SGRAかわらばん

エッセイ594:趙秀一「日本での留学と結婚から学んだこと」

(私の日本留学シリーズ#29)

 

人間とは他者の生者/死者との記憶や出会いが形象化されている小説や映画などの物語から様々な間接的な経験をし、その一方で、現実においても様々な個々人との出会いという直接的な経験をすることで、知識や知恵を得ている存在であると言える。この一文は表題をめぐる私個人の認識を一般化したものである。

 

私は2011年4月4日、東京大学へ留学するために、3・11東日本大震災後の混乱期にあった日本に着いた。留学の目的は、韓国の修士課程から取り組んでいた金石範(キム・ソクボム、1925~ )という在日朝鮮人作家の日本(語)文学を読解するための方法論を、夏目漱石の研究者であり、文体論や語り論の理論家である小森陽一先生から学ぶことであった。

 

しかし、自分が思うようには小森先生のご指導を消化することはできなかった。自分の力不足を切実に覚えたのだが、何より金石範が小説のことばとして用いている「日本語」が上手く読み取れなかったので、東京大学での研究生1年と修士課程2年間は挫折ばかりで、なかなか立ち直ることができなかった。何とか締め切りに間に合わせて修士論文を提出し、修士号を取得したが、韓国での修士論文も納得できるものではなかった上に、やり直した東京大学での修士論文も自分に憤りだけを残したものに留まってしまった。今振り返ってみれば、情けないことだが、自分に対して怒りがおさまらなかったので、博士課程への出願を諦めた。

 

そういうわけで、1年間学校から離れた生活をして2015年度から再び東京大学に戻り今に至っている。ただ、その1年間は決して無駄な時間ではなかった。それまで自分が行なって来た研究を冷静に見つめ直すことも、金石範の大長篇小説『火山島』(『文學界』に1976年から1995年までの15年間、2回の長期連載後、文藝春秋より全7巻で刊行された。1984年度大佛次郎賞、1997年度毎日芸術賞に選ばれた作品である)をじっくり読み直すこともできた。

 

ところで、その1年間の最も大きな変化であり、私個人の人生におけるターニングポイントとなったのは、結婚であった。修士論文を書いていた時期、日本の友人に呼ばれて顔を出した食事会で一人の女性と偶然知り合って以来、交際に発展し、結婚を考えるようになった。彼女は、しきりに自分を追い詰める私を癒してくれたのみならず、何でも難しく考え込む私に色々なソリューションをいとも簡単に提示してくれた。悩みや喜びを分かち合えるという感情のおかげだったのか、考え方が前向きに変り始めた。

 

彼女と結婚するために、両家の両親に挨拶に行った。私の実家はソウル、彼女の実家は愛媛県松山。お互いの両親に挨拶するためには飛行機で移動せねばならなかった。反対はされなかったが、近い国同士とはいえ、婚姻をめぐる礼儀作法や婚姻届の提出、それから戸籍変更など、細かいところで文化が異なるので、理解し合うのに苦労した思いがある。それでも一所懸命説明し納得してもらった上で、韓国の家族に松山に来てもらって両家が顔合わせをし、その後、松山の家族や親族をソウルに招待して式をあげた。何とかコミュニケーションするために通訳アプリをダウンロードし話し合う母と義母の姿が印象的であった。そして何より嬉しかったのは、私たち夫婦の婚姻のため、ソウルと松山の家族が自然と海外旅行をすることになり、一生残る記憶をみんなで共有できたことである。個人的には、瀬戸内海の島々や石鎚山などに囲まれている松山の自然に触れることができたのと、新しい家族との出会いによって人間として一回り成長できたと思う。もちろん、学問も重要だが、どのように生きていくかという自分の生き方を考え直すきっかけとなった。

 

また、振り返ってみれば、様々な出会いがあった。金石範文学の研究において触れなければならないのが、1948年4月3日、済州島で起こった4・3抗争である。その真実究明に向けた市民運動として1988年組織されたのが「済州島4・3事件を考える会・東京」であるが、私も4年前からその会に実行委員として参加し、毎年4月に開かれる集会の運営にかかわっている。その実行委員の半分以上が日本人である。彼ら/彼女らの大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に対する真摯な姿勢には大変感銘を受け続けているし、彼ら/彼女らの観点に寄り添って物事を観ることも意識するようになった。

 

最後になるが、渥美国際交流財団の2018年度奨学生に選ばれて1年間様々な行事などを通じて一人では味わうことのできない価値ある経験ができたことも、今後の研究に大切な糧になるに違いない。何より、選考面接や今西常務理事との個人面談での質疑応答の記憶も大事にしたい。自己満足のための研究ではなく、それを越えて、研究成果を幅広く分有できるように自分の研究を分かりやすく説明できるスキルを一層身につけていきたい。

 

<趙秀一(チョウ・スイル)Cho_Suil>

東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程在籍中。「済州島4・3事件を考える会・東京」実行委員。2008年、韓国ソウルの建国大学校師範大学日語教育科卒業。2011年来日。2016年度日本学術振興会特別研究員(DC2)。主要論文としては、「金石範「看守朴書房」論―歴史を現前させる物語」(『朝鮮学報』第244輯、朝鮮学会、2017年)や「金石範『火山島』論―重層する語りの相互作用を中心に」(『社会文学』第47号、日本社会文学会、2018年)などがある。

 

 

 

2019年5月9日配信