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エッセイ786:楠田悠貴「ナポレオンの実像とは?――映画<ナポレオン>を観て」
2023年末、ナポレオンの生涯を描いた映画が公開された。メガホンを取ったのは、古代ローマの剣闘士を描いた<グラディエーター>など、数々の名作を持つリドリー・スコット監督である。フランス革命史を専攻する私は、渥美国際交流財団の忘年会でこの映画についての好意的な感想を聞き、早速期待を寄せながら映画を観た。率直な感想としては、壮観な光景に圧倒されながらも、いくつかの点でどうしても違和感が拭えなかった。ナポレオンはマリ=アントワネットの処刑に立ち会っていない、ギザのピラミッドに向けて大砲を放っていないなど、歴史家たちは史実に反する点を多々批判しているが、私が最も気になったのは主演ホアキン・フェニックスの年齢である。
ナポレオンは1769年に生まれ、35歳の若さで皇帝になり51歳で死んだが、フェニックスは映画公開時点で49歳だった。映画冒頭のマリ=アントワネットの処刑やトゥロンの戦い(1793年)のシーンでは、まったく若作りせずに演じていたが、当時ナポレオンは20代前半の青年だったはずで、とても奇妙に感じられた。また、ナポレオンより6歳年上の妻ジョゼフィーヌ役はフェニックスより14歳年下のヴァネッサ・カービーが演じ、ナポレオンの上官に相当する14歳年上のポール・バラスもフェニックスより7歳年下のタアール・ライムが演じている。中年の男性と若い妻、年下の上官と初老の部下のように見えて、どうしても違和感が拭えない。しかも当初、ジョゼフィーヌ役はもっと若い女優、1993年3月生まれの30歳のジョディ・カマーが演じる予定だったが、パンデミックの影響で撮影延期となり都合がつかなくなったという経緯があるそうだ。本来であれば、もっと年齢差を感じる配役となっていたかもしれない。
英『タイムズ』紙のインタビューを受けたスコットは、史実との整合性について次のように答えている。「ナポレオンが死んで10年が経ち、誰かが本を書く。そしてある者がその本を手に取り、新しい本を書く。こうして400年(*原文ママ)が経ち、[歴史書には]多くの想像が含まれている。歴史家たちと揉めるとき、私は次のように問う。『すみません、あなたはそこにいたのですか?ノーですって?おやおや、それなら黙っとけ』と」。もちろん、映画監督と歴史家の仕事は違うし、観客を魅了させるための創作・演出は許されて然るべきだが、スコットは歴史家の仕事を分かっていない。二次資料(研究文献)にのみ依拠した研究はアカデミックな歴史学研究とは認められない。私たちは常に一次資料(原典史料)にまで降り立って調べるのだ。ちなみに、ナポレオンとジョゼフィーヌとの年齢差についても、スコットは「重要ではない」と一蹴しているが、せめて若作りさせてほしかった。
だが、スコットの「言い訳」はある意味で正しい。あまりに多くのことが語られたために、ナポレオンのイメージは想像に満ちている。ナポレオンに関する言説の信憑性を考察したリチャード・ホエートリーは、「語られたことすべてを信じようとすれば、一人ではなく、二、三人のボナパルトが存在したと考えなくてはならない。もし十分に裏づけのとれたものだけを認めるならば、一人も存在しないのではないかと疑わざるを得ないだろう」と述べている。唯一キャスティングの点でスコットを擁護できるとすれば、フェニックスの顔は、いくつかのナポレオンの肖像にどことなく似ている気がする。
だが、絵画も政治的意図を持って脚色されたものばかりで、あまり信用すべきではない。おそらく、多くの日本人が思い浮かべるナポレオンのイメージは、画家ダヴィドが描いたアルプスの山を白馬で颯爽とかけ登る姿だろうが、実際には、半世紀後にポール・ドラロシュが描いたようにラバで苦労したとされる。ダヴィドの弟子にあたるグロやジェラールら新古典主義の画家たちも、戦争を指揮する勇姿や現人神のごとく着飾った皇帝の姿を描いているが、等身大のナポレオンを描いたとは考え難い。ナポレオン自身が印象操作に心血を注いでいたからである。
私はナポレオン没後200周年であった2021年に、ナポレオンの人生と遺産を振り返りつつ、人々がナポレオンを映画、小説などで取り上げてやまないことこそ、彼が遺した最大の遺産だという趣旨のエッセイを執筆したことがある(『人文会ニュース』第137号)。シャトブリアンは、「ナポレオンは、生きているときには、世界を獲得し損ねた。死んでから世界を手にした」と述べたが、ナポレオンの最大の功績は、数々の戦勝でも民法典でもなく、彼の人生が映画などで取り上げられ、人々を惹きつけてやまない点にあるのではないだろうか。
<楠田悠貴(くすだ・ゆうき)KUSUDA Yuki>
大阪公立大学都市文化研究センター研究員、および立正大学・岡山大学非常勤講師。2015年に東京大学大学院博士課程に進学した後、フランス社会科学高等研究院修士課程、パリ第一大学(パンテオン=ソルボンヌ)大学院博士課程に留学し、現在博士論文を執筆中。専門はフランス革命期・ナポレオン統治期の政治史、政治文化史。主な論文に「ルイ16世裁判再考」(山﨑耕一・松浦義弘編『東アジアから見たフランス革命』風間書房、2021年所収)、単訳書にマイク・ラポート『ナポレオン戦争』(白水社、2020年)がある。
2025年3月27日配信