SGRAかわらばん

エッセイ675:苗鳳科「研究生活を選んで、損はないことに気づいた瞬間」

「学問は 尻から抜ける ほたる哉」江戸の俳人、与謝蕪村の一句である。ちび坊や(8ヶ月)と暮らしていると、学業の時間は深夜になりがち。かれこれ半年以上寝不足が続いた近頃、この俳句をよく思い出す。あれほど懸命に覚えていた作家の数々、あれほど丹念に読んでいた論文の一本一本、いざ書こうとすると、みな尻から抜けたかと思うほど吹っ飛んでしまう。

 

孫康映雪、車胤聚蛍。人々は「蛍雪の功」を唱えるが、そんなことしたら風邪や近視にならん?と幼い頃首をかしげたけれど、今はその「功」まで疑ってしまった。学識を積み上げればあげるほど、下にあったものを忘れてゆく。まるで賽の河原だ。

 

それでも、やはり研究生活を選んでよかった、と思うところがあった。それを気づかせてくれたのは、我が家のちび坊やだった。

 

育児に一番苦労したのは何かと問うと、半分以上の親が「寝かしつけ」に一票を入れたというアンケートがある。そして、一回の寝かしつけは平均45分もかかるらしい。

 

こんな贅沢な時間、我が家は到底作れない。子供の世話を手伝う親戚が居ず、授業や博士論文で自分の面倒だけでも精一杯の状況下で、15分の抱っこ寝かしつけも、よくパンかじりながら論文読みながらやっていたくらいもったいなかった。産後すぐ、私はネントレ(赤ちゃんセルフねんねのトレーニング)の本を貪るように読み始めた。それでも、赤ちゃんのバッテリーの切れやすさにすぐ心が折れた(8ヶ月の今でも夜までねんね3回)。

 

大丈夫。ただの寝かしつけのために学業を怠けられるものか!そういう決心で、坊やの3ヶ月目から、お風呂→保湿→着替え→授乳→歯磨き→絵本読み→子守唄のねんねルーティンを日に日に地道に実践してきた。正しい生活リズムを作るために学校や買い物の途中でも月齢別の発育通り眠るべき時間帯で寝かしつけをしていた。3ヶ月の辛抱で、やっとおっぱい以外で寝たことのない坊やが、抱っこで寝るようになり、トントンで寝るようになり、最後は歌を聞くだけでスイスイ寝るようになってくれた。

 

君の睡眠に注いだ労力でママ論文2本も書けるよ!と内心こっそり凱歌を奏したその時の出来事だった。

 

日々ハイハイに興奮してきた坊やは、ベビーベッドにもつかまり立ちができるのに気づき、あまりの楽しさ?で寝なくなった。来る日も来る日も、彼はプロレス選手のようにベビーベッドの中を猪突猛進していた。あきれて大人のベッドに移すと、今度はガンガンはしゃいだ挙句私の頭の上に乗っかって寝るのだ(どこでそんな贅沢な寝方覚えたかよ)。

 

と同時に、彼はまた実に多種多彩な夜泣きを、毎晩連続で披露し始めた。自分のオナラにびっくりして起きた。父ちゃんのくしゃみに驚いて起きた。歯が生える痛みで起きた。公園で興奮した日は夢を見て起きた。それまでのセルフネントレの努力が一夜にして水の泡になり、私はすっかり狼狽した。

 

大丈夫。ただの寝かしつけのために学業を怠けられるものか!一週間以上重度の寝不足で白髪が前髪にまで出た。でもここは、ママの粘る根性を見せるところじゃないか。

 

気づけばネントレの本がまた8冊も棚に現れた。色鮮やかな付箋を挟み、細かいメモをコツコツ作り、新米ママは大学院試験準備並みの情熱を燃やした。夜泣きはまず60秒数えて待ち、温度湿度など生理的理由を辿る、段階を踏んだ寝かしつけをする、ブロッコリーやキャベツなどのアブラナ科野菜は夜中オナラするので夕飯には禁物…おまけにメラトニンやらプルオフメソッド(授乳なしの寝かしつけ)やら使わない日本語ばかり覚えさせられ、乳幼児睡眠コンサルタントの資格でも取りたいほど無駄な自信が付いてしまった。

 

親の努力と反対に、坊やのねんねは一向によくならず、そればかりか、トラウマでも覚えたかのようにベッドに下ろされた瞬間ヒステリックに泣くようになった。私はどんなに心苦しくても動じず、「ゆらゆら寝かしつけ」をしなかった。すべてのネントレ本には、ここの難関さえ乗り越えれば「自分でスイスイ寝付く天使ベビーになる」と励ましの言葉があふれていたからだ。

 

いつものように、ママ行かないで!と泣き叫んでいるように私にしがみ付くある日だった。その必死さを見て思わず背中がゾクっとした。ひたすらマニュアルを思い浮かべながら頑張っていた私の目に、坊やの目線が初めてのように焼き付いた。文学研究をしているのに「文学は樹林よりも目の前にある1本1本の木を見る」という加藤周一の言葉をなぜ忘れた。セルフねんねに成功した赤ちゃんがいくらいるにせよ、坊やはこの世に唯一無二の小木だ。

 

そもそも、今主流の「ネントレ」学説、どこの何者が、いつどれくらい信憑性のある学術誌に発表したものだ?研究するならこれまでの権威を全て疑うほどの決心がないといけないと教授が言っていた。幸い大学院生活を送っているので答えを探るノウハウくらいは知っている。

 

数ヶ月ぶりに我が子をのんびりゆらゆらし(ネントレ中大禁物らしいのに)、いかにも「ママ、これ最高だぜ!」という顔で寝てくれた坊やを下ろし、先行研究を調べ始めた。

 

「信息(情報)繭房」という中国語がある。人は皆自分の周りの情報で織られた繭に縛られて、世界もそれぞれ違うように見えるという。調査をして正にこれが本当のことだとわかった。添い寝は危ないと聞かされてきた我々の世代には、いわゆる早期からの独り寝が子供の自立性育成に良いということで欧米から伝わったネントレが推奨されるが、60年代の日本はなんと「親子川の字寝率」が91%だった(ちなみに今禁止のうつぶせ寝も90年代には推奨されていた)。では欧米は皆ベビーベッドでネントレしているのかと思ったら、本当は英国、イタリア、米国など数カ国に限られており、フランスなどはアジアと変わらないくらい、ネントレどころか添い寝もしているようだ。

 

でも自立心の育成効果は期待できるじゃない?さらに調べたら、なんと、ネントレ大国米国から、寝方は自立心の育成とは関係せず、乳幼児期に一緒に寝たほうが知能が上がるという最新研究が現れた。

 

坊や、君と涙ボロボロで奮闘した数ヶ月はなんだったのか。赤ん坊にかけた高すぎる期待で散々泣かせたことが馬鹿らしかった。それよりも悔しいのは、それら権威学説の幾度にもわたる更迭は、論文を書く現場の自分によくわかるはずだった。絶対の学説は常に存在しない。時間が経てば新世代の研究者が新しい「権威」を持って現れる。不本意にも我が子がその観察対象として消費されただけの気がした。

 

哺乳類の赤ちゃんには「輸送反応(親に運ばれると泣き止む反応)」があるらしい。我が子も抱っこされて安心するものならなぜしてはいけないか。夜泣きも、夜中も親がそばにいることの確認だと理解するならば、2億年近い哺乳類の歴史の中で、赤ちゃんが生きるために必要不可欠な能力だと分かる。

 

坊やはその後に、後追いが始まり、ますます粘着テープのように親にしがみ付くようになり、寝る時も私によだれを塗りたくっていた。

 

ネントレを続けていたら、彼は今寝かしつけがいらない子になっていたかもしれない。しかし私は、続けなかったことに心が救われた。もう抱きしめるのを我慢しない。我が子が我を必要としている時は躊躇なく応えたい。研究はいつも新旧学説の戦争であり、育児にも正解はないのかもしれない。

 

以上が、とある新米ママの、研究生活を選んで損はないことに気づいた話だ。研究は中身を忘れるけれど、思考力が残っているだけでも良かった。錯綜する育児論の中でこれからも迷うだろうが、母親に全身全霊で頼っている坊やを抱え、小さい頃ベッド一つに家族4人缶詰で寝ていた楽しさを思い出しながら、今はただこの瞬間を楽しみたい。

 

<苗鳳科(みょう・ほうか)MIAO_Fengke>
2020年度渥美奨学生、中央大学文学研究科博士後期国文学専攻。研究テーマは「改革開放後の80年代中国における日本近現代小説の受容」。共著に「『女のいない男たち』ほか」(『村上春樹と二十一世紀』千田洋幸、宇佐美毅2016)、小説翻訳に「呼蘭河伝」(原作者蕭紅、『はなうた』2018年7月号より連載中)、論文に「80年代の中国における私小説の受容―田山花袋『蒲団』への読解から」(『JunCture超域的日本文化研究』2021)、「80年代の中国における日本社会派推理の受容について―『砂の器』と『人間の証明』から見えるもの」(『日本文学』2020)、「中国における日本近現代小説の受容研究:1979?1992年」(『大学院研究年報』2020)など。文学と言葉に興味がある。教員免許(日本語専攻、中国にて取得)や国際漢語教師資格を持ち、教師の経験あり。2017年度東京白門ライオンズ学術奨励賞受賞。

 

 

2021年7月8日配信