SGRAかわらばん

エッセイ631:ナーヘド・アルメリ「コロナと人間的社会」

COVID-19、または新型コロナという名称で知られるようになったウイルス拡散の危機は、感染を予防し、拡大を防ぐために、私たちに隔離政策やソーシャルディスタンシングなどいくつかの社会的ルールを課した。その中で大きく影響を及ぼしたのは、物理的な接触で始まる社会的コミュニケーションの形態、例えば、承認やサポートなどの気持ちを表明するために、肩を撫でたり、握手・ハグ・キスをしたりするなどの伝統的な社会的コミュニケーションだ。

 

何世紀にもわたって築かれてきた国よって異なる挨拶の形態は、異なる習慣や伝統だけでなく、親密さをも示す。アラブ世界では、握手やキスは挨拶の最も重要な形態だ。特にアラブの中でも地域によって挨拶の仕方やその位置付けが異なるのがキスの場合だ。例えば、シリアと国境を接するアラビア語圏諸国とエジプトでは額・頬・肩・手の甲、アラビア半島ではそれらに加えて鼻先同士のタッチ、モロッコ地域では手の甲と手のひらのキスは様々な意味を持っている。アラブの中で国が異なっても、親戚の人が訪ねてきた時に軽くハグしながら頬にキスしないと無礼な態度として見られる。頬のキスは2回、または3回、3回以上キスする人も少なくない。

 

この文化的多様性を認識している地中海に加えて、大西洋の海岸に位置する国々の人々が交渉・協定・条約などの終結の時の挨拶の仕方の異なる習慣に対して混乱しても不思議ではないが、少なくとも誰もが握手し、握手によって挨拶することに賛同するだろう。同時に、誰もが異なる地域による文化的特異性を尊重する義務があることを理解している。異国へ初めて訪問する者は、誤解や恥ずかしいことを避けるために、事前に訪問先の習慣や伝統を調べていくことが多い。シリアにいた時に、最初はキスをすることを気持ち悪がっていった日本人が、シリアに滞在して半年くらい過ぎた頃には親しい人とキスするようになったことがあった。しかし、COVID-19は、公共の安全の優位性の下でそれらの文化を尊重することに対して全く無神経だ。コロナ感染拡大回避の下で問題とされるのは、もはや社会常識や個人の権利と義務ではなく、集団的責任だ。

 

無論、新しいことが常識になるまでには拒否に直面することもあるが、実際にそれが次の世代を生み出す社会的状態に変わり、やがて将来的に習慣と伝統と呼ばれることになる。社会における新しいことの意識的な確立は、相対的で科学的な価値に基づく。これらの価値は測定可能な・解釈可能な・社会的合意や支援を集めることに基づく。しかし、区別なく人間全員を対象とする目に見えない敵に関することになると、決定的な判断は影響力のある指導者や政治家ではなく、医療専門家によるものとなる。

 

アフターコロナの世界では、物理的に気持ちを表現したり、人や物とコミュニケーションを取ったりすることはもはや受け入れられなくなるかもしれない。私たち一人一人が、人や物との間に安全な距離を維持する必要も出てくるかもしれない。コロナが私たちにソーシャルディスタンスを強制した。しかし、ソーシャルディスタンスは個人や社会のレベルで人間のコミュニケーションの中断を意味するのではなく、むしろそれを強化したのではないだろうか。コロナは私たちに少なくとも、コミュニケーションの形態について再考させたと同時にその重要性をも再認識させてくれた。また、感染の予防と意識を広めるために他人を助けることへの関心を強化し、互いを思いやることの大切さを再認識させた。

 

コロナは、私たち人間全員に身のほどを知らしめた。また、私たち人間が、生存、健康、安全、そして豊かな暮らしを求めている社会的生き物に過ぎないということに気づかせた。私たちはアフターコロナの世界を構築するために、ソーシャルディスタンスを始め、食事と健康の見直しや、個人、政府、国家レベルでの支出の優先順位の再考に至るすべての教訓から学ばなければならない。

 

<ナーヘド・アルメリ Nahed ALMEREE>
渥美国際交流財団2019年度奨学生。シリア出身。ダマスカス大学日本語学科卒業。2011年9月日本に留学。2013年4月筑波大学人文社会科学研究科に入学。2020年3月博士号取得。博士論文「大正期の童謡研究――金子みすゞの位置づけ」は優秀博士論文賞を受賞し、現在出版準備中。新型コロナウイルスが収束次第帰国し、ダマスカス大学日本語学科で教鞭をとる予定。

 

 

2020年5月14日配信