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エッセイ454:シム チュン・キャット「生存不可能な国を可能にしてみせたリー・クアンユー氏」

2015年、この年はシンガポールの歴史に深く刻まれる年となります。建国50周年を迎えた年としてではなく、偉大なる建国の父がこの世を去った年として記録されることになるからです。

 

「偉大」という言葉を使うことで、まるで僕がどこかの国の国民みたいに独裁者を熱狂的に崇める輩のような印象を持たせてしまうかもしれませんが、僕は死んでもそういう人間にはならないことを僕のことを知る人なら分かるはずです。しかし誤解を招きかねない表現であっても敢えて使います。リー・クアンユー氏は偉大です。

 

リー・クアンユー氏の功罪を分析する書籍、論文や新聞・雑誌記事などがたくさん出ている中で、同氏の指導力、高圧的な政治手腕と独裁ぶりについては他の所を参考にしていただくことにして、ここでは彼が率いる人民行動党による一党支配体制下で生まれ育った一国民として自分の素直な気持ちを書きたいと思います。

 

発展途上国といわれるアジアの国々を訪れるたびに、僕はよくデジャビュに襲われます。手入れの行き届かない住宅、クモの巣のように地上に張り巡らされている電線網、衛生状態の悪い屋台の群れ、黒い水が流れる水路などなど、僕がまだ幼かった頃にシンガポールでよく目にした風景とどこか似ていると、心のアルバムのページが開くからです。現在一人当たりGDPが約6USドルと日本の約4USドルよりも高く、IMFや世界銀行などいずれの統計においても経済的豊かさが世界トップ10に入っているシンガポールからは到底想像できない風景でもあります。この驚くべき変貌を可能にした国づくりの第一設計者がリー・クアンユー氏であることに異議を唱える国民はいません。国の発展と繁栄とともに成長し、多くの恩恵を受けてきた僕のような独立後世代はなおさら否定することができません。

 

とはいえ、この世に完璧なものはあり得ません。完璧な民族、完璧な国なんて幻想でしかありません。 経済や社会がうまく回っているように見えるシンガポールでも、他の国と同じくいろいろな課題を抱えていることは事実です。ただ、国土が小さく資源も無いに等しい事情に加え、多民族・多言語・多宗教という複雑な国情の中で、文化も習慣も言葉も信仰も異なる国民同士が仲良く共存できていることが不思議でなりません。教会の近くにモスクが建ち、50メートル先に道教のお廟があって、そのすぐ隣りのヒンズー教寺院から祈りの声が響く、という今のシンガポールでは当たり前の風景でさえ、民族間不信や宗教暴動が頻発していた歴史から考えれば、これも奇跡の一つなのかもしれません。そして、その背後に無宗教のリー・クアンユー氏の存在が大きいことは、国民なら皆知っています。

 

もちろん、リー・クアンユー氏も完璧な人間ではありません。彼のことが嫌いだという人も少なくありません。実をいうと、僕もその一人です。超合理的でエリート主義者でもある彼は、物議を醸す発言を連発した時期もありました。大卒の女性の多くが独身であり、結婚しても産む子供の数が低学歴の女性より少ないという傾向を変えるべきだとか、一人一票が最善の選挙方法であるとは限らず家庭と子供を持つ国民には二票を与えるべきだとか、何の資源もない一国のあり方と将来を担う首相、大臣と上級官僚が世界一の高給をもらって当然だとか、反対ばかりしてより良い政策を提案する能力もない野党は要らないとか。一般の指導者であれば思っていても普通は決して口には出さないことを、このように躊躇もせずに直球で見解を表明することに気持ち良さすら感じてしまいます。また冷静に考えれば、それらの発言に一理がないわけではなく、その独創的な発想に新鮮さと大胆さを覚えます。好きではありませんが、心から尊敬はします。言ってみれば厳父のような存在です。

 

その厳父は優しいおじいさんでもありました。リー・クアンユー氏の7人の孫の一人であり、長男であるリー・シェンロン現首相と亡くなった前妻との間に生まれた息子であるイーペン氏は、アルビノで視覚障害があり、またアスペルガー症候群にもかかっています。この孫のことを一番可愛いと、リー氏は自身の回顧録にも書いています。リー・クアンユー氏の遺体が納められた棺が、一般国民の弔問を受けるために国会議事堂へ運ばれたとき、イーペン氏は先頭に立っておじいさんの遺影を持って歩いていました。その直後、国民による厳父への弔問の列は予想をはるかに超え最大で8時間待ちとなり、政府が国民に弔問を控えるように勧告を出したほどでした。

 

亡くなられる数年前にリー氏はあるインタビューで、自分が下した難しい政治決断に対して反対や不満を抱く人々もいただろうということを認めたうえで、次のように語りました。「結局のところ、私が何を得たかって?それはシンガポールの成功だ。私が何を捨てたかって?それは私の人生だ」と。

 

数年後、シンガポールのどこかにリー・クアンユー氏の銅像が建つのでしょう。いつかシンガポールのお札の肖像も今の初代大統領のユンソ・ビン・イサーク氏からリー・クアンユー氏に変わるかもしれません。いずれにせよ、銅像がなくてもお札が変わらなくても、その名は永遠に国民の心の中に生き続けるのでしょう。

 

 

英語版エッセイはこちら

 

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<Sim Choon Kiat(シム チュン キャット) 沈 俊傑>

シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。主な著作に、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年、「論集:日本の学力問題・上巻『学力論の変遷』」第23章『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』(日本図書センター)2010年、「現代高校生の学習と進路:高校の『常識』はどう変わってきたか?」第7章『日本とシンガポールにおける高校教師の仕事の違い』(学事出版)2014年など。

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2015年4月2日配信