SGRAかわらばん
エッセイ817:南基正「混沌という秩序、インドという思惟」
インディラ・ガンディー国際空港を出てデリー大学のゲストハウスへ向かう道のりは、インドを初めて実感する時間だった。その第一印象は、ひとつの言葉に集約された。「混沌」。
それは無秩序、すなわちアナーキーというよりも、カオスに近い世界だ。道路にはバスやトラック、馬車、オートバイ、自転車、人力車、そしてオートリキシャ(いわゆる「トゥクトゥク」)が入り混じって流れている。タクシーや乗用車はその間を縫うように進み、人々は前触れもなく道路に現れる。逆走する車両さえいた。すべてが混ざり合いながら動いており、一瞬たりとも緊張を解くことができなかった。
翌日、オートリキシャに乗ってみた。それは移動手段というより、遊園地のジェットコースター。急加速と急停止、そしてわずかな隙間を縫って進むスリリングな走行の中で、身体は自然とこわばり、降りた時には全身の力が抜けたような感覚に襲われた。
驚くべきことに、このような状況の中でも秩序が崩壊しているわけではない。人口を考慮すれば、インドの交通事故死亡率は世界で最も高いわけではない。この巨大な混沌が、ある種の均衡のもとで維持されているという事実の方が、はるかに印象的だった。私はひとつのひらめきを得た。混沌そのものが、ひとつの秩序ではないか。
速度も方向も規則も異なるものが衝突しているように見えながら、実際には共存を前提として機能している世界。異質なものが排除されることなく存在している状態、それこそがこの場所の秩序だ。私はそれを「混沌という秩序」と呼びたくなった。
不思議なことに、その混乱は時間とともに次第に心地よさへと変わっていった。今日、私たちが直面している「ルールに基づく国際秩序」の揺らぎの中で、私たちはあまりにも単一の秩序を前提として未来を思い描いてきたのではないだろうか。異なる秩序が重なり合い、共存する世界を理解するうえで、インドはひとつの重要な示唆を与えているように思われる。
インド訪問は、このような感覚的体験にとどまらず、私が近年提起してきた学問的問題意識を再考する契機ともなった。今回の会議で、私は「ポスト地域研究(post-area studies)」の必要性を提起した。過去十余年にわたりソウル大学日本研究所で進めてきた研究は、グローバル化の過程でいったん解体された「地域性」を再び捉え直す方法論として、地域を固定的な実体ではなく、再構成される関係の枠組みとして理解すべきであるという結論に至っている。
しかしインドにおける日本研究は、この問題意識をそのまま適用することの難しさを示していた。韓国と日本が共有してきた歴史的経験や構造は、インドにおける日本認識とは明らかに異なる文脈に位置づけられていた。植民地経験、戦後秩序、安全保障環境―それらが異なる形で組み合わされることで、「日本」という対象そのものが全く異なる意味の網の中に置かれていた。
私はその隔たりの中に重要な示唆を見いだした。地域研究とは、特定地域に関する蓄積された理解を前提としながらも、他地域と出会う場において絶えず再構成される営みであるという点だ。インドにおける日本研究を通じて明らかになったのは、単なる違いではなく、私たちの問題意識を相対化し拡張する契機だった。その隔たりを直視しつつ、見出される接点を結び直していくことで、より普遍的な視座に近づくことができるだろう。
振り返れば、デリーの道路で体験した「混沌という秩序」も、この思考と重なっている。異なる論理や規則が衝突しているように見えながら、一定の均衡と共存が成立している状態。学問的思索も、そのような多層的秩序の中で新たに形成されていくのではないだろうか。
渥美国際交流財団の奨学生として、私は常に感謝の念を抱いている。そして感謝に報いる機会を求めてきた。財団が企画するさまざまな活動に貢献しようと努めてきたが、そのたびに自分が新たな恩恵を受けていることに気づかされる。
今回もまた、その一例だった。ランジャナ教授とのご縁も、財団が結んでくれた。これまでアジア未来会議などを通じて教授の研究に触れ、インドと日本の深い交流の歴史を知ることができた。このことが、今回ぜひ参加したいと考えた大きな理由でもあった。
人と人をつなぎ、地域と地域を結び、新たな思考の可能性を開く場。財団はそのような出会いの場を創り出してきた。この場を借りて関係者の皆様、会議を丁寧に組織してくださったランジャナ教授に、心より御礼申し上げたい。
今回の旅で出会ったインドの人々について付け加えたい。見知らぬ訪問者に対しても惜しみなく差し伸べられる親切、どのような状況にあっても消えることのなかった穏やかな微笑み。その表情は今も折に触れて思い出される。その微笑みがよみがえるたびに、またインドを訪れたいという気持ちに静かに誘われる。
「蛇の足」。インドで触れた韓流の威力は、私のなかで「韓国とは何か」という問題に目覚めさせた。「韓国から見つめる日本研究」を課題にするとき、「韓国から見つめる」ということは何なのか。帰国便のなかで頭の中が混沌から昏睡に変わっていくのを感覚しつつ、帰ろうとする韓国とは一体何か、問うていた。
<南基正(ナム・キジョン)NAM Ki-jeong>
1964年生まれ。ソウル大学校日本研究所教授。ソウル大学校外交学科卒業後、東京大学総合文化研究科で博士号(国際関係論)を取得。東北大学法学部助教授および教授、国民大学(韓国)国際学部副教授を経て現職。現代日本学会、韓国政治外交史学会(いずれも韓国)などで会長を歴任。
東北アジア国際政治の文脈から日本の政治や日米同盟の展開を中心とした外交を分析している。さらに日本市民社会の平和運動にも関心を持つ。
2026年5月14日配信




