SGRAかわらばん

エッセイ640:尹在彦「コロナ禍の中で考えるリスクコミュニケーション」

 

2010年11月23日、筆者はテレビを見て釘付けになった。朝鮮半島西海岸の離島、延坪(ヨンピョン)島に砲煙が上がる場面が映っていたからだ。当時、駆け出しの新聞記者だった筆者は事件・事故を担当していた。北朝鮮からの砲撃も取材の範疇に入り、会社より「チームを組んで島に行け」という指示が出された。

 

取材は仁川港から始まった。島から避難してくる島民が対象だった。記者にも役所にも正確な情報はなく手探りの無秩序状態だった。前例のない事態にあたふたしていた。約1200人の人口のうち、数十人だけが島に残った。3日後、入島制限が解かれ取材陣が入れるようになった。

 

最初、取材陣と村役場の職員たちは頻繁にもめていた。離島の役場が慣れていないメディア対応に当たっており、再び北朝鮮の砲撃があってもおかしくない状況だった。そうした中で、両者は妥協案を練っていった。ブリーフィングの定例化や集計(主に島民の移動や被害状況)の基準を定め、ピリピリした関係も徐々に安定化した。

 

現地からの情報に敏感になっていた韓国内外にも比較的冷静に情報を伝えることができた。政府の対応を追及する場面も多々あり、それが情報の客観化に寄与した。株価の暴落や買占めも起こらず北朝鮮の挑発も止まった。これは筆者のジャーナリストとしての原点になっている。当時、用語こそわからなかったものの、政府機関やメディアの「リスクコミュニケーション」がどれほど重要であるかを実感させられた。

 

長々と筆者の経験を述べたのは、コロナ禍では普段よりリスクコミュニケーション能力が試されると考えるためだ。未知のウイルスへの対応は個々人に任せる性質のものではない。政府や国民(居住者)、メディアが協力・批判し合いながら対処すべき事案だ。世界保健機関(WHO)はコミュニケーション戦略を重視し様々な資料を出している。2017年の『公衆衛生上の緊急事態での意思疎通のリスク』は参考となる。

 

WHOは次のように強調する。「正確な情報を早くかつ頻繁に、そして人々が理解・信頼・使用できる言語で発信すべき。それは公衆衛生の危機時に個々人が自らや家族を守る判断と行動の根拠となる」。当然のことと聞こえるかもしれないが、実践はそれほど容易ではない。

 

筆者は1月以降、日韓はもちろん、英語圏のニュースもコロナ関連のものは目を通すように努めている。武漢のある人が書いたとされる「封鎖中の生活原則」の中に「精神衛生のためにニュースは見ない」とあって笑ってしまったが、職業病のせいなのか、なかなかやめられない。

 

半年ほど経った現時点で結論を下せることがあるとするならば、それは日本政府や東京都の「リスクコミュニケーションの問題」である。当初から日本政府は国民に対し食い違ったメッセージを送った。2月末には突然の休校措置が取られる一方で、人々の移動を制限する動きは見られなかった。3月中旬には都内の公園に多くの花見客が訪れていた。3月末までコロナの脅威を感じるか否かは個人任せで、脅威を感じる人は移動を自粛したが、そうではなかった人は自由に行動した。密室状態の格闘技イベントに参加したのは数千人に上った。政府は危機か否かをはっきりせずに曖昧な姿勢を貫いた。表面的には感染者数は少なかったが、地域によっては集団感染も起きていた。

 

3月末に突然、東京から感染者数が急増し、状況は一変する。東京都からは「ロックダウンの可能性」が示唆されたが、政府は生温い反応を示した。数字が急激に増大すると4月7日に緊急事態宣言が出される。一貫性のないメッセージが発せられ、受け手は「何が正確な情報で身を守るためには何をどうすればよいかわからない」という状況が続いた。毎日、ニュースや情報をチェックしていた筆者も同じだった。「検査数」をめぐっては「抑制論者」と「拡大論者」の間で不毛な論争まで生じた。

 

長い緊急事態宣言が5月25日、解除された。感染者数も劇的に減った。しかし、国民の行動変容を促す対策はどれほど浸透しているか正直わからない。特にリスクコミュニケーションの観点から見ると改善点は見られない。7月には東京都を中心に急激に感染者が増え始めている。

 

ところが、東京都では未だになぜか発表時刻が毎日異なり、最初から正確な数字を出すわけでもなく「以上・程度」という表現を使い続ける。SNS上で疑問の声は多いが、マスコミは追及しない。しかも、現在の急激な感染者数の増大について、検査数が原因か、蔓延が原因か誰もはっきりせず、危機なのか否かについても3月と同様混乱が生じている。そのためか、最新の世論調査でも政府のコロナ対応に対し「評価しない」との反応が過半数だ。

 

韓国は2015年のMERS(コロナウイルスの一種)対応の失敗を教訓に、疾病管理本部(KCDC)のリスクコミュニケーション部門を最優先して強化した。MERS危機を述懐する元リスクコミュニケーション担当官の答弁を引用する(「毎日新聞」2020年4月14日)。現在の日本の現状とも重なるところがある。

 

「インターネット上では口コミ情報に基づいた感染者分布地図まで作られ、政府が不正確だと言っても信用してもらえなかった。国が「大丈夫だ」と呼びかけている時に、ソウル市長が「大丈夫じゃない」と発言する混乱も起きた。感染者を見つけて治療するという疫学的対応だけでなく、国民を不安にさせないことが大切だ」「正確な情報を早く伝え、公衆の信頼を確保することが(大事)。そのためには、徹底的に国民の目線で情報発信をしなければならない。子供から老人までが保護対象なのだから、誰でも理解できる情報発信が必要になる。」

 

コロナ危機を受け、疾病管理本部は政治家のメッセージのいかんに関わらず慎重姿勢を貫いている。4月に発せられた「コロナ以前の世界はもう二度と来ない」というメッセージは衝撃を与えた半面、注意を呼びかける役割も果たした。5月以降、集団感染も続発しているが、現時点では爆発的増加はなく、それなりに持ちこたえている(一日平均の国内感染者数は20~50人の推移)。

 

他方で日本政府が問題を認識し発足させた「対策分科会」には読売新聞の役員が加わった。しかし、SNS対応やメッセージ管理が上手くいくか、どれほど権限が与えられたのかには疑問が残る。実態を正確に認識させ行動変容を促すのがリスクコミュニケーションの出発点であることをもう一度強調したい。

 

<尹在彦(ユン・ジェオン)Jaeun_YUN>
2020年度渥美国際交流財団奨学生、一橋大学大学院博士後期課程。2010年、ソウルの延世大学社会学部を卒業後、毎日経済新聞(韓国)に入社。社会部(司法・事件・事故担当)、証券部(IT産業)記者を経て2015年、一橋大学公共政策大学院に入学(専門職修士)。専攻は日本の政治・外交政策・国際政治理論。共著「株式投資の仕方」(韓国語、2014年)。

 

 

2020年7月23日配信