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エッセイ038:シルヴァーナ・デマイオ 「建築家から作家へ。それから文化的放浪主義者の皆さんへ」

「むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は、―くり返すようだが―自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
―人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代と言っていい。」

 

さて、ちょっと長い引用となってしまったが、この文書はだれが書いたかお分かりだろうか。

 

昨年の真夏のことである。ジャパン・レール・パスを買い、日本の空気を吸いに行った。ジャパン・レール・パスを持って行ったからこそ、日帰りで新幹線を使って大阪や岩手県まで行ってもお金がかからなかった。だからこそ、大阪まで足をのばして司馬遼太郎記念館を訪問することができた。

イタリアから日本への出発の数ヶ月前に報告を頼まれて、ナポリ中央大学建築学部の図書室に通ったが、安藤忠雄による設計で2001年にオープンされたその建物に圧倒された。それで、日本に行ったら安藤が最近設計した建築物をたくさん見てみたいと思っていたのだ。

 

1996年、6万冊の書籍を残し、司馬遼太郎が死去した。言うまでもないことだが、近代日本についても多数の書籍を書いた司馬遼太郎は、神保町の古本屋によく足を運んだという。「司馬遼太郎を見せるのではなく、感じる、考える場を目指したい」ということが、司馬遼太郎記念館のコンセプトだったと文芸春秋の2006年2月臨時増刊号『司馬遼太郎ふたたび 日本人を考える旅へ』に書いてある。建物はあくまでもその通りであった。

 

若いときに世界を放浪した安藤の建築は、自然との調和を求めているということで世界中に知られている。しかし、司馬遼太郎記念館は違う。自然との調和を遥かに超えている。安藤が設計した司馬遼太郎記念館は、自然を尊敬しつつ「文化」の形作りに成功した。11メートル、三層吹き抜けにできた大書架は訪問者を脅迫しない、威圧しない。逆に、その「文化」を吸収させたくなる気持ちに目覚めさせる。

 

ネーティヴ・スピカーではない私は、英語で言うvisitorに相当する言葉に戸惑った。どう考えても司馬遼太郎記念館へのvisitorは「見学者」ではない。司馬遼太郎記念館の入り口から入り、記念館そのものにたどり着くまでの順路は、司馬遼太郎の自宅の前を通る。窓から司馬の書斎がよく見え、ご自宅に「受け入れてくださる」と言う強い印象を受ける。したがって、「訪問者」という言葉の方が適合していると確信した。

 

毎日のように司馬が使っていた書斎にある机の前に椅子がある。その椅子の背に、ブランケットがかけてあり、そのブランケットは普段はトランクを留めるために使うベルトで留めてある。まるで、今、そこに、司馬が現れそうな雰囲気であった。

 

司馬遼太郎記念館の入り口のところに、「放浪主義者から、放浪主義者へ。それから、世界の文化的放浪主義者の皆さんへ」と書いてもいいのではないか。

 

カフェ・コーナーで味わった真夏のホット柚ジュース、それもまた一生忘れられない。

 

ちなみに、文頭にあった引用は、司馬の『二十一世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎記念館、2006、pp. 31-32)からである。

 

最後の最後になり大変恐縮ですが、早稲田大学の土屋淳二教授に、この場をお借りして感謝申し上げます。

 

司馬遼太郎記念館については、下記公式サイトをご覧ください。
http://www.shibazaidan.or.jp/index.html

 

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シルヴァーナ・デマイオ(Silvana De Maio)
ナポリ東洋大学卒、東京工業大学より修士号と博士号を取得。1999年から2002年までレッチェ大学外国語・外国文学部非常勤講師。2002年よりナポリ大学「オリエンターレ」(ナポリ東洋大学の新名)政治学部研究員。現在に至る。主な著作に、「1870年代のイタリアと日本の交流におけるフェ・ドスティアーニ伯爵の役割」(『岩倉使節団の再発見』米欧回覧の会編 思文閣出版 2003)。
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