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エッセイ576:フーリエ・アキバリ「大切なものを与えてくれた日本」

私が3歳のとき、父の留学のため家族全員で日本に来ました。その時に、今でも忘れられない思い出があります。それは小学校3年生の時、初めてスカーフを被った日のことです。昨日までは、他の子供達と同じような恰好で学校に通っていましたが、9歳の誕生日を迎えた私は、イランの風習で大人の女性の仲間入りをしたのです。その日からは大人の女性として、様々な点を気にしなければなりませんでした。母のように外出するときは、髪の毛や肌を隠し、決まった時間にお祈りをするなど、生活には多くの決まりが加わります。

 

「9歳の私に、それも自分の国ではなく日本でそのようなことができるのだろうか?」と不安になりました。なぜなら、家族はこれまでも日本で生活をする上で、習慣や宗教の違いから様々な問題に直面していました。そのたびに父は周囲の日本人に相談をしては、助けられていました。きっと、親切な日本人の助けがなければ、その時点まで来られなかったでしょう。

 

自分の信念を大事にしていた父は、9歳の私にもその教えを守ってほしかったことと思います。しかし、どのようにすれば私が傷つけられずに、いじめられずにこの道を乗り越えられるのか。両親は悩み考えた結果、いつもお世話になっていた担任の先生にこの問題を相談しました。その結果、先生の考えで私のために特別に全校集会を開き、父母と弟を学校に招待してくれました。

 

最初に私の担任の先生ともう一人の先生が生徒全員の前に立ち、スカーフを被ったのです。「先生は今、スカーフを被っていますが、何も変わってませんよ、先生はこれまでと同じ先生です。明日からフーリエちゃんもスカーフを被って学校に来ますが、何も変わりません。同じフーリエちゃんですよ」と言ってくれたのです。そして、私を呼び、スカーフを被らせてくれて言いました。「明日からフーリエちゃんは、大人の仲間入りをしますが、これからもみんなのお友達です!何も変わりません!これからもフーリエちゃんとお友達でいてくれる人?」、すると全生徒がいっせいに手を挙げてくれたのです。

 

次の日からは、いじめられるどころか、すっかり学校の人気者になっていました。私に、「自分らしくいること」、「自分の考え方に自信をもって発言すること」を教えてくれ、勇気をくださったのが日本人のみなさんでした。今でもこの思い出は、私の一生の宝物です。今の自分が自分らしく堂々としていられるのは、あの日の先生方とみんなのお陰であったといっても過言ではありません。

 

日本での素敵な思い出を胸にその2年後、家族全員でイランに帰りました。その後も、日本に対する愛情はずっと変わりませんでした。そして「いつか自分の力でまた日本に留学する」と決心していた私は、29歳の時に博士課程習得のため文部科学省の奨学生として再来日することができました。あの時から20年・・それも、当時父の留学先の千葉大学に入学しました。

 

博士課程の2年生のある日、午後家に帰ろうとした私は大学の正門前で見覚えのある人を見かけたのです。少し近づいてみると、当時の小学校の校長先生でした!!!私は勇気を出し、校長先生に声をかけてみました!当然、20年後の私を知る由もない校長先生に当時の話をしたら、覚えていてくれたのです。その後、校長先生のおかげで、感動と勇気を与えてくれた担任の先生にも連絡が取れ、お会いすることができました。

 

もしあの時の、父の決断そして先生たちの判断がなければ、自分は違う経験をし、違う生活をしていたかもしれません。自信をもってきちんと自分の信念や想いを伝えることの大切さ、そしてそれを理解しようとする思いの重要さ、それがあれば平和や幸運をもたらせることを実感することができました。

 

今回の留学でも私は多くの素敵な日本人と留学生に出会い、大切なことを学びました。
それは、国境や言葉、宗教などとは関係なく、私たちは人間として互いにとても理解しあえるのだということ。そして余談ですが、日本が私に与えてくれたもうひとつの大切なものが、コスタリカ人の夫です。世界の反対側にここまで自分の考え方に近い人がいる、同じ価値観を持つ人がいるということを学びました。

 

私に大切なことを教え、大事なものを与えてくれた日本に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

<フーリエ・アキバリ Hourieh_Akbari>
渥美国際財団2017年度奨学生。イラン出身。テヘラン大学日本語教育学科修士課程卒業後、来日。2018年千葉大学人文社会科学研究科にて博士号取得。現在千葉大学人文公共学府特別研究員。研究分野は、社会言語学および日本語教育。研究対象は、日本在住のペルシア語母語話者の言語使用問題。

 

 

 

2018年7月26日配信