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エッセイ814:尹在彦「限界に直面した韓国の87年体制」

法律や政策が目まぐるしく変わることが多い韓国だが、意外にも約40年も続いているのが現在の憲法だ。1987年に民主化して以降、韓国憲法は一度も改正されたことがない。当時の軍事独裁政権(全斗煥政権)が民主化運動を押さえきることができず、1987年10月に大統領直接選挙を受け入れた結果が「改憲のための第6次国民投票」だ。投票率は78.2%、圧倒的多数の93.1%が賛成し、改憲が実現された。韓国で「87年体制」と呼ばれる民主主義体制が成立したのだ。

 

それまでも選挙は存在しており、議院内閣制が採用されたこともあった。それでも安定的に一つの政治体制が続き、自由な選挙(大統領・国会議員・自治体)が行われてきているのは初めてだ。政権交代も比較的頻繁に起きており、保守と進歩の二大政党制も定着している。政治的分断が深いとはいえ、政治的争点もわかりやすくはっきりしている。軍部の影響力も非常に弱くなったと受け止められていた。

 

そうした中で、民主化過程や政権交代後における「清算」(移行期正義、Transitional Justice)は主に捜査機関、とりわけ政権側の意向を汲んだ検察が主導してきた。過去の過誤を発見・公表することで軋轢を解決するという南アフリカ共和国のような「真実和解委員会」モデルも導入はされているが、清算の軸足は「捜査と処罰」に置かれてきた。これが前職の大統領や政府関係者が頻繁に逮捕される背景でもある。

 

メディア側の人間としてそのような捜査や裁判を取材していた筆者としても、政治や社会の変化のためにも避けられないプロセスと認識していた。ところが、近年ではその考えが 変わってきた。社会的副作用が便益を上回っており、捜査や裁判による清算は「期限切れ」ではないかと考えていた。「復讐の連続」は、社会的かつ政治的な分断をより深めるようになったからだ。

 

ただし、2024年12月3日に突如宣布された尹錫悦氏の「非常戒厳」はそのような「希望」をも台無しにしてしまった。朴槿恵政権への清算の急先鋒として検事総長(韓国では検察総長)を務めた尹氏(彼自身も朴政権期に左遷されている)は、以前の政権への捜査が評価され、2022年の大統領選挙で当選した。任期中には独りよがりな政策推進や、不正が疑われる側近をかばう姿勢が不評を買い、支持率は常に低迷していた。多数派の野党との協力よりも強硬策を乱発していた。そこで、大統領夫人への捜査や閣僚への弾劾訴追が相次ぐ中、軍隊と警察を国会に投入したのだ。

 

現在の韓国憲法第77条では、大統領が「戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において兵力により軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要があるときには法律の定めるところにより戒厳を宣布することができる」と定められている。その条文には「遅滞なく国会に通告しなければならない」「国会が在籍議員過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときには大統領はこれを解除しなければならない」とも権限を制限する規定もある。法律として「戒厳法」があり、そこでも同様に「国会(立法権)重視」が述べられている。少なくとも戒厳を口実に立法権を侵害してはならないということだ。

 

また、同第84条には「大統領は内乱又は外患の罪を犯した場合を除いては在職中刑事上の訴追を受けない」とあり、この条文に基づき尹氏への捜査が始まった。そして、現職大統領としては初めて逮捕された。大統領経験者が内乱罪に問われたのは3人目で、まさに軍人出身の全斗煥と盧泰愚(氏)が「歴史の清算」の過程で適用された法律だ。今回、またもや尹氏の非常戒厳により、捜査や裁判で政治的問題を「清算」しなければならなくなったのだ。悪循環の拡大再生産ともいえる事態が続いている(民主化の産物として誕生した憲法裁判所が尹氏に対し罷免決定を下したのは不幸中の幸いかもしれないが)。

 

2026年2月19日、ソウル中央裁判所で尹氏への一審判決が下された。無期懲役だった。そもそも 内乱罪には「死刑」か「無期懲役」しか選択肢がない。別の裁判部でも他の罪や被告人に対する審理で、概ね非常戒厳にかかわる問題が追及されている。韓国政府でも各省庁において清算や懲罰が続いており、社会や政治に残る傷跡は深い。

 

個人的には87年体制、とりわけ現在の大統領制はもはや「寿命」ではないかと考えている。より民主的で、牽制の効く新しい政治制度への議論が「民主主義後退に対する清算」以上に求められている。少なくとも一人に権力が集中する現状の制度では、その人間の「善意」に頼らざるを得ず、常に危ういのだ。

 

<尹在彦(ユン・ジェオン)YUN Jaeun>

東洋大学社会学部メディア・コミュニケーション学科准教授。延世大学(韓国)社会学科を卒業後、経済新聞社で記者として勤務(裁判所・警察なども担当)。2021年、一橋大学大学院法学研究科にて博士号(法学)を取得。同大学特任講師、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所非常勤講師などを経て2025年、現職。渥美国際交流財団2020年度奨学生。専門は国際関係論およびメディア・ジャーナリズム研究(政治社会学)。

 

 

 

2026年4月16日配信