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エッセイ799:マスニン、ムハッマド・ファリス・シノン・ビン「災害と私:マレーシアと日本の違い」

人生で初めて地震を経験した日のことを、今でもはっきりと覚えています。日本に来て間もない2016年11月末、夜中に激しい揺れで目が覚めました。寝ぼけていたため、何をすればいいのかわからず、揺れるベッドの上でじっとしていました。頭がうまく働かず、日本語の授業で習ったはずの「地震が起きた時にやるべきこと」を何一つ思い出せません。怖い気持ちもありましたが、それ以上に少し興奮している自分がいました。「地震ってこんな感じなんだ」と思いながら、新しい体験に胸が高鳴りました。外に出るべきか、部屋で待つべきか考えているうちに、揺れは収まりました。その後、すぐに眠ってしまいました。翌朝、マレーシアにいる家族や友人から、「大丈夫?」というメッセージがたくさん届きました。自分では大したことがなかったと思っていましたが、遠くにいる家族はとても心配だったようです。

 

日本に来てから8年以上が経ち、何度か地震を経験したことで、少しずつ慣れてきました。ありがたいことに、大きな地震にはまだ遭遇していません。これからも遭わないように祈っています。最近では、小さな揺れがあっても、以前のように驚くことは少なくなりました。「またか」と思うだけで、そのまま普通に過ごします。マレーシアは日本と違って、自然災害が少ない国だと言われています。よくある災害は洪水と地すべりですが、毎回同じような場所で発生するため、そこに住んでいない人にとっては、災害を実際に経験する機会はありません。多くのマレーシア人は、災害が起きた時にどう行動すればよいのか、よく分からないと思います。地震についても、私の知る限りでは過去に2回しか発生していません。1976年と2015年に、私の地元であるサバ州で起きました。

 

2015年に震度6の地震が発生したとき、私はクアラルンプールの大学にいました。当時、実家にいたのは高校生の妹だけです。妹は地震を経験したことがなく、戸惑って泣きながら職場にいた母に電話をかけたそうです。母も地震に詳しくなかったため、とりあえず家の外に出るように指示しました。幸い、家族全員が無事でした。後でニュースを見て、学校の建物が壊れたことや、登山中の人たちの何人か亡くなったことを知り、自然災害の怖さを改めて感じました。もしも自分の大切な家族がその場にいたらと思うと、本当に恐ろしいです。

 

マレーシア人の災害に対する考え方は、日本人と少し違うようです。マレーシアは多文化国家で、さまざまな民族が住んでいますが、ここで言う「マレーシア人」とは、主にマレー系やボルネオ島の先住民族のことです。彼らの多くは、自然災害を神からの罰や人生の試練の一つだと考えています。たとえば、2015年にサバ州のキナバル山で地震が起きる2~3週間前、山頂でふざけて裸で写真を撮った外国人観光客がいました。そのため先住民族の間では、「アキナバル(キナバル山の主)が怒ったのだ」と言われていました。日本にもこのような信仰を持つ人がいるかもしれませんが、それ自体がニュースになることはないと思います。一方、マレーシアでは、こうした話が当たり前のように報道されます。こうした文化の違いが、災害に対する捉え方にも表れているのかもしれません。

 

日本で8年以上暮らしてきて、災害が起きるたびに強く印象に残ったことが二つあります。一つ目は、政府の対応の素早さです。地震や台風、そしてコロナ禍でも、マレーシアと比べると、日本の救助や支援はとても迅速だと感じました。テレビのニュースでも、避難所の準備や支援物資の配布がすぐに行われている様子をよく見ました。「さすが日本だな」と思うことが何度もありました。二つ目は、災害に遭った人々の冷静さと前向きな姿勢です。どれだけ大きな被害を受けても、嘆き続けるのではなく、「これからどうすればよいか」を考えて行動する人が多いように感じます。支援物資を受け取る時も、列に並んで順番を待つ姿を見ると、日本人の規律正しさに感心します。こうした姿勢は、マレーシア人にもぜひ見習ってほしいと思います。そして私自身も、日本での経験を通して、災害に対する知識と心の準備を少しずつ身につけて、たくさんのマレーシア人と共有していきたいと思います。

 

<マスニン、ムハッマド・ファリス・シノン・ビン Mohd Farez Syinon bin MASNIN>
2024年度渥美奨学生。2016年マラヤ大学言語学部アジア・ヨーロッパ言語学科を卒業、2019年早稲田大学修士課程修了、2021年同大学博士課程入学、2025年4月から金沢星稜大学国際交流センターの特任講師を務めている。

 

 

2025年7月24日配信