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エッセイ678:ボルジギン・フスレ「東京五輪:世界に何を残すか」

世界が注目するなか、新型コロナウイルス流行により1年延期となった第32回オリンピック競技大会(東京2020、以下「東京五輪」と略す)が2021年7月23日に東京で開幕し、17日間の熾烈で、輝かしい、感動的競技をへて8月8日に幕をおろした。

 

東京五輪の意義などについては、橋本聖子東京五輪・パラリンピック組織委員会会長とトーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長の開会及び閉会のスピーチで述べられているので繰り返さない。一方、開会にいたるまで、そして、開催中、さらに閉会後、今日までも今回の五輪に対する批判の声が止まらない。「涙」「復興」「躍動」「努力」「挑戦」「感動」「最高」「偉業」「魅力」「希望」「感謝」「重圧」「逆境」「簡素」「地味」「困難」「過酷」「異例」「不安」「混乱」「励まし」「暑すぎ」「無観客」「手抜き」「嘘つき」「利己的」「難民選手」「前代未聞」「お金目当て」…など、賛成と反対の声が入り混じっていることが物語るように、東京五輪はさまざまな課題を抱え、葛藤とチャレンジに満ちた大会となった。

 

海外の報道をみると、東京五輪の背景・開催状況・日本国内の批判の声を紹介するものもあるが、称賛も非常に多い。しかし、不思議なことに日本のマスコミが海外報道を紹介する時、なぜか懸命に「マイナス評価」のみを探し出し、それを大いに紹介し、あらゆる手段をつかって東京五輪を批判する傾向がある。日本はどうしてこれほど自虐的に自己否定になったのだろうか。

 

五輪開催中の8月6日の午後4時すぎ、私はオリンピックスタジアム(国立競技場)を訪れた。風が穏やかで日ざしが明るく、うららかな日であった。偶然にもこの日は広島平和記念日(原爆の日)でもあった。スタジアム周辺には、たくさんの警察がいて、パトカーもあちこちで走っていた。その中には広島県警のパトカーや警察官の姿も見えた。オリンピックという祭典の雰囲気はあまりなく、何か「事件」が起きたような感じだった。

 

日本オリンピックミュージアムの前に設置されている五輪モニュメントを見学しようと思ったが、スタジアムとミュージアムの間の道路が閉鎖されていた。「出入口」となるところには多くの警察官が立ち並んで「本日16:00より、この先の入場はできません」という看板があった。なぜ入場できないかと警察官に確認したら、「デモがあるので」という答えだった。結局、五輪モニュメントは見学できなかった。なんのデモだろうと、私はスタジアム周辺を回って見たが、デモの様子はなかなか見えなかった。

 

午後6時になって、「やっと」デモが始まった。僅か十数人いるかという規模だ。一つの髑髏(どくろ)のような「人形」を高く掲げ、鍋と椀のようなものを打ち鳴らし、叫び始めた。スピーカーが数台あったので、その叫び声が響きわたる。何に抗議しているかと聞いてみた。東京五輪に対する「批判」であった。いや、批判というより日本政府、東京五輪実行委員会、IOC、参加選手、メダリストを罵り散らしている。ネットでも東京五輪を罵倒する乱暴な書き込みが話題になっているが、その書き込みを見る限り、論理どころか教養も何も感じられない。何より参加選手やメダリストを誹謗、中傷、侮辱する行為は理解できないどころか許せない。

 

この「デモ」は確かに効果があった。十数人のために、数百人もの警察官や十数台のパトカーが動員された。複数の道路が閉鎖され、日本オリンピックミュージアムや五輪モニュメントの見学が中止になった。さらに、複数の国内外の新聞社、テレビ局がこの「抗議」を取材し、報道した。現場を訪れていない者が、マスコミの「デモ」に対する報道だけをみたら、まるで「日本全体」が東京五輪を反対しているように「見えて」しまう。また、かれらは1時間以上も密の状態をつくり、1時間以上も続く騒音がスタジアムとミュージアム周辺の街にこだました。

 

「より速く(Faster)、より高く(Higher)、より強く(Stronger)」というオリンピックのモットーに、東京五輪では「一緒に(Together)」が加わった。残念ながら、多くの人がこのモットーを忘れたのかもしれない。東京五輪の賛成者であれ、反対者であれ、無視する者であれ、このモットーのもとで対話や議論ができないのだろうか。

 

今回の東京五輪組織委員会は受難の委員会であり、東京五輪は受難のオリンピックであったように見える。日本政府と東京五輪組織委員会、IOCがやたらに罵られるに止まらず、選手、メダリストも罵声などを浴びせられた。メダリストとその家族たちは喜びを控えさせられている。

 

スタジアムの周辺には、多くのボランティアの姿が見られた。よく知られているように、今回の東京五輪には多くの医療従事者やボランティアが参加した。教え子の一人も参加した。このような教え子がいることを、私は誇りに思う。

 

日本のマスコミは、よく「今回の東京五輪は日本に何を残すか」と問う。しかし、オリンピズムが目指しているのは、人間の尊厳の尊重、人類の調和的な成長であり、オリンピックは世界の平和の祭典である。

 

東京五輪を正しく評価するには時間がかかるだろう。世界は新型コロナウイルス感染拡大という不測の事態に見舞われ、世界を席捲したこのパンデミックが終息していないという状況のなか、東京五輪の開催はチャレンジであった。そして、無事に開催して世界に大きく貢献した。数年後には、みんながその貢献を理解し、東京五輪は栄光に輝くだろう。

 

英語版はこちら

 

<ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、『モンゴル・ロシア・中国の新史料から読み解くハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2020年)、編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)、『ユーラシア草原を生きるモンゴル英雄叙事詩』(三元社、2019年)他。

 

 

2021年8月19日配信