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エッセイ471:外岡 豊「JIフォーラム『戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える』に参加して」

SGRAと関係が深い2名の講師、木宮正史氏(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授、韓国政治史)と劉傑氏(早稲田大学社会科学総合学術院教授、近代日中関係史)を招いて、構想日本代表の加藤秀樹氏がコーディネータを務めたJIフォーラムに参加した。

 

私は、フォーラムの最後の質疑応答の時に、劉傑氏の言う公共知の構築による国民的和解をネット上のプラットフォームを作って推進すべきであるという意見を述べたが、その後の交流親睦会において自分の発言が意に反して逆の意味にとられかねないことが判明したので訂正しておきたい。

 

東アジアの歴史を概観すると、中国ではアヘン戦争以来の混乱があり、韓国では朝鮮戦争で南北に分断されたままの異常事態が続いており、日本は明治維新以来、日清、日露、日中戦争、太平洋戦争と戦争が続き、敗戦になったが、それらの社会的混乱はすべて欧米列強の植民地支配をねらった進出がもとになっている。

 

台湾、韓国、満州での異民族地域支配を決して正当化できるものではないが、日本はペリーの黒船来航以来、欧米人の東アジアへの進出に対して、アジア人として対抗する必要があり、侵略戦争とされている度重なる戦争も、各地への進出も(少なくとも初心においては)アジアを守るための戦いであったと、はっきり主張すべきであるとの意見も根強い。

 

日本における戦後の歴史教育はアメリカに都合のよいように仕向けられて、すべて侵略戦争だとして説明され、それが日本人に自虐史観を植え付けてきたという説もある。これは敗戦後、アメリカ占領軍がかつての日本人の団結力を恐れ、日本が再び好戦的な国として立ち上がることがないように、民族の誇りを持たせないように、ゆがんだ歴史教育を強いて、それが今も続いているのだ、という。世界の世論調査で国際比較すると日本の若者は愛国心が薄弱、親を尊敬しない、自分に自信がない点において先進国中突出しているというが、これはアメリカの占領後の対日戦略の結果だとされ、こうした現状を打破して日本人の誇りを取り戻そうとする活動も最近活発化しているようである。私は積極分子ではないが、いろいろな考え方の人がいることを知るために、この数年その手の勉強会にも参加している。

 

歴史は常に時の為政者に都合の良いように書かれるものだとされるが、それでは国民感情としての歴史認識問題は解決できない。劉傑氏の提案のようなアジアの公共知としての歴史を構築するには、そのための客観的な、各国政治に影響されない共通歴史資料の蓄積が必要である。残念ながら日本人は歴史基礎知識が不足していて、近隣諸国占領の歴史を知らない人も多く、まして占領支配された側の苦しみを実感できるような知識も情報も不足している。

 

政府はどうしても政権に都合のよい歴史を国民に押し付け、外国にも主張しようとするが、現在のネット社会では政府とは無関係な市民間情報の共有ができるので、国境を越えた客観的な歴史資料を公共知の基礎として市民が構築すべきである。矛盾する様々な説があるだろうが、それらを互いに客観的な根拠を添えて主張し、誰にもわかりやすく説明し、その基礎知識を提供する役割が歴史学者に求められている。各国市民はそれらを見て、政府発表とは違う諸説があることや、各国に様々な見方があることを知り、それらを総合した客観的な認識を得ることによって、政府の歴史観のもとに市民間で対立していても意味がないことと実感し、自然にわだかまりが解けるような効果を期待したい。

 

一方、歴史認識問題を含め政府間の対立を解決するのは外交官の仕事であり、最近、日中韓でそれがうまくいっていない現実は、各国ともに外交官の交渉能力が低下しているのではないかと懸念される。

 

毛沢東は「存在が意識を決定する」と言い、政治に関与する者は各階層(特に貧農下層中農)の人民の立場に立って考えよと説いたが、それは、意識しないと、とかく自分の立場の限られた視点だけでものを考えてしまいがちだという指摘である。支配される側の他国民の立場や感情を日本人が想像することは難しい。

 

このことが念頭にあったので、発言の中で、「日本人は植民地にされた経験がないので韓国、中国、台湾の非支配者の立場を理解しがたい」と言ったが、無頓着な態度を反省なく肯定しているかのように受け止められかねない言い方であったと後から気が付いた。

 

それは講演後の懇親会で、日本も米軍に占領支配された経験があるではないか、と言われて、その人と話すうちにどうも誤解を招く発言であったようだと思った。確かに沖縄では多くの市民が犠牲になった。本土では爆弾を落とされて市民多数(原爆と東京大空襲だけで30数万人)が死亡したが、長期間の植民地支配を受けたわけではないので、支配された経験がないと言ってしまった。

 

しかし、考えてみれば、戦後70年の日米関係は、巧妙な支配でいまだ敗戦国から抜け出せていない。70年経っても米軍基地は残り、いつなくなるのか展望もないままである。アメリカはイラクを日本のように柔軟に支配して何でも聞いてくれる国にしたかったのだ、という説も聞いた。日本は隠れ植民地支配されているも同然と言うべきかも知れない。

 

ローマ法王は現代の企業は人から収奪し環境を傷めつけていると明言している。現在の先進国の企業活動は合法的に巧妙に利益吸収して、1%の富裕層が貧しい99%を支配しているという構図はトマ・ピケティーが指摘している通りであり、金融派生商品の発達や、会社の重役の持ち株の売却に際して、その税制がアメリカでも大きな不平等を生んでいるとの指摘もある。世界的に一部の人が彼らの利益追求のために国家にも影響力を持ち暗躍していて、実はそれが世界各地の紛争をあおっているとするうがった説もある。

 

世界を支配する一部の人達のあくなき利益追求の下でアジア人同士がいがみあっていても始まらない。共に協力してより多くの収穫が得られるよう努力してきた稲作協働文化社会であり、儒教社会でもある日中韓においては和解しやすい基礎は元来あるはずである。

 

皆さん御承知のように渥美国際交流財団ではまさに劉先生が提唱する公共知構築に寄与する国際的な研究会を各地で開催してきていることは関係者として誇らしいものである。渥美財団の奨学支援で育った優秀な人材が各地で活躍しており、彼らと共に人の輪を広げて、相互理解を深め、アジアが率先して互恵社会を作り上げて行けるよう、EUに負けないアジア経済社会圏を早く実現できるように期待したい。この勉強会はその一歩となる有意義なものであった。

 

<外岡豊(とのおか・ゆたか)Yutaka TONOOKA>

神奈川県出身 湘南高校卒業、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同大学院終了、工学博士 埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授 早稲田大学招聘研究員、大連理工大学と西安交通大学の客座教授、元Imperial_College、Visiting_Prof. 建築学会地球環境委員会、同倫理委員会委員、低炭素社会推進会議(18団体で今年設立)幹事、森街連携会議代表、エコステージ協会理事、日本都市問題会議世話役他 専門分野は都市環境工学、環境政策、とくにエネルギーと環境のシステム分析 最近は気候変動対策評価研究を発展させて、持続可能社会について考察中 SGRA会員

 

 

<参考>

JIフォーラム「戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える」共催報告

 

2015年9月28日、渥美財団評議員の加藤秀樹氏が主宰する構想日本のJIフォーラムを共催した。「事業仕分け」を始め、日本国内の課題について検討することが多い構想日本だが、国際的な課題も議論したいということで共催のお話をいただき、また、SGRAとしても国際的な問題をもっと多くの日本の方に考えていただきたいと思っていることから、このフォーラムが実現した。構想日本は7月に「戦後70年 戦前の昭和期に学ぼう」というフォーラムを開催したので、今回は、同じ時代を中国と朝鮮半島の方からみてみようということで、SGRAを長年応援してくださっている劉傑先生(早稲田大学)と木宮正史先生(東京大学)にお願いし、『戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える』というテーマが決まった。

 

劉先生は、1972年に毛沢東・周恩来と田中角栄・大平正芳が日中国交正常化した時の親密な写真と、昨年11月に安倍晋三と習近平がよそよそしい顔で握手をしている写真を比べ、日中友好の後退をビジュアルに示した。さらに、政治家だけでなく、両国の意識調査で80%以上の国民が、互いの国を嫌いだと言っていることに言及した。そして、近年中国の学会で歴史の再認識の動きがあることに触れたうえで、この状況を改善するためには、知的レベルの交流を推進し、日本研究においては、戦前も含めた日本の成功と失敗の経験をアジア全体で共有しうる公共知とする必要性を主張した。

 

木宮先生は、日韓関係は1965年の日韓基本条約で、それ以前の問題をきちんと解決できないまま締結したことが火種になっているが、現在の問題の背景には、垂直から水平へ(日本が旧支配国、経済発展先行国から平等な力関係へ)の日韓関係の変化があること、韓国の多様化、多層化に伴う韓国国内の対立が鮮明化していること、更には、批判を恐れて日本と妥協しにくい状況があることを指摘した。その解決方法として、日本は狭義の歴史問題に積極的に取り組み、一方、韓国は日本の取り組みを認めることで、日韓問題の「歴史問題化」を自制する必要がある、また、共に対中認識、対中政策における接近の可能性を追求すべきだと主張した。

 

モデレーターの加藤氏から、「歴史問題は、あまり細かいことにこだわらずに、大きく見るようにしたい」という前置きがあったが、両先生のお話はまさに現代史の大きな流れを俯瞰したものだった。アンケートにも「ディスカッションの通り、何が真実か分からず自分の意見が持ちにくいテーマです。こういう機会を増やし、少しでも真実に近づけるように、また個人の意見としてもはっきり言える考えが持てるようにしたい」というコメントがあり、主催者側の望んだ効果があったと思われる。「正義」とか「正しい」がでてくると窮屈になって自由な空間が失われる、外国はわからないが昨今の日本は確実に窮屈になっている、という加藤氏の指摘が印象に残った。当日ご参加くださった方、共催にあたってご協力いただいた方々に御礼を申し上げたい。

 

(SGRA代表 今西淳子)

英語版はこちら

 

2015年10月22日配信