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エッセイ828:グエン・ヤ・トーアイ・ユー「靴の中の砂の感触」
ある日、宅急便の配達員に荷物を玄関先に置くよう頼むと、「風が強くなりそうなので、早めに取ってください」と告げられた。修士論文を提出した日には、元指導教官から「今日はとりわけ天気が悪く、雪が降るようですので、自転車ではなく電車で来なさい」と言葉をいただいた。一日のうちでも天気が変化しやすい日本で暮らしていると、少し先の未来を予測する発言をしばしば耳にする。
予測が常に現実となるとは限らない。それでも私たちは常に複数の選択肢の前に置かれ、「もしこちらを選んだらどうなるのか」と未来を想像し続ける。まだ到来していない未来を少しでも望ましい方向へ導こうとするのだ。意思決定において最も頼りにするのは、結局のところ過去の経験。同じような状況で以前どうなったのか、記憶を手がかりにしながら判断しようとする。しかし、どうしても予測不可能な領域が残る。だからこそ、「やってみなければ分からない」という言葉が繰り返し語られるのだろう。
試行錯誤を繰り返しながら進んでいくのは、個人の人生だけではない。社会や歴史もまた、無数の予測や選択、対立や修正を通して変化してきた。歴史や社会の変化を、しばしば「螺旋」のようなものとして捉える考え方がある。上から見れば同じ場所を回っているように見えるが、横から見れば少しずつ上昇している。どの時代にも、既存の価値観や長く正しいと信じられてきたものに疑問を抱き、逆らおうとする少数派が存在する。その試みが正しいこともあれば、誤っていることもある。しかし、問い直しが積み重なることで、歴史は同じ地点へ戻ることなく、少しずつ別の方向へ進んでいく。
既存の知へ挑戦し続ける営みは、研究者の活動そのものといえる。博士後期課程において、私は「確信」と「懐疑」のあいだを往還する経験を何度も繰り返した。文献を読み、データを分析し、考察を積み重ねる過程では、ある瞬間には真理の一端に触れたように感じることがある。しかし直後に、単なる思い込みではないかという疑念にも向き合わなければならなかった。
研究にはしばしば孤独やストレスが伴ったが、探究そのものには心を鎮める効果もあった。関心のあるテーマに没頭できることは一種の贅沢でもある。周囲と異なる時間の流れの中で、自身の思考や価値観を見つめ直す契機にもなった。研究では結論を急ぐのではなく、可能な限り多くの仮説を立て、検討する姿勢が身についた。しかしそれは優柔不断さとも表裏一体だ。高校時代の作文経験を思い出す。書き始めても、なかなか最後まで書き終えられない。この文を書けば、次にはこういう展開になるだろうと考えすぎた結果、次の一文を決められなくなっていたのだ。制限のない自由は、ときに書き手にとって耐え難い余白となる。
選択にある程度の制限を設けたら、選びやすくなるのだろうか。その制限はどこまで許容されるべきなのだろうか。こうした問いを投げかけているのが、私の好きな日本人作家・安部公房の『砂の女』だ。自由と拘束の境界線の曖昧さが鮮烈に描き出されている。主人公の仁木順平は、昆虫採集という目的で砂丘を訪れたが、ふとした油断から大きな蟻地獄のような穴に閉じ込まれた。最初はあらゆる手段で脱出しようとするが報われず、やがて砂の穴の中での生活に適応せざるを得なくなる。その状況は自ら選んだものではなかったが、そこで暮らすうちに、自由に対する感覚そのものが次第に変化していく。
選択肢が多いことと少ないことのどちらがよいのかは、簡単には言えない。現実には、完全な自由も、完全な拘束も存在しない。あるのは、そのあいだで揺れ動きながら、それでも選び続けていくということ。ただ、選択を終えた後にも、「ほかの可能性があったのではないか」という感覚が残り続けることがある。歩いている靴の中に紛れ込んだ、ほんのわずかな砂の感触のようなものかもしれない。先へ進めなくなるほどではないが、足の裏でその存在を感じ取ってしまう。どの方向にも砂はある。重要なのは、自分なりに引き受けていくことなのだ。
<グエン・ヤ・トーアイ・ユー NGUYEN Gia Thoai Du>
2025年度渥美財団奨学生。2019年ベトナム貿易大学(ホーチミン市分校)卒業。2022年東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士前期課程修了。2026年4月に同大学博士後期課程より博士号(学術)を取得。専門は第二言語習得と計量言語学。現在、グエン・タット・タイン大学外国語学部にて講師を務める。今取り組んでいる研究は主に1) 言語教育におけるAI活用、2) 縦断的データに基づく第二言語学習者の語彙発達過程である。
2026年9月10日配信




