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エッセイ030:ボルジギン・フスレ 「カシミヤとパシュミナ」

来日当初、故郷の内モンゴル製のカシミヤセーターを日本の友人に送った時、友人はとても喜んでくれた。柔軟で、保温性に富むカシミヤは、季節風が吹き、空気が湿っぽい島国の日本人の衣料に最適だと思っていたが、カシミヤを着る日本人はとても少ないことに気がついていた。冬になると、おしゃれな日本の女性が、化学繊維のセーターを着ているのをよく目にするが、寒そうで、とてもかわいそうだと思っていた。日本にはカシミヤヤギがほとんどいないので、市場にカシミヤ製品が少ないことも道理であるかもしれない。

 

その後、わたしは偶然ある営業企画・イベント会社でアルバイトをしていた。社長はモンゴルに興味を持っている人で、内モンゴル製のカシミヤ製品を日本に輸入し、普及させる企画を試みた。わたしはただちに故郷のいくつかのカシミヤ会社と連絡をとり、内モンゴルからカシミヤのセーター・キャミソール・ストール・マフラー・手袋などのサンプルを取りよせた。

 

社長がさっそく、内モンゴル製のカシミヤ製品販売の促進を目的とする「大モンゴルパシュミナ&カシミヤフェアー」の企画書をつくり、あるグループに所属する数十のスーパーやデパートに、自信満々でこの仕事を売り込もうとした。ところが、意外なことが続いて起きた。まず、カシミヤの知識について、バイト先の日本人とわたしの理解が多少異なっていた。この企画のタイトルは「大モンゴル パシュミナ&カシミヤ フェアー」であり、わたしはカシミヤを知っているが、パシュミナとは何であるかを知らなかった。

 

「“パシュミナ”って何ですか」と聞くと、社長の奥さんは「カシミヤは普通の羊の毛でつくったもので、パシュミナはカシミヤの中で最も良いものであり、ヤギのひげでつくったものです。ヤギのひげはもっとも柔軟で、保温性も良く、だから値段も高いですよ。」と教えてくれたが、わたしはとてもびっくりした。わたしが知っている限りでは、羊の毛はカシミヤにならず、カシミヤはカシミヤヤギからしか取れない物である。さらに理解できなかったのは、ヤギのひげも保温効果があるという説明であった。それに、ヤギのひげでセーターをつくるとしたら、1枚のセーターを何匹のヤギのひげでつくるのだろうか。

 

「そうじゃないですよ、パシュミナは動物ですよ、パシュミナはパシュミナという動物の毛でつくったものです」と、会社でバイトをしているおしゃれな女子大生が異なった意見を出した。
「動物?」わたしはさらに驚愕した。「ヤギですか?」と聞いてみた。
「ヤギじゃないよ、日本にはいないけど。」
高級カシミヤをつくれる、ヤギ以外の動物が存在していることを、日本に来てはじめて知り、非常に不思議だと思った。自分のカシミヤについての知識や日本語のレベルが、まだ日本人の知恵とユーモアを理解できるほどまでに至っていないかもしれないと思った。

 

いったい、パシュミナとは何であろうか。わたしは大学の図書館に行って、さまざまな資料を調べ、『国語辞典』から、『広辞苑』、『大辞林』、『日本語大辞典』……『日本大百科辞書』まで開いたが、パシュミナという言葉は出てこなかった。最後に、カシミヤを経営するある日本のカシミヤ商社のホームページで、やっとパシュミナについての情報を見つけた。

 

「カシミヤは、インドの北境カシミールを原産地とし、モンゴル、中国の奥地など、中央アジア高原地域で飼育されているカシミヤヤギの毛であり、カシミヤの繊維は極めて細く、美しい光沢を備えており、柔軟な独特の感触を持ち、軽くて保温性に優れているために、最高級の繊維と珍重されている」。

 

このカシミヤについての紹介は、わたしが見た日本のさまざまな辞書の説明と同じである。この次に、パシュミナという言葉が出てきた!「カシミヤの上にいく製品が欲しい人のために、“パシュミナ”と呼ばれる、超スゴ物が登場した。カシミヤヤギの胸の部分の柔らかい毛は、更に薄くて柔らかく、原糸が白くて発色も抜群である」。

 

なるほど、パシュミナとは、最高級のカシミヤのことであった。

 

カシミヤとパシュミナの関係について分かったが、カシミヤサンプルと企画書を持って、各スーパーをまわった社長が予想外の情報を持ち帰った。それらスーパーを統轄するグループはすでに内モンゴルの別のカシミヤ会社からカシミヤセーターを予約購入し、9月末に各所属スーパーで販売ことになっていた。うちの会社の企画は変えざるを得なくなった。

 

新しく考えられたイベント中心とした企画は、各店舗の採択をまだ得ておらず、内モンゴルとの交渉は暗礁に乗り上げた。交渉中、専門用語の翻訳や注文の条件、契約書、関税の問題などで、双方にさまざまな誤解が生じ、危うく企画を取り消す寸前にまで到った。幸い、この企画はかろうじて生き残った。

 

内モンゴルで出会った酸乳をヒントに「カルピス」を発売、更にカルピス会社をつくったカルピス創業者三島海雲氏の実績を社長に言った。カルピスの場合とはちがうが、日本人に合う内モンゴル製のカシミヤ製品を日本で広めることは可能であろう。

 

残暑の日々、社長は各スーパーやデパートで自分の企画をうりこみ、採択させようとしていた。内モンゴルとの交渉も進めていた。「なせばなる」と当初、わたしは言ったが、真剣に実行すると、さまざまな困難に遭うことは避けられなかった。例えば、例のパシュミナ製品は、内モンゴルの商社で、2種類に分けられていた。一種類は、本当の上級カシミヤでつくられたパシュミナ製品で、値段は舌をすすらせるほど高い。もう一種類は、手触り感は上級カシミヤのようだが、実際、「糸光毛」というウールの原材料を加工して、つくられた「パシュミナ」であり、値段もはるかに安い。これは日本のある商社の技術で「発明」したものであり、日本でもけっこう売られていたそうである。社長は、迷わず上級カシミヤを原材料としたパシュミナ製品と
普通のカシミヤマフラー、ストールを仕入れた。

 

10月末に入ると、最初の販売は成功したが、おもに普通のカシミヤマフラー、ストールなどが売れていた。しかし、うちが輸入した上級カシミヤでつくられたパシュミナ製品は、他社の「糸光毛」を原材料とした「パシュミナ」に負けて、ほとんど売れなかった。幸いなことは、うちのほかのカシミヤ製品がよく売れたため、内モンゴルからの注文を追加し、結果的には、会社は儲けた。

 

その後、博士課程に進学したわたしは、研究に専念するため、バイトをやめた。

 

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ボルジギン・フスレ(BORJIGIN Husel)
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「内モンゴル自治運動における内モンゴル人民革命青年同盟の役割(1945~48年)」など論文多数発表。
来日当初、故郷の内モンゴル製のカシミヤセーターを日本の友人に送った時、友人はとても喜んでくれた。柔軟で、保温性に富むカシミヤは、季節風が吹き、空気が湿っぽい島国の日本人の衣料に最適だと思っていたが、カシミヤを着る日本人はとても少ないことに気がついていた。冬になると、おしゃれな日本の女性が、化学繊維のセーターを着ているのをよく目にするが、寒そうで、とてもかわいそうだと思っていた。日本にはカシミヤヤギがほとんどいないので、市場にカシミヤ製品が少ないことも道理であるかもしれない。

 

その後、わたしは偶然ある営業企画・イベント会社でアルバイトをしていた。社長はモンゴルに興味を持っている人で、内モンゴル製のカシミヤ製品を日本に輸入し、普及させる企画を試みた。わたしはただちに故郷のいくつかのカシミヤ会社と連絡をとり、内モンゴルからカシミヤのセーター・キャミソール・ストール・マフラー・手袋などのサンプルを取りよせた。

 

社長がさっそく、内モンゴル製のカシミヤ製品販売の促進を目的とする「大モンゴルパシュミナ&カシミヤフェアー」の企画書をつくり、あるグループに所属する数十のスーパーやデパートに、自信満々でこの仕事を売り込もうとした。ところが、意外なことが続いて起きた。まず、カシミヤの知識について、バイト先の日本人とわたしの理解が多少異なっていた。この企画のタイトルは「大モンゴル パシュミナ&カシミヤ フェアー」であり、わたしはカシミヤを知っているが、パシュミナとは何であるかを知らなかった。

 

「“パシュミナ”って何ですか」と聞くと、社長の奥さんは「カシミヤは普通の羊の毛でつくったもので、パシュミナはカシミヤの中で最も良いものであり、ヤギのひげでつくったものです。ヤギのひげはもっとも柔軟で、保温性も良く、だから値段も高いですよ。」と教えてくれたが、わたしはとてもびっくりした。わたしが知っている限りでは、羊の毛はカシミヤにならず、カシミヤはカシミヤヤギからしか取れない物である。さらに理解できなかったのは、ヤギのひげも保温効果があるという説明であった。それに、ヤギのひげでセーターをつくるとしたら、1枚のセーターを何匹のヤギのひげでつくるのだろうか。

 

「そうじゃないですよ、パシュミナは動物ですよ、パシュミナはパシュミナという動物の毛でつくったものです」と、会社でバイトをしているおしゃれな女子大生が異なった意見を出した。
「動物?」わたしはさらに驚愕した。「ヤギですか?」と聞いてみた。
「ヤギじゃないよ、日本にはいないけど。」
高級カシミヤをつくれる、ヤギ以外の動物が存在していることを、日本に来てはじめて知り、非常に不思議だと思った。自分のカシミヤについての知識や日本語のレベルが、まだ日本人の知恵とユーモアを理解できるほどまでに至っていないかもしれないと思った。

 

いったい、パシュミナとは何であろうか。わたしは大学の図書館に行って、さまざまな資料を調べ、『国語辞典』から、『広辞苑』、『大辞林』、『日本語大辞典』……『日本大百科辞書』まで開いたが、パシュミナという言葉は出てこなかった。最後に、カシミヤを経営するある日本のカシミヤ商社のホームページで、やっとパシュミナについての情報を見つけた。

 

「カシミヤは、インドの北境カシミールを原産地とし、モンゴル、中国の奥地など、中央アジア高原地域で飼育されているカシミヤヤギの毛であり、カシミヤの繊維は極めて細く、美しい光沢を備えており、柔軟な独特の感触を持ち、軽くて保温性に優れているために、最高級の繊維と珍重されている」。

 

このカシミヤについての紹介は、わたしが見た日本のさまざまな辞書の説明と同じである。この次に、パシュミナという言葉が出てきた!「カシミヤの上にいく製品が欲しい人のために、“パシュミナ”と呼ばれる、超スゴ物が登場した。カシミヤヤギの胸の部分の柔らかい毛は、更に薄くて柔らかく、原糸が白くて発色も抜群である」。

 

なるほど、パシュミナとは、最高級のカシミヤのことであった。

 

カシミヤとパシュミナの関係について分かったが、カシミヤサンプルと企画書を持って、各スーパーをまわった社長が予想外の情報を持ち帰った。それらスーパーを統轄するグループはすでに内モンゴルの別のカシミヤ会社からカシミヤセーターを予約購入し、9月末に各所属スーパーで販売ことになっていた。うちの会社の企画は変えざるを得なくなった。

 

新しく考えられたイベント中心とした企画は、各店舗の採択をまだ得ておらず、内モンゴルとの交渉は暗礁に乗り上げた。交渉中、専門用語の翻訳や注文の条件、契約書、関税の問題などで、双方にさまざまな誤解が生じ、危うく企画を取り消す寸前にまで到った。幸い、この企画はかろうじて生き残った。

 

内モンゴルで出会った酸乳をヒントに「カルピス」を発売、更にカルピス会社をつくったカルピス創業者三島海雲氏の実績を社長に言った。カルピスの場合とはちがうが、日本人に合う内モンゴル製のカシミヤ製品を日本で広めることは可能であろう。

 

残暑の日々、社長は各スーパーやデパートで自分の企画をうりこみ、採択させようとしていた。内モンゴルとの交渉も進めていた。「なせばなる」と当初、わたしは言ったが、真剣に実行すると、さまざまな困難に遭うことは避けられなかった。例えば、例のパシュミナ製品は、内モンゴルの商社で、2種類に分けられていた。一種類は、本当の上級カシミヤでつくられたパシュミナ製品で、値段は舌をすすらせるほど高い。もう一種類は、手触り感は上級カシミヤのようだが、実際、「糸光毛」というウールの原材料を加工して、つくられた「パシュミナ」であり、値段もはるかに安い。これは日本のある商社の技術で「発明」したものであり、日本でもけっこう売られていたそうである。社長は、迷わず上級カシミヤを原材料としたパシュミナ製品と
普通のカシミヤマフラー、ストールを仕入れた。

 

10月末に入ると、最初の販売は成功したが、おもに普通のカシミヤマフラー、ストールなどが売れていた。しかし、うちが輸入した上級カシミヤでつくられたパシュミナ製品は、他社の「糸光毛」を原材料とした「パシュミナ」に負けて、ほとんど売れなかった。幸いなことは、うちのほかのカシミヤ製品がよく売れたため、内モンゴルからの注文を追加し、結果的には、会社は儲けた。

 

その後、博士課程に進学したわたしは、研究に専念するため、バイトをやめた。

 

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ボルジギン・フスレ(BORJIGIN Husel)
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「内モンゴル自治運動における内モンゴル人民革命青年同盟の役割(1945~48年)」など論文多数発表。
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