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エッセイ636:林泉忠「香港の『国家安全法』から窺える台湾への啓示」

 

(原文「香港『國安』變局對台灣的啓示」は『明報』筆陣(2020年5月25日付)に掲載。平井新訳)

 

感染症がいまだ終息しておらず、香港の「『逃亡犯条例』改正論争」もまだ依然として終わりをみせないなか、北京が「全人代」開催を機に疾風迅雷のごとく「香港国家安全法」を提起したことで、香港情勢は急転直下、重大な局面を迎えている。中国政府の香港および台湾に対する政策は完全に同じとは言えないまでも、台湾に対して「一国二制度」を長年の統一戦略として掲げてきたのと同様に、中南海の対香港および対台湾の考え方と戦略は常に一定程度連動してきた。この度の「香港国家安全法」は、北京の中央政府と香港特別行政区との関係を徹底的に明確化させることになった。そして、その衝撃は間違いなく台湾にも波及し、両岸関係の未来を展望するにあたって、無視できない新たな変数となるだろう。

 

 

◯香港・マカオと台湾を区別しない中国の「国家安全保障観」

 

「香港国家安全法」が明らかにした重大な意義は、二つに大別できる。そしてこの二つの意義に共通しているのは、北京政府の国家統治に対する考え方からすれば、香港・マカオ地区と台湾地区との間に、どのようなバージョンの「一国二制度」が敷かれようとも、本質的な違いは存在しないということである。

 

まず、「香港国家安全法」の制定によってはっきりしたのは、国家主権と国家の安全保障に係る議題において、北京政府としてはいかなるあいまいさも交渉の余地も存在しないことである。そして「国家主権」と「国家の安全保障」の定義は、70年来改変されたことのない、「全体主義」から導かれる「権力至上主義」の考え方に基づいている。

 

確かに、欧米のような西洋国家を含む世界の大部分の国家には、どこでも国家安全保障に関連した法律が存在する。重要なのは、民主主義国家ではたとえ反与党・反政府ないし一部地域の独立を要求する言論および出版物が出現したり、さらには独立を要求する団体が設立されたとしても、政府を転覆させるための行動計画を立てない限り違法ではなく、言論、報道、出版、結社などの公民権を含む、憲法が保障する個人の自由を享受できる点である。

 

日本の沖縄を例に挙げれば、沖縄県では政府に抗議する大規模な集会が常に行われているだけでなく、独立を要求する団体・党派も存在している。そのメンバーの中にはかつて選挙に出馬した者もいるが、彼らの政治的主張を理由にして政府から立候補資格が香港のようにはく奪されたことはない。そして、米軍基地への反対を含む中央政府の政策に反対する出版物や、沖縄の独立・自立を主張する書籍でさえ書店に並んでいるばかりか、公立図書館にも所蔵されている。日本政府はこのような主張や活動に対して、国家安全保障に関連した法律を以ってこれを罪であるとすることはないのである。

 

しかし、1949年以降の中国で実施されたのは、共産党の一元的な指導によるレーニン主義政治体制である。そして、共産党が掌握した権力および社会に対する統治能力は、政治学的には「全体主義体制」と呼ばれ、台湾の「両蒋時代」における「権威主義体制」とは異なるものである。両者の最大の違いは、当時の国民党政権は市民の思想と行為を完全にコントロールするだけの能力を備えていなかっただけでなく、経済制度ないし社会制度に対する完全な管理能力も備えていなかったのに対して、1949年以降の新中国が実施した政治体制においては、これらの能力が備わっていたという点にある。

 

1980年代の初頭、中英両政府が将来の香港の主権移譲に向けた協議を開始したことで、香港社会はかつてパニックに陥った。悲観派は、「九七」(1997年の香港返還)以降の香港の「大陸化」は不可避であると考えた。一方で、楽観派は大陸の「香港化」の進む速度の方がより早まるだろうと考えた。こうした議論には、鄧小平が当時推進していた「改革開放」の開始直後だったという時代背景もあっただろう。1989年の「六四天安門事件」の後ではあっても、鄧小平はまだ中国が一人一票によって指導者を選出するまでにあと50年はかかると言及していた。こうした言及は、当時の中国の指導者が、将来的には普通選挙制度を含めた政治体制改革を起動するという可能性をまだ排除していなかったことを意味しており、楽観主義者の見立てにとって、ある程度はプラスの判断材料を提供していたと言えよう。

 

その後の30年にわたり、中国大陸は市場経済の深化および資本主義的な要素の浸透にともない、確実に「香港化」のプロセスをある程度経験した。しかし、中国大陸のガバナンスモデルは、当時の鄧小平が掲げたような、あるいは趙紫陽がかつて模索したような、もしくは多くの香港人が期待したような、「全体主義体制」から民主憲政への方向に向かうことがなかった。大陸側は、むしろ経済の飛躍や国力の増強にともなって、香港のガバナンスに関する議題においては、「大陸化」の進展を加速させることを要求している。

 

言い換えれば、北京の中央政府が香港に導入している「香港国家安全法」は、香港の「大陸化」の新たなマイルストーンを示しており、それが実質的に内包しているのは大陸が実施する「全体主義体制」の香港への拡張である。したがって、もし共産党統治下の大陸が台湾統一に成功したとすれば、北京の「国家主権観」と「国家安全保障観」に基づき、台湾においても必然的に「台湾国家安全法」の実施が推し進められるだろうと容易に理解できる。

 

 

◯台湾版「一国二制度」にも適用される北京による「全面的管轄権」

 

「香港国家安全法」が明らかにするもう一つの重大な意義は何か。それは、「一国二制度」において中央政府が「全面的管轄権」を擁する能力を確保しただけでなく、「全体主義体制」および「権力至上主義」の考えを放棄することはできないという前提のもとで、たとえ香港・マカオにおける、あるいは将来的に台湾での実施を想定しているいかなるタイプの「一国二制度」であっても、北京政府が適当な時期にこのメカニズムを起動させ、「中央の全面的管轄権」を達成しようとするのは確実かつ不可避だという点である。

 

「中央の全面的管轄権」という概念は、もともと香港の『基本法』には見られない文言である。この概念は、2014年に香港で普通選挙が議論されていた折、国務院が6月に発布した『「一国二制度」の香港特別行政区における実践』白書のなかで初めて出てきたものである。とは言え、実際には、基本法のたてつけのなかには、すでに「中央の全面的管轄権」を実施するためのメカニズムがあらかじめ備えられていた。基本法では、基本法の解釈権が「全国人民代表大会常務委員会に属する」(第8章第158条)ことが定められているほか、中央政府が「関係する全国レベルの法律を香港特別行政区において実施する命令を出すこと」も認められている。今般の「香港国家安全法」は、この基本法第18条の規定に基づいており、「全国レベルの法律」である『国家安全法』が基本法の付属文書3に付け加えられたものである。

 

要するに、北京政府が香港で実施している「一国二制度」は、制度設計上は独自の法律、貨幣、関税特権など香港がもともと有する制度的な特徴を保持しつつ、言論や報道の分野でも一定程度の自由空間を維持することが許されているものの、それと同時に北京の中央政府が最高権力を擁することも保障している。今回、北京政府は香港の立法会を経ずに「香港国家安全法」を直接制定した。ひとたびこの道が開かれれば、将来的には中央政府が必要だと考えさえすれば、この方法に則って大陸が香港に代わって法律を直接制定し、「中央の全面的管轄権」を全面的に実現することができるようになる。

 

習近平が2019年1月2日に台湾に対して重要な談話を発表した後、北京側の対台湾部門は「台湾版一国二制度」草案の準備を加速させている。枠組み自体が依然として定かではなく、特に統一後の台湾地区の地位をどのように規定するかについてはいまだ明らかにされていない。しかし、はっきりしているのは、たとえその内容が香港・マカオよりも「台湾人民の利益を十分に考慮したもの」であったとしても、香港における「教訓」を踏まえれば、「台湾版一国二制度」が台湾において「台湾国家安全法」を実施することのできるメカニズムを含めた「中央の全面的管轄権」をより明確に確保するものでしかあり得ないということは疑いようもなく確かである。これは台湾側にとって、北京政府の「台湾版一国二制度」を研究し、解釈していくうえで、必ず明確に認識しなければならない重要なポイントである。

 

「台湾版一国二制度」は、現在、いまだ北京政府の「希望的観測」の段階にあるものの、香港と国際社会を驚愕させた「香港国家安全法」の登場は、「一国二制度」の本質に対する台湾側の認識を、間違いなくより深めることになるだろう。本稿は、「香港国家安全法」に関して、台湾版「一国二制度」構想を含めた「一国二制度」の本質に対する示唆的な意味合いについてのみ論じた。紙幅の都合上、「香港国家安全法」が台湾民衆の心理に与える衝撃や、民進党および国民党の両岸政策を含む台湾の政局に対する影響の分析については、別稿に譲ることとする。

 

英語版はこちら

 

<林 泉忠(りん・せんちゅう)John_Chuan-Tiong_LIM>
国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港『明報』「筆陣」主筆を歴任。

 

 

2020年6月25日配信