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エッセイ475:謝 志海「中国の一人っ子政策廃止で思うこと」

自国を離れて暮らすことは、文化も言葉も違うので容易ではない。しかし良い面もある。それは自分の国を客観的に見ることができるという点である。先日中国が一人っ子政策を中止した。日本の新聞、テレビでもトップニュースで取り上げていた。そして思い出した。中国人留学生としてはじめて海外(日本)で暮らし、日本人や様々な国籍の人と触れ合いはじめた頃のことを。中国がしている政府による人口のコントロールを、はじめて彼らと一緒に客観視することができたのだ。外国人にとってこの政策がどれほど異質に映るのかと気付くのに、正直少し時間がかかった。

 

私の場合、一人っ子政策がすでに履行されていた80年代前半に生まれたので、周りが一人っ子であることに違和感も疑問もなかった。実際のところ、自分の国、中国が世界で唯一、一人っ子政策をとっているという意識すらなかったのだ。中国以外の国では家族計画は個人の意思で決めることができる。こんな大きな違いを、さして気にもせずにいたとは。これは何というか、今思えば恥ずかしいような気分だ。留学生時代は時間があれば、日本語や英語で書かれた一人っ子政策に関しての書物や記事をたくさん読んだ。

 

驚くべきことに、英語の言説は、一人っ子政策にともなう中絶の増加や、男性が多く女性が少ないという性別のバランスを欠く結果となった中国社会を痛烈に批判し、一人っ子政策が失敗だったとまで言い切っている。特に妊娠中絶の強制を深刻な人権の侵害であるとし、すぐに止めるべきだとの声も多い。さらに驚いたことは、これらはヨーロッパやアメリカ在住の中国人によって書かれたものが多かったことである。私には、まだその頃、自分の国で起きていることを直視し、言葉に書き出す勇気がなかったので驚きもひとしおだった。しかも、それらの英語で書かれていることは誇張ではなく、農村まで出向き取材し、事実に基づいて書かれている。私が住んでいた農村でも予定外に二人目の子どもができてしまった人々の苦悩をよく耳にしたりした。二人目の子を持つ家庭に課せる罰金も決して安くない。本や論文で、中国の一人っ子政策を失敗だったと嘆く中華系学者たちは、中国国外へ出てこの異様な政策に感情を揺さぶられ、研究をはじめたのだろうか?

 

もちろん中国国内の人口学者も以前から、一人っ子政策を続けることによる労働人口の減少や高齢化を憂慮し、政策変更を訴えてはいた。経済学者たちの中でも、一人っ子政策が高齢化を引き起こし、国が豊かになる前に経済が減速するという見解は多かった。しかし地方都市や農村では、一人っ子政策違反の罰金が地方政府にとっての捨てがたい大きな収入となっていたり、学校などを増やすことの負担への懸念などで、対応は遅れていた。そうこうするうちに、都市部では一人の子に教育費等お金をかけて育てるスタイルが定着してしまった。2013年には、夫婦のどちらかが一人っ子なら、二人目を持つことを認められた。しかし、こちらは人口増加にさして変化が見られなかったようだ。たった2年で一人っ子を完全に廃止したことが答えだろう。

 

中国国内では一人っ子政策廃止のニュースを遅すぎたと冷ややかに受け止められている。我々80、90年代生まれは唯一の一人っ子世代となってしまった。これまで罰金を払った多くの人にとっても、今さらという感じだろう。ジャパンタイムズの2015年11月6日付、裴敏欣(Minxin Pei)氏の記事の最後の段落に「単純に、一人っ子政策が二人っ子政策になっただけ」とある。そう、あくまでも二人までという制限。一人っ子政策の廃止は国民に自由をもたらすものではないのだ。世界最大の人口国、中国の今後の動向を引き続き世界が固唾を呑んで見守るだろう。

 

<謝志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。

 

 

2015年11月26日配信