SGRAかわらばん

エッセイ514:グロリア・ユー・ヤン「トランプのアメリカ:鶏足を持ち込んだ華人」

12月1日、朝5時。眠れなかった。書かなきゃと思った。
「鶏足とトランプ」
どこから始めようか。「アジア人はアメリカに入国する場合、MSP(ミネアポリス・セントポール)空港を避けてください。人種差別を経験してみたいと云うなら別ですが」にしよう。

 

アメリカ入国審査は、決して愉快な経験ではないけど、ものすごく悪いわけでもない。審査官はコンピューター上に記録を引っ張り出し、それに目を通し、データにタイプし、旅行の目的など短い質問をする。もし審査官の機嫌が悪い時には、殆んど無言で待てば良い。普通は「米国へようこそ」で終わる。この10年間、一貫して学生ビザだったので、質問も段々減ってきた。10月にニューヨークに戻った時もそうだった。

 

今回のMSPは全く違った。乗客が少ないのに手続きが遅かった。白人の審査官が、ビザ免除の日本人にも大きな、かつ乱暴な口調と手振りで質問していた。彼らは、アメリカ人であろうと無かろうと白人は直ぐに通した。アジア人ばかりが残った。

 

この中年で禿げ始まった白人の審査官は、私が今まで受けた事の無い、意味不明な質問をした。私の答えを遮ったり、他の質問に飛んだり、又、同じ質問に戻ったりした。終わりが無く、脈絡も無く、かつ乱暴な口調での質問に私は我慢しながら、目的は何だろう、もしかして、「審査室」に連れ行きたいのかと考え始めた。

 

たくさんの質問の後、彼はやっと口を閉じ、今度は私のパスポートを見始めた。世界各国のスタンプをパラパラとめぐりながら「何でこんなに多くのアメリカビザがあるんだ?」と聞いた。
「最近まで、アメリカは中国人に毎年ビザを更新する様に要求していたから。」(その都度、200 ドル、取られました。)
私は非常に慎重だった。仕方がない。彼は随意に私の入国を拒否出来る。彼自身もその権力をよく知っている。

 

彼はボールペンを取り出し、入国スタンプに、ひとつずつ線を引きはじめた。何でずっと残しておいたのかと文句を言いながら。
アメリカ入国スタンプで一杯のパスポートを2冊持っていた。いままでの入国審査官は誰も何も言わなかった。私は、彼が私の唯一のリーガル・ドキュメントに線を引くのを見ていたが、現在有効なビザにも線を引こうとしたので、声を出し止めさせた。
他の審査官が3人か4人を通過させた時、彼は質問を聞き尽し、これ以上は諦めた、と思ったのは私の思い違い、これからがスタートだった。

 

「ところで、どこの国から来たの?中国?」(最初から私のパスポートを見ていたはずです)
「はい。」
「荷物はいくつ?」(この質問は国籍の質問の前に聞かれたばかり)
「ひとつです。」
「ひとつ…食べ物は持っている?」(これは普通、税関での質問ですが)
「いいえ。」
「持ってない?」
「持っていません。時間がなかったので。」
彼は目を細めた。「月餅も持っていない?」
月餅。 中秋でもないのに月餅。私が中国人だから?このくだらない会話の行方が段々分かってきた。
「月餅? なぜですか。持っていません。」
「本当に?」
「持っていません。今回は日本から来たので。」
「持ってない?月餅も鶏足も持ってない?」

 

鶏足。 鶏足。
中国人だったら、必ずこの異国情緒たっぷりで未開地の気持ち悪い食べ物を食べる。そして、この偉大なアメリカにこっそり持ち込む。
ただし、私は彼の間違った知識と非道徳性を正す権利を持っていない。彼は権力者であり、私は外人として、鶏足に答えなければならない。
「私は鶏足を持ち込んでいません。」
「本当かい?鶏足のようなものも持ち込んでいない?」
「ここに10年近く住んでいますが…」
彼は私の言葉を遮って「10年だろうがそれ以上だろうが、<彼ら>は鶏足を持ち込んでいる。」
「私はしません。」
「私は嘘を言ってないよ。」彼は呟いて、「<彼ら>はここに持ち込んでいる。我々はそれを見たんだ。<彼ら>は持ち込んでいるんだ。」

 

「彼ら」という言葉が私の体と頭の中に響いた。彼のつぶやきも聞こえなくなった。

 

ある不法移民のメキシコ人がいる故に、どのメキシコ人も不法移民かどうか疑う。なぜかというと、「彼ら」は不法移民だから。
ある犯罪者の黒人がいる故に、どの黒人も犯罪者かどうか疑う。なぜかというと、「彼ら」は犯罪者だから。

 

今回の選挙で、なぜアメリカの人々がトランプを選んだのか、やっとわかり始めた。

「私ではない。 」もうそのまま引き揚げようかと考え始めた。
「…オーケー。書類と荷物を持ってあそこに行って検査を受けて。」
いつもの「米国へようこそ」の挨拶は、プロトコールなのか優しさなのかわからないが、もうどうでもいい。
彼がテーブルに投げて寄こしたファイルを持って税関に向かった。

 

税関の官吏に「食べ物は?」「ありません。」「無い?野菜は?」「無い。」「リンゴは?」「無い。」「肉は?」「無い。」「生魚?」「無い。」「XXXXは?」「無い」
「オーケー、青い線のところでバッグの検査を受けて。農産物のXXX」
私の言葉が信じられないのなら、何故聞くの?

 

バラバラにされた荷物の現場。一人の若い女性が日本語の説明がついている使い捨てカイロについて怒っているような検査官に必死に説明していた。その後彼女はリパックし、「ありがとうございます。」という挨拶をしに来た。検査官はそれに応えず、こちらに向かって「あんたは感謝するべきだ。」と独り言を呟いた。そして私の書類をとり「バッグを載せて、黄色の線に沿って行きなさい」と。バッグを通し、食べ物がなかったことでちょっとびっくりした検査官は私に書類を渡した。「良い一日を。」
次の国際到着便は白人が多く、誰もが大きなバッグを持っていたが、X線検査に向かうことなくパスしていた。

 

もう限界を超えた。信じられない。ただの官僚的な無礼では済まない。そうではないからだ。私には反論する選択肢さえ与えられなかった。お互いに平等でない限り、グッド・ハートなど有りえない。
これを過剰反応とは思わない。一人のアメリカ人が日本人か中国人の入国審査官から、「カウボーイハットを持っているか?冷凍の七面鳥は?臭いチーズは?」と聞かれ、アメリカ人がなんと答えるか想像してみよう。そしてアメリカ人は「いいえ」と答える時を。「本当に?全てのアメリカ人は常に気味の悪い、胸の悪くなる様な食べ物を持っている。常にですから、あなたもね。」
もし私がまだ20代だったら、入国審査官に言い返しただろう。「今、鶏足やあひる足、また七面鳥の足でもニューヨークのスーパーで買えるよ。いろんな味で、オーガニックも、全てアメリカ製」と。
しかし、今回の選挙でわかったことは、皮肉は人種差別との戦いに勝てない。

 

20代で初めてアメリカに来た時、こんな質問には会わなかった。人々は強い偏見を持っていたかも知れないが、素直に会話を交わし、そして、考え方を変え、お互いの違いを受け入れた時期だった。過去10年、私は外国でも中国でも、人種、性別、そして、国籍に対する様々な差別と一生懸命闘ってきた。どこでも、アジアの文化、社会、政治について話すことによって、文化の多様性と社会の寛容性の尊さを知ってもらうために努力してきた。
20代に聞かれなかった鶏足の質問。2016年に来た。

 

アメリカ人は様々だ、その通り。良い人も沢山いる、本当に。しかし、本当の多様性というのは一方的なものではない。中国人、日本人、そして他の民族もアメリカ人と同じように、様々であるということを認めなければならない。そうでなければ、アメリカの多様性とは、1930年代に「五族協和」を宣伝した日本の植民地「満州国」と同じように偽善的なものではないだろうか。一言でいうと、アメリカは、白人をトップとし、中国人は中華街のキッチンに、メキシコ人はデリバリーの自転車にと、階級社会を前提とした複数の人種が共存する社会なのだ。

 

セキュリティゾーンを出る前に、もう一度振りかえってみた。彼らは正義の味方のように行動していた。お国の為だから。彼らの人種差別的な行動は愛国主義の名のもとに正当化される。それに私はぞっとする。今回の選挙結果は、外国人には乱暴な言葉や行為を振る舞えることを正当化した。新しい「偉大な」大統領と同じく、外国人を違法移民か、アメリカの「偉さ」を奪う盗人として見ても良いという結果になった。
「偉大な」アメリカは心底嫌いだ。

 

ニューヨークへの乗り換え便の中で、私は沈黙していた。隣の席に座った男性が荷物をキャビネットに入れ、軽く挨拶した。「こんにちは。」
その瞬間、ずっと我慢していた涙が落ちた。
2006年、私が初めてアメリカに来たとき、ピッツバーグ行きの乗り換え便で、まさしく同じ言葉を投げかけられた。今でも覚えている。その後、父にこう言った。「アメリカ人は優しいね」と。

 

選挙の後、何日も泣いた。英語、中国語、日本語で書かれた記事を読んで、悩んで考えた結論は、私はアメリカの大学で東アジア美術史を教える。たとえ、そこが中西部であろうと田舎であろうと。誰かが闘わなければならないからだ。しかも一生懸命に。教育に恵まれてきた私は、教育の力で偏見や差別を消すことができると信じていた。
が、今日は完敗だ。もう、これ以上無理だ。

 

アジア人のみなさん、アメリカへの入国にあたってはミネアポリス・セントポール空港を使ってはいけません。私達は戦いに敗れたのです。

 

追伸。2日後
つらかった。あれ以来2日間、私は米国国土安全保障省税関・国境取締局、MSP空港に事実抗議書を出し 、大学の学長と国際センターに手紙を送った。何もならないとわかっても、やるべきだと思った。
しかし、これでも私の気持ちは晴れなかった。逆に、怒り、落胆した後、深く落ち込んだ。

 

フェイスブックやメッセンジャーのコメントに返事をする気にもならなかった。
「白人である私にとっても国境を越える時の対応は悪かったよ。」
「鶏足はただあなたの国の代表的な食べ物の例としての質問ですよ。」
「なんなのこの悪い男!」
「アメリカ人の偽善さが今更わかったのかい、大げさだね。」
また、これがきっかけとなり、選挙後、アメリカ国境でアジア人に対する様々なひどい話を聞いても言葉が出なかった。

 

人々がなぜ、またどうやって自分の見方や経験から偏見や認識を抱くのか、私は良くわかっている。これは偶然ではない。アメリカ国境管理官の労働組合「国境巡回委員会」は公にトランプを支持していた。そして、私は、今まで差別に遭った瞬間に、自分自身に「これは私の感情的な過剰反応ではないか。」と毎回チェックしている。そして、今回を含む事件の答えはノーだった。

 

ニューヨークへの乗り換え便に乗った時、目の前のたくさんの白人たちが一瞬、全てトランプ支持の人種差別主義者に見えた。非合理だが強い感情に動揺し、背筋に悪寒が走った。このような負の感情に押しつぶされ、絶望的な不信感によって心にブラックホールができた。感情は実に重要なものだ。そもそも、今回の選挙では、知恵の欠如ではなく、恐怖と不安の気持ちに巻き込まれ、判断力を失った多くのアメリカ人がトランプに投票した。

 

1週間後、私は国際センターのディレクターとこの事件について話した。MSP国境管理官に問合せてくれることになった。そのあと、彼は聞いた。
「今から、あなたのことについてちょっと話しましょう。あれからどうですか。気分は。」
聞かれた瞬間、私は鬱になった理由がわかった。戦うことは、傷を癒すこととは別だから。
事件が解決に至るかどうか別として、私は傷ついた。その傷は深い。「私たちはあなたが癒されることを願っています。」
不思議に、その時からだんだん「私は大丈夫だ」と感じるようになった。傷は痛くてもきっといつかは治る。一週間の間に色々な人からもらった励ましも聞こえるようになった。

 

「選挙後の現実に、どう対応すればよいか。」戦う。そして自分を癒す。極めて難しい、そして苦しいことだ。ただ、そうしなければ、今後の厳しい現実を乗り越えられないだろう。

 

原文(英語)

 

<Gloria Yu Yang(グロリア・ユー・ヤン)楊昱>
2015年度渥美奨学生。2006年北京大学卒業。2008年からコロンビア大学大学院美術史博士課程に在籍。近現代日本建築史を専攻。2013年から2015年まで京都工芸繊維大学工芸資料館で客員研究員、2015年から東京大学大学院建築学伊藤研究室に特別研究生として、植民地満洲の建築と都市空間について博士論文を執筆。2017年5月卒業予定。

 

2016年12月15日配信

 

——————————————————

◆SGRAエッセイ「鶏足とトランプ」をめぐって

 

前回のSGRAエッセイ「鶏足とトランプ」に対してSGRA会員の葉文昌さんからコメントをいただき、さらに著者のグロリアさんから回答がありました。読者の皆さんにも考えていただきたい内容なので、お二人の許可を得てご紹介します。グロリアさんからの「急いで書いたので考慮が足りない部分がありますが、一緒に考えてください」というメッセージをお伝えします。

 

〇葉⇒ヤン

 

アメリカでのひどい経験、お気の毒でした。

でも他国へ行ったことがあれば、このようなことはどこかで経験しているかと思います。このような偏見は、どの国でも起こり得る事です。起きるたびに、自分がスティクホルダーである国ではどうなのかと自問し、それを解消できるよう自分なりの努力をするのが良いと思います。他国の事を変えるのは、その国のスティクホルダーしかないのです。

 

ヤンさんは不幸にもひどい仕打ちを受けましたが、でも実際にはアメリカには非差別主義者も多くいる訳で(差別主義者よりも多いかもしれない)、今回の経験からアメリカは変わったと嘆くのはまさに差別主義者の思う壺で、世界を分断の方向に向かわせることに加担することになるのです。

 

更にヤンさんは「この中年で禿げ始めた白人」と書きましたが、「中年」「禿げ」「白人」は不要な情報で、これこそヤンさんを差別した差別主義者と同じことをしているように思います。

 

ひどい仕打ちを受けたのは本当に気の毒でした。次は、アメリカの優しい一面に出会えることを願っております。

 

  • ヤン⇒葉

 

ご拝読とご意見いただき、まことにありがとうございます。

葉様のコメント、非常に興味深いと思っております。

 

まず、冒頭に私が述べたように、今回の事件はアメリカの国境管理の中での異常です。

 

また、葉様は「でも他国へ行ったことがあれば、このようなことはどこかで経験しているかと思います。」とおしゃいますが、「人種差別が必ずどこかで起こっているから、今回の事件も普通」という推論こそが問題です。どこの国の国境管理においても、このような人種差別の行為は間違ったことであり、それを「普通にあることだ」とか「現実なのだ」などと語り、その行為を正常化することは、逆に人種差別を助長しているのです。どこであろうとも戦うべきなのです。

また、過去10 年の間に、アメリカで様々な人種差別の経験をした私から見ても、今回の人種差別はひどく、憂慮すべきです。その背景は複雑ですが、最近『ニューヨーカー』とか『ニューヨークタイムズ』などで沢山の分析が成されているので、是非お読みください。

 

次に、私は落ち込んだ理由は、事件そのものではありません。この事件をアメリカの最近の政治文脈の中においた時、浮き彫りにされるのはアメリカ社会の二重構造、「非差別主義者」の「無責任」や「偽善」など、様々な社会・政治・文化の憂うべき側面なのです。選挙の頃、私はちょうどニューヨークにいたので、その場で痛感しました。選挙によってリベラルな考えの人がみんな落ち込んでしまっている時期に、のんきな楽観主義は「毒」とも言えるでしょう。アメリカはただの多民族融合やただの民主国家ではありません。アメリカは、黒人、女性そしてアジア人に対する差別と戦ってきた歴史があります。最近注目された、警察官による黒人の射殺、同性愛者の結婚の合法化、環境への悪影響のために原住民が反対するダコタ・アクセス・パイプライン、ロシア・ラングが撮った強制収容所に移送される日系アメリカ人の写真、そして選挙の翌日から起きたたくさんのイスラム教徒へのヘイトクライムなどが証明しているのは、アメリカは度々白人至上主義にやられてきた、またそれと戦ってきたという事実であり現実なのです。

 

もし葉様が今アメリカにいらっしゃったら、アメリカの「変わった」環境を体験することもできると思いますが、このエッセイに書いたように、今だからこそ、「分断されたアメリカ」、また、世界が「分断されて行く傾向」を直視しなければならないのです。

 

このような差別と戦う経験の中で深く認識が変わったのは、私だけではないのです。さらに、彼らの多くはーダコタの原住民や収容所に送られた12万人の日系アメリカ人は、認識だけではなく、運命が変わったのです。もちろん私は一人で戦うのではなく、たくさんの非差別主義者と一緒に戦います。ただ「そうじゃない人やそうじゃない場所」に目をそらすことは、本質を見逃すことであり、問題の解決にはならないのです。

 

私はミネアポリス空港の抗議書(そこに事実でないことを書いたら罰になります)にも「中年middle-aged」「禿げ bald」「白人 white」を書きました。何故なら、入国審査官の名札を見ておらず、制服も一緒なので外見の特徴で人を特定するための情報として書いたのです。この3つの言葉は、英語の形容詞です。私は女性female、メガネglass、黒い髪 black hair、アジア人asianだと描写することができます。文学性がなくても、見た目の枠で人を書き出すとこうなるのです。

 

このエッセイは、単に個人的な事実や感情を記述しようとしたものではありません。この事件についての「考え」がポイントなのです。それは、鶏足ではなく、(1)トランプのアメリカにおける人種差別の高まり、(2)この時期だからこその「人種差別と戦うべきスタンス」と「人種差別より受けた傷を治す方法」の2つです。

 

ご質問にお答えできたどうかわかりませんが、ご指摘ありがとうございました。

 

〇葉⇒ヤン

 

返信ありがとうございます。

「中年で禿げ始めた白人」は差別ではないことは理解しました。

 

同じことを申し上げますが、アメリカがどの様な国になろうとも、それはアメリカ国民が決めることなので、よそ者ができる事は限られています。己が頑張れる事は、住んでいる国または出身国に対して意見を言う事だと思います。そして身内に意見を言う事は、よそ者に対して意見を言うよりも、勇気が必要です。しかしそれは社会の進歩に必要なのです。ちなみに私は身内に関しては見て見ぬふりはしていないつもりですよ。グロリアさんは身内の中国または日本について、何か意見を言ったことありますか?私は差別に関しては、台湾はアメリカよりも遅れていると考えています。だからアメリカに対して意見を言えたものではないと思っています。

 

  • ヤン⇒葉

 

ご返信とご理解ありがとうございます。

 

もちろんどの国でもよそ者として出来ることは限られます。しかし、よそ者だからこそできることもあります。例えば、よそ者によって、身内では普通だと思われている価値に潜在する差別を明らかにすることが出来ます。

 

多分、根本的な考え違いは、葉様の以下のご意見です。

 

「アメリカがどの様な国になろうとも、それはアメリカ国民が決めたことなので…己が頑張れる事は、住んでいる国また出身国に対して意見を言う事だと思います。」

また

「私は差別に関しては、台湾はアメリカよりも遅れていると考えています。だからアメリカに対して意見を言えたものではないと思っています。」

 

この2点については、申し訳ありませんが、 知識人として、決して同意できません。しかしながら、お互いの考え方のベース(時代背景や世代差の経歴など)を尊重するため、反対の理由は省略させていただきます。

 

最後の質問に対して、もうすでに書いていたように、私は過去10年間、どこでも意見を言って、差別と戦おうと努めてきました。しかしながら、目をそらしたこともありました。だからこそ、今は、どこででも、言うべきことは言う必要があると思っているのです。

社会はただ進歩するものではなく、人の行動で進歩させるものです。

 

〇葉⇒ヤン

 

ご意見ありがとうございました。またお会いした時に色々お話できればと思います。

 

 

2016年12月22日配信