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エッセイ413:ヴィラーグ ヴィクトル「人口減少ニッポンから多民族ニッポンへ?」

~大規模移民受け入れ前に不可欠な統合政策:労働力移入ではなく、人間移住であることを忘れないために~

 

日本の新聞を読むと、移民受け入れの可能性について徐々に取り上げられるようになっています。もちろん、移民受け入れの可否を巡る議論は新しいものではありません。バブル期の労働力需要に対する人材不足が問題になり、また人類の歴史上まれにみる少子高齢化に日本が直面することが予想されるようになって以来、しばしば持ち出される課題です。日本社会は実際に人口が減少しており、アベノミクス、東日本大震災後の復興、東京五輪の準備などが相まって、建設業をはじめとした労働力不足が顕著になっている現在、少子化対策の専門家や経済界が改めて移民受け入れについて本格的な議論を進めようとしているのは当然でしょう。一方、一般国民、政治家や官僚はもちろん安易には踏み出せず、政策自体が進んでいないのが実状です。何せ、来日するのはロボットでも、単なる「労働力」でもなく、24時間日本で生活することになる移民及びその家族、即ち様々な社会サービスまで必要とする「生身の人間」なのです。

 

私は日本の参政権を持たない身であり、また人口学及び労働経済学は専門領域ではないので、移民受け入れの可否について構築的な意見を述べるのは相応しくないかもしれません。しかしながら、私の出身地である欧州を始め、他国の歴史的な経験を基に考えれば、人口減少国として安定した経済をいかに維持していくのかという議論どころか、経済縮小をどう避けるのかすら想像しようとしない日本の状況に無関心ではいられません。勿論、移民を受け入れず、人口問題と向き合うことが選択肢の一つとしてないわけではありません。全国民的な議論の結果、それが民意の結論であれば、経済小国化の覚悟を決めることも充分にあり得ます。しかし、経済成長を諦めることを選択しないのであれば、グローバルな時代における経済的な競争力の低下を防ぐためには、移民受け入れ以外の方法は考えにくいのではないでしょうか。

 

ここでは、日本が最終的に後者の移民受け入れの選択をした場合に、注意してほしい幾つかの点をまとめることにします。その中で、私が、既に日本に住んでいる文化的なマイノリティを対象としたソーシャルワークの研究者であると同時に、実際に一人の当事者であるという立場も重視したいと思います。日本に定住している文化的なマイノリティが抱える様々な問題に関する経験を基に論点を整理してみます。

 

結論からいえば、最も大きな課題は中央行政レベルの総合的な統合政策の不在です。実際には国際結婚や家族統合のための来日といった、いわゆる管理できない移住も増えているにも関わらず、入口をコントロールする入国管理政策は国際的にみても非常に厳格な形で整備されています。その半面、本来なら日本に定住する移民の適応に向けた支援、すなわち言語に代表される日本人と異なる特別な文化的ニーズ等に対応する教育、医療、福祉などの各種社会サービスなどの移民統合政策は、ほぼ皆無の状態です。そのため、既に日本にいる移民を取り巻く多くの社会問題が起きているので、このまま更に大規模な受け入れ拡大を進めることは極めて危険と言えるでしょう。

 

もちろん例外もたくさんありますが、一般的にみれば、日本では文化的なマイノリティの周縁化が深刻な問題です。例えば、生活保護受給率、低所得者の割合などが全国平均を上回っていることから、移民の貧困を読み取ることができます。これは、新しく移住してきた第一世代なら、よく見られる現象ですが、日本に特徴的な驚くべき実態は、場合によって全国平均の半分にも満たない高校及び大学進学率の低さです。つまり、第二世代以降も著しい貧困の再生産などの負の世代間連鎖が懸念されています。実は、これは、世界の移民研究において、きわめて珍しい現象です。また、このような状態はもちろん社会的な摩擦と不安に繋がりやすく、そのため更なる社会的な排除と結びつく悪循環を生むリスクも高いのです。

 

移民などの文化的なマイノリティの存在によって生じる、上記のような社会的な負担を軽減するための統合政策が欠如する理由の一つは、単一民族の神話です。具体的には、「日本人」と「外国人」という二分法で日本社会を捉えようとする建前です。このような考え方は琉球民族やアイヌの人々、そして在日コリアンに代表される旧植民地出身者及びその子孫のようなマイノリティの歴史を無視しています。また、現代の法治国家の枠組みでみた場合、「文化」や「民族」による分類ではなく、「日本国籍者」と「外国籍者」という法的な二分法に繋がり、日本社会の中に実際に潜んでいる多様性への適切な対応、真の取り組みを妨げています。第一に、国家レベルの統計では、帰化者や国際結婚において生まれた人々のように日本国籍をもつ文化的なマイノリティが不可視化されているため、多様性の本当の規模が見えていません。第二に、本来は文化的多様性による問題を、国籍による問題、つまり「外国人」の問題、更にいえば「(日本に関係のない)外の国(の人)」の問題として再構成する傾向も強くなります。このような捉え方は、一時的なデカセギによる臨時滞在を超えた定住化によるニーズに応えることができません。また、予算編成の上でも、いくら納税者とはいえ、非国籍者のための統合政策を公的財源で実施することも難しくなります。

 

最後に、好ましい統合政策の内容についても述べたいところですが、本稿の性質上、基本理念ともいえる対等性と、当事者参加の原理の説明に止めます。先述の「国籍」による二分法の問題にも関連しますが、様々な社会的な場面における対等な扱い方が保障されないと、移民などの文化的なマイノリティは不利益を被りやすく、社会的に弱い立場から抜け出せないのです。このような社会的な不利益は、底辺化・周縁化、更なる社会的な排除、即ち上述の悪循環現象の引き金となる可能性が高くなります。対等な扱い方は、社会サービス等に関する法の下での平等も含みますが、それよりも日本人と全く同じ扱いは必ずしも公平ではなく、真の平等(機会あるいは結果の平等)にならないということを意識しなければなりません。なぜなら、置かれている状況とニーズが異なるからです。要するに、一見平等に見える「みんな同じ」扱い方は、むしろ不平等を生みだし、あるいは既存の不平等を再生産、固定化してしまうだけだからです。例えば、馴染めない人に対して窓口における日本語や日本的な価値観などの文化規範の強要は、車椅子を利用している人に階段を上ることを求めるのと大して変わらないことで、真のバリアフリーにはなりません。結果的に、必要なサービスへのアクセスを妨げ、社会的な排除に繋がり、不平等を改善できません。

 

底辺化を防ぐために、公共の場を超えた社会全体、とりわけ重要な領域は、労働市場における不当な扱い方からの保護も欠かせません。このために、行政が区別化を強調・助長・強化しないと共に、民間部門における差別を明白に防止することが求められます。具体的には、国際条約の批准にも関わらず、日本において未だに欠如している差別禁止法、あるいは移民人権法の制定が望まれます。これは、国際的な批判を浴びながらも無理やり維持されてきた、そして現在拡大が検討されている、いわゆる「外国人研修・技能実習制度」と正反対の流れにあります。

 

このような法的な手段による、対等な扱い方の原理の最終的な徹底は、当事者参加の原理を前提としています。つまり、この場合は移民に関する統合政策、即ち、当事者である彼ら・彼女らの人生を大きく左右する、ありとあらゆる施策を策定する際に、計画から実施まで、なるべく全ての段階において当事者の声を反映させるということです。なぜならば、当事者のニーズを最もよくわかるのは、当事者自身であるからです。これは、米国における障がい者の権利運動から生まれた「Nothing About Us Without Us」という理念と同じです。日本語でその意をまとめると、「私達を参加させないまま、私達のことを決めないで」という考え方です。この考え方はもちろん倫理的な意義も大きいのですが、企画段階からの参画は当事者の意欲向上と動機づけにもなります。この場合は、先述したホスト社会の移民への対応と並行して、統合政策のもう一本の大黒柱ともいえる、移民によるホスト社会への適応に向けた努力について想像すると良いでしょう。もちろん、対等性と当事者参加の原理について考える上で、政治的な平等の獲得と、自分たちを巡る政策に対する意見表明の機会の確保という意味で、参政権に関する議論も避けて通れない課題ですが、詳しい説明は本稿の範囲を超えているため、割愛します。

 

本稿では、日本に既に住んでいる文化的なマイノリティとしての経験を基に、今後進むかもしれないより本格的な移民受け入れに向けた主要な課題について整理しました。民主主義国である日本では、移民受け入れ自体も、またそれに伴う統合政策も民意を基に実施されることが理想の形です。民意を形成するために、国民的な議論を展開する必要があります。このような議論の中では、現状と可能性について国民に対する適切な情報提供が求められ、国家行政の担当者の他に、政治家も、また専門職や研究者などの専門家も事実に基づいた啓発活動に専念する責任をもっています。本稿がこのような議論と啓発に役立つ一材料となれば幸いです。

 

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<ヴィラーグ ヴィクトル Virag Viktor >

2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学(文科三類)卒業、文学学士(社会学)。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士前期課程卒業(社会福祉学修士)、博士後期課程進学。在学中に、日本社会事業大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェローを経験。2011/12年度日本学術振興会特別研究員。2013年度渥美奨学生。専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。

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2014年6月18日配信