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エッセイ806:黒滝香奈「用水研究との出会い―博士課程を振り返って―」
研究対象である十郷用水の取水口・鳴鹿大堰
私は近世日本の水資源、とりわけ灌漑用水の管理をめぐる領主権力と地域社会の関係について、越前国北部(現:福井県あわら市・坂井市)をフィールドに研究している。現代の日本においても、米不足に見舞われた2024年以降、米作りを行う地域が注目されるようになった。私はこれまで灌漑用水が潤す大規模な平野、すなわち米作りを主に行ってきた地域のフィールドワークや聞き取り調査に携わってきた。そこでは、「とにもかくにも重要なのは水と燃料」であることや、用水の暗渠化が行われた数十年前まで近世以来の水利慣行が残っていたことなど、興味深いお話を聞く。特に関心を抱いたのは、「用水は連続して流れているが、隣村は〇〇藩領で、自分の村は〇〇藩領」という意識が今も残っていることである。現代の感覚でいえば、行政区画は異なるけれども、隣村同士、生活に必要な用水を共有しているのだ。
現代では想像がつきにくいが、近世日本では、隣り合う村同士が異なる藩の支配下にあり、またその支配もしばしば変更された。修士課程までは、領主支配が入り混じる地域の行政区画における地域運営を研究していたが、行政区画だけを検討していては、元々関心のあった領主支配を越えた人々のつながりが見えてこないというジレンマを抱えていた。そこで、修論提出後に、米穀生産が盛んな地域においてとりわけ重要な用水に関する研究に取り組んでみようと決意した。
まずは、領主支配が錯綜した状況下で、行政区画を飛び越えて流れる用水を誰が管理していたのか、という点を明らかにしたいと考えた。史料を読み始めてみると、越前国北部の用水では、数人の百姓(世襲)が主導し、巨大な用水を管理していたことが判明した。さらに史料を読み進めると、彼らは異なる領主の意向をいかに調整し、複数の領主支配のもとにいる地域住民の利害をどのように調整していたのか、彼らは一枚岩で業務を遂行できていたのか、など次々に疑問が湧き、博士論文を執筆することができた。
ところで、近世史研究、とりわけ地域史や村落史では、近世の発達した文書行政により残された大量の古文書を扱う。研究対象を選ぶ際には、史料がたくさん残っている文書群(数千点)を選ぶのがより良いとされている。一方、私が主に検討対象とした文書群はわずか400~500点で、周辺に残されたものを加味しても1000点に達するかどうかというものであった。
150年間に及ぶ用水管理に関する日記があったり、残存する史料のかなりの割合が用水に関するものであったりと、用水を研究するには良質な史料群であった。点数もコンパクトで全体像が俯瞰しやすく、ある意味で「扱いやすい」史料群であったことも、博士課程から研究対象を変えた身にとっては、幸運であったと思う。修士課程までは、自分がどこに向かうべきなのかがわからず、当然研究も苦しいことが多かったが、博士課程から始めた用水の研究では、研究のすべての工程が俄に楽しくなった。
しかし、博士課程から着手した研究であったこともあり、研究助成の取得や投稿論文の審査通過などの「成果」は実りにくかった。そのため、このまま突き進んで良いのか自問自答を繰り返す日々だったが、用水研究の楽しさと指導教員の先生方による叱咤激励により、突き進むことができた。そのような時に、知り合いから渥美国際交流財団の話を聞いた。「国際交流」という私の研究とはかけ離れたテーマを掲げていることや、これまで研究助成にはほとんど通ってこなかったトラウマもあり迷ったものの、七転び八起きの精神でトライしてみたところ、幸いにも採択していただいた。
初めて財団の活動に参加した際には、普段は運営側も参加者側も約9割が日本人という学会ばかりに足を運んでいる身としては、様々な国籍に少しとまどいも覚えたが、「酒好き」は万国共通であることがわかり、すぐに打ち解けることができた。学問的にも、財団の活動に参加することで毎回新たな発見があり触発された。日本国内にしか向いていなかった研究の視線を外に開いていただいたことには非常に感謝している。そのような研究がいつ結実するのかは定かではないが、常にそのような視点を持ってこれからも邁進していきたい。
<黒滝香奈(くろたき・かな)KUROTAKI Kana>
神奈川県相模原市出身。2024年度渥美国際交流財団奨学生。専門は日本近世村落史、地域史、用水研究。2025年3月、一橋大学大学院社会学研究科修了、博士(社会学)。同年4月より一橋大学大学院社会学研究科特任講師(ジュニアフェロー)。
2026年2月5日配信




