SGRAかわらばん

エッセイ620:大川真「民主主義とポピュリズムの狭間に―第4回「国史たちの対話」円卓会議を終えて―」

「僕は永久革命というものは、けっして社会主義とか資本主義とか体制の内容について言われるべきものじゃないと思います。もし主義について永久革命というものがあるとすれば、民主主義だけが永久革命の名に値する。なぜかというと、民主主義、つまり人民の支配ということは、これは永遠のパラドックスなんです。ルソーの言いぐさじゃないけれど、どんな時代になっても「支配」は少数の多数にたいする関係であって、「人民の支配」ということは、それ自体が逆説的なものだ。だからこそそれはプロセスとして、運動としてだけ存在する。ギリシャの昔からあったし、資本主義になっても社会主義になっても、要求としての民主主義がなくなることはない。自発的選択によるか、「客観的」善を上から押しつけるかは不断に登場するディレンマです。」(丸山眞男インタビュー「丸山真男氏の思想と行動-5・19と知識人の「軌跡」-」(『週刊読書人』1960(昭和35)年9月19日号)

 

2020年1月9日、10日の両日にわたり、フィリピン・アラバン市ベルビューホテルで開催された第4回「国史たちの対話」円卓会議「『東アジア』の誕生-19世紀における国際秩序の転換-」に参加させて頂いた。フィリピンへの訪問、また「国史たちの対話」の参加自体が初めてであったが、その後の噴火による思わぬ滞在を含めて、たいへん印象深く意義深い国際シンポジウムであった。渥美国際交流財団の今西淳子常務理事をはじめ、関係各位のご厚情に心から感謝申し上げたい。

 

2日間にわたる個別発表、全体討論のすべてをトレースするのは紙数が許すところでは無い(※SGRAかわらばん806号において金キョンテ先生によるレポートが掲載されているので、概要を知りたい方はそちらも合わせてお読み頂きたい)。個人的には、1月12日にタール火山が噴火した後の、予期せぬ数日の滞在が今でも鮮明に心に残り、一緒に行動を共にしたメンバーの皆さんとの思い出を書くのも楽しいかと思ったが、会議中での三谷博先生と明石康先生からのご発言がその後も大きな宿題として重くのしかかっているので、そのことについて紹介し、私見を少し述べさせて頂く。以下の両先生の発言趣旨については、あくまで大川がまとめたものである。当日の発言を正確に再現できていないことをまずお詫びしたい。さて、「三谷博先生の発言」とは初日の基調講演で述べられた以下のような趣旨の発言である。

 

「日中韓の三国はそれぞれ政治体制も異なる。たとえば日韓は民主主義国家であるが、中国は共産主義国家である。この三国が政治体制の違いを乗り越えて、どのように共存共栄していくのかは大きな課題である。」

 

三谷先生は御著『愛国・革命・民主』(筑摩書房、2013年)などにおいて、近代化と公論空間との関係を分析しておられるが、一連のご研究の中で、「公論」と「暴力」の親和性を指摘されたことは非常に重要である。「公論」の名を借りて、権力者は自己の政治主張を正当化し、異論を唱える者への徹底的な排除を産み出すことが往々にしてあるからである。「公論」がthe_consensus (of_opinion)という面に偏ることなく、かつ陰惨な暴力に頼ることなく、多様性を伴ったpublic_opinionへと昇華することが19世紀以降の東アジア世界において共通した最重要課題であることは間違い無い。翻って現在はどうか。課題解決のために前進しているのか。むしろ近年は逆行しているのでないだろうか。明石康先生は円卓会議の総括のご挨拶において、次のような趣旨のご発言をされていた。

 

「「民主主義」は手放しに歓迎できるものではない。民主主義は多数決による決定とともに少数者の尊重も原理として成り立つ。現在のポピュリズムの蔓延は、前者ばかりが尊重され、後者が軽視されていることに起因する。」

 

ポピュリズム政治家の発言には、〈「真正な」(authentic)人民、民族〉対〈排除すべき人民、民族〉いう友敵論的構成が見られることを、ドイツの気鋭の政治学者ヤン=ヴェルナー・ミュラーは指摘している(『ポピュリズムとは何か』、日本語訳は岩波書店、2017年)。こうした流れに対抗するためにも市民社会におけるポリアーキー的な要素の高まりが求められるが、希望的な観測を持つのは難しくなっている。ポリアーキー的な要素が高まれば、現行の政治秩序が脅かされる可能性も高い。一定の高さの生活水準が実現された現代の東アジア世界においては、権力者の政権維持への固執だけではなく、「自由」ではなく「安定」を求めがちである民衆の心性からしても、「公論」がポリアーキー的な要素を強めて、ポピュリズム政治に対抗していくのは難しくなっている状況である。

 

しかし19世紀の東アジアの歴史を見ると、もう少し明るい可能性もあったことを強調したい。専制的、独裁的な政府に対抗する新聞・雑誌が誕生し、public_opinionとしての「公論」の持つ力は、その国の指導者にとっては最大の脅威となった。また前代とは比べものにならないほど活発となった国境を越えた移動や交流は、レイシズムがいかに浅はかで愚かであることを白日の下にさらし、国際的な共同体構想を東アジア世界で初めて意識させるに至った。

 

日本思想史の研究者である私は、18世紀の偉大な先人の言葉を引用して締めくくりたい。

 

「されば見聞広く事実に行きわたり候を学問と申す事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。」(荻生徂徠『徂徠先生答問書』上)。

 

<大川真(おおかわ・まこと)OKAWA_Makoto>

1974年群馬県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学院文学研究科文化科学専攻日本思想史専攻分野博士後期修了。博士(文学)。東北大学大学院文学研究科助教、吉野作造記念館館長を経て現在、中央大学文学部人文社会学科哲学専攻・准教授。専門は日本思想史、文化史、精神史。日本政治思想史。

主な著作:『近世王権論と「正名」の転回史』(御茶ノ水書房、2012年)。主要論文「サムライの国に持ち運ばれた「アメリカ」―日本のデモクラシーを考える―」(『淡江日本論叢』32号、淡江大学日本語文学系、2015年)、「吉野作造の中国論―対華二十一ヶ条からワシントン会議まで―」(『吉野作造研究』第14号、2018年)など

 

 

2020年2月20日配信