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エッセイ462:胡 艶紅「『迷信』をめぐって」

2006年に来日してから、あっという間に8年が経ちました。日本に留学した感想については、様々な面から述べることができますが、私は日本で民俗学を専攻しましたので、民俗学を勉強してからの自分自身の変化や感想を述べたいと思います。

 

日本に来て民俗学を選んだ時には、衣食住などの習俗に関する面白いことを研究する学問としか考えていませんでした。ところが、研究生として筑波大学で民俗学専門のゼミに参加してみると、ゼミでよく議論されていたのは、衣食住などの習俗ではなく、人々の日常生活に関わる民間信仰でした。しかし、中国で無神論の教育を受けてきた私にとって、ゼミで聞いた信仰の話は体系的な宗教ではなく、中国で「迷信」と呼ばれるものでした。

 

日本に来る前までは「迷信」に対して強い抵抗がありました。私が大学一年生の時、祖母が癌に罹りました。病院で治療しても治らなかったので、祖母は大金を惜しまず、儀式を行って病気を治療する民間の宗教職能者に頼もうとしました。当時、無神論の教育を受けていた私はそれに大反対しました。お金を無駄にするということが理由の一つでしたが、自分の家族がこうした「迷信」的な行為をすることをとても恥ずかしく思ったということもありました。結局、宗教職能者が招かれ、儀式が行われました。その日、本来ならベッドで横になっていた祖母を看護すべきだったのですが、私は祖母に対して不満の言葉を吐いて、家を出てしまいました。そのため、祖母の心を傷つけてしまいました。間もなく、祖母の病気は重くなり、そして亡くなりました。

 

そのようなことから、こうした「迷信」が日本民俗学で議論され、研究されるほどの価値が一体どこにあるのか、当時は疑問を持ち、自分が選んだ道に対して戸惑いも覚ました。しかし、柳田國男が唱える民俗学の目的の一つに、人々の心意現象を明らかにすることがあるのを知り、約2年にわたる民俗学の勉強を経て、私は民俗学に対する理解を深め、こうした「迷信」を研究する価値も徐々に理解していきました。つまり、「迷信」の背後には、人々の考えや思いが潜んでおり、そこから地域の深層文化を読み取れるということです。これは文化研究に対して大きな意義を持っています。文化の差異の最も根底にあるのは、人々の考えや思いです。こうした認識を持つことにより、私の修士論文のテーマも飲食文化から水神信仰に変りました。

 

日本で「迷信」について勉強して、日本人や日本文化に対する理解が深まりました。同時に、こうした「迷信」に関する研究にも興味を持つようになりました。一方、中国における「迷信」をめぐる事情についても考え始めました。すると、もう一つの疑問が浮かび上がりました。それは、私の周りにも私の家族にも「迷信」への関わりが頻繁に見られるにも拘らず、なぜ私は、以前はそれに対して強い抵抗があり、全く関心を持つことがなかったのだろうか。なぜこうした有意義な研究が中国であまり行われていないのだろうか。私は、こうした疑問を持って博士課程に進学し、「迷信」による行動を盛んにとっている中国の漁民を研究対象として選びました。

 

研究の過程で、私は「迷信」的な行動を盛んにとる中国の漁民の考え方を次第に理解できるようになりました。なぜ私が当初「迷信」に対して強い抵抗があったのかもよくわかるようになってきました。そして、臨終の祖母の心を理解できず、不満の言葉を吐いた当時の私を思い出して、後悔の気持ちでいっぱいになりました。

 

日本での留学を通して、様々な収穫がありましたが、最も大きな収穫は、むしろこうした日本人・日本文化を理解することによって、自分自身、自国の制度や文化を見直せたことだと考えています。

 

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<胡 艶紅(こ・えんこう)Hu Yanhong>

2006年来日。2010年3月筑波大学人文社会科学研究科 国際地域専攻修士課程修了。同年4月同研究科 歴史・人類学専攻一貫制博士課程編入、2015年7月同課程修了見込み。専門は、東アジア歴史民俗学。主要論文「現代中国における漁民信仰の変容」(『現代民俗学』4)。

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2015年6月18日配信