そして、フェリーに乗っても彼はこの言葉を言い続けた。翌日、東京に帰りついた。そこで財団側が再び食事に招待してくれた。注文した際、Kさんは「肉はもういい。昨日、フスレさんがたくさん食べさせた。肉はもう思いだしたくない」と言った。やはり、わたしが悪いことになった。

 

これで終わったと思ったが、4ヵ月後、財団から送られてきた、北海道の旅の参加者が書いたエッセイ集を読んで、びっくりした。そこに掲載されたKさんの文章のなかには、次のように書かれている。「ある人の陰謀で、わたしはたくさんの焼肉を食べさせられ、お腹を壊した。(中略)わたしは2ヵ月間肉を食べないことにした」。また、わたしのせいだ。彼は自分の失敗の照れ隠しに、冗談めかしてそのように言ったのかもしれないが、わたしは悪者にされてとまどってしまった。

 

高倉健さんも、寅さんもよく北海道に行った。健さんが焼肉を食べるなら、黙々として、さっぱりしたものだろうと、ひそかに思う。寅さんの場合は? 独りで食べないだろう。おそらく誰かと一緒に食べながら、人生か、女性について語る。ちょっとうるさいかもしれない。仮に寅さんが動けないほど焼肉を食べたら、何を言うのだろう。それは楽しみだ。

 

このように、責任を人になすりつけることは、決して個別な現象ではない。昔はどうだったか分からないが、すくなくとも、最近の日本の政治家、実業家たちの言動を見ると、責任を人になすりつけることがよく見られる。耐震強度偽造問題や証券取引法違反など、多くの日本の政治家や実業家が関わっているが、関係者は皆自分に罪はないように詭弁を弄したり、責任を人になすりつけ、腕を振り上げて声高らかに相手を糾弾したりしてきた。昨日パートナーだったのに、今日は、敵になってしまうのは珍しくはない。内輪もめも、詭弁を弄すればするほど、醜くなる。公明正大さはまったくみられない。

 

高倉健さんの剛直の一方で、寅さんのユーモアにも魅了される。実際、彼らの魅力は、当時の活気に満ち満ちた社会を反映していたのであり、残念ながら、今の日本社会はそれを失ってしまったように思える。日本は、健さんの剛直さと寅さんのユーモアが共存していた、あの活気に満ち満ちた社会を取り戻してもらいたい。

 

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ボルジギン・フスレ(BORJIGIN Husel)
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「内モンゴル自治運動における内モンゴル人民革命青年同盟の役割(1945~48年)」など論文多数発表。