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エッセイ420:謝 志海「日本の大学改革、今でしょ!」

今年に入ってからずっと、理化学研究所の女性研究員の新細胞発表に関連するニュースが世間を騒がせている。その女性が2011年に早稲田大学に提出した博士論文について、早稲田大学が設置した調査委員会は先日、博士号の取り消しには当たらないと結論を出した。この結論の非常に興味深い所は「著作権侵害行為であり、かつ創作者誤認惹起行為といえる箇所」が11カ所もあるとした上で、博士号を認めたことである。これは早稲田大学の最終の結論ではないし、このエッセイではこれ以上女性研究員のことを議論しないが、日本の大学の存在意義とは何だろう?日本の大学の目指すのはどこなのだろう?と考えずにはいられない。

 

現在、日本の大学が力を入れているのは、世界の大学ランキングのランクを上げることと、グローバル人材を育成することであろう。この2つは実は同じゴールを目指している:大学がグローバル化すれば、大学のランクも上がると。このような大学の改革を日本政府が一生懸命後押ししている。文部科学省は大学をグローバル人材の育成機関にしようと「スーパーグローバル大学創設支援」を今年度からスタートし、すでに国公立私立大学から104校の応募があり、現在選考中である。こういった大学のグローバル化の波が押し寄せているからか、日本の雑誌はこぞって世界の大学ランキングとその中での日本の大学の位置を特集する。去年あたりから、本屋に行けば毎月どこかしらの雑誌が取り上げているのではないか。

 

世界の大学を格付けするランキングセンターはいくつかあり、評価する基準も微妙に違うので、ランクインする大学、順位もまちまちだが、それでも共通するのは、トップテンは米国と英国の大学が独占している。アメリカのアイビーリーグ、英国のオックスフォードとケンブリッジ大学がほぼ常にトップ10にいて、だいぶ間が空いてアジアのトップとして、東京大学、近年はそこにシンガポール国立大学、香港大学が追い上げ、その少し後に韓国のトップスクールや中国の北京大学、日本の京都大学と有名私立大学がひしめき合っているという様相だ。英語圏の大学は長年お決まりのように、トップにランクインし、アジア勢が毎年のランキングを意識し、必死で追い上げている。この構図は当分の間変わらないのではないかと、上述の早稲田大学の博士論文についての調査結果で、考えさせられてしまう。

 

大学の評価の一つに、英語の論文数がある。大学の総合ランキングの主流とされる英教育専門誌「THE (Times Higher Education) 世界大学ランキング」、英大学評価機関の「QS世界大学ランキング」、上海交通大学の「世界大学学術ランキング(ARWU)」 などは判断基準に入れている。同様に論文の引用された数もカウントされている。ということは、論文の質も問われるのであろう(この見解には賛否両論あるとも言われている)。日本の大学はこの論文に対しての認識が少々甘いのではないだろうか?すでに他人が書いた本やジャーナルの文章の一部を自分の論文で自分の意見のように語る事は許されない、それは盗用である。しかし自分の論文に他人の文章を載せて、誰がどこで(本やジャーナル等のメディア)掲載していたかという出所をはっきり明示すれば、それを引用と言う。このような当たり前の事を日本の大学生はいつ学んでいるのだろう?

 

例えばアメリカの大学では、どんなに小さな論文の宿題でも盗用(plagiarism)は認められない。それだけではない、書き方のフォーマットもきちんと決まっていて、引用した場合は出典を必ず論文の最後に記載する、その明示の仕方(引用文の作者、本や雑誌のタイトル、出版(掲載)された日付等の記載の順番)までもきちんとルールがある。大半の先生はこの論文のフォーマットが綺麗に仕上がっていないと、論文を読んでもくれない。つまりグレードをつけてもらえないのだ。こういった細かいルールを、アメリカの学生は大学に入学して最初に履修する一般教養から厳しく指導される。どのクラスを履修しても一度や二度は必ず、論文のフォーマットについてだけの授業の日を設けてくれる。シラバス(授業計画書)にも、必ず「盗用」のセクションがあり、盗用を見つけた時点で単位は認めないなどの厳しい注意書きがある。なので、生徒の方も論文を書くにあたっての一般的なルールだけでなく、先生が決めたルールにも敏感なのだ。博士論文で引用文の出所の明示を忘れましたというのが通用するわけがない。というか、博士課程の頃には、論文のフォーマットに関してはプロになっていると言っても過言ではない。そもそも学部・大学院を問わず、宿題やテストは何かにつけて書かせる課題が多いからだ。これがアメリカの大学は、入学は簡単だが卒業するのは難しいと言われる所以かもしれない。

 

一方、日本の大学は、入学試験は難しいが卒業するのは簡単と言われている。論文の書き方について明確なガイドラインが無いのであれば、気楽なものであろう。コピペ(コピー&ペースト)も罪悪感無くやってしまうのかもしれない。大学側がきちんと生徒を指導しなければ、生徒に責任を問うことも出来ない。しかも独創性の無い論文が手元に残ってしまったら、生徒にとっても学生時代の時間が無駄になる。特に博士論文は一生ついて回るのだ。大学としても、いい論文の数が減ってしまう。すなわちランキングに影響が出るのではないか?

 

日本の大学は今が改革の一番のチャンスかもしれないと、今回の早稲田大学の博士論文をめぐる調査委員会は教えてくれる。今後始まる「スーパーグローバル大学創設支援」を上手に利用すれば、英語圏や英語環境で経験を積んだ教授を招き、海外のスタンダードで授業を進めてもらうことが可能だ。世界の大学ランキングには「外国人教員の比率」もある。そこでのポイントを単に外国人教員の数を増やして稼ぐだけでなく、真にグローバルな人材を育成出来る教授を雇うべきだ。そうすれば、質の高い論文を出すことも出来るだろう。日本そしてアジアの大学が世界のトップ大学と肩を並べて戦えるようになるには、ランキングの基準を意識してポイントを稼ぐだけではいけない。大学を卒業する頃には学生ひとりひとりが規律性を持ち、異文化を理解して、多様性のある環境に溶け込める、そのような強い人材を育ててほしい。

 

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<謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai>

共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。

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2014年8月27日配信