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エッセイ330:シム チュンキャット「日本に「へえ~」その10: 大学入学試験で何を問うべきかについて問う」

出だしからいきなり質問ですが、さあお答えください。『清朝の皇帝の名との組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ』。

1.南京条約   - 康熙帝     2.南京条約   - 雍正帝
3.キャフタ条約 - 康熙帝     4.キャフタ条約 - 雍正帝

答えられましたか。正解は④です。正解の方、おめでとうございます。僕はダメでした。まあ、答えに出ていた二人の皇帝はともに清朝初期の名君だったので、19世紀に結ばれた南京条約とはおそらく関係ないのだろうと確信はありましたが、どちらがキャフタ条約を結んだのかはきれいさっぱり忘れてしまいました。僕だけでなく、周りの日本人の友人や、僕が今大学で教えている現役の大学生でさえ、同じ質問に正しく答えられた人は誰一人としていませんでした。逆に、「キャフタ条約って何?」、「康熙?雍正?どう読むの?誰でしたっけ?」と聞く人が多かったのです。実は、この質問は今年2012年度の大学入試センター試験の『世界史』の問題の一つです。つまり、今年の1月に大学進学を目指していて、試験科目として『世界史』を選んだ数万人もの日本の大学受験生が全員この質問に答えなければならなかったのです。何かおかしくないですか。

前から思っていたのですが、日本の試験問題というのは、とりわけ『世界史』や『日本史』のような事実や事件の積み重ねに関する科目の問題では、いつどこで誰が何をしたかというWhen-Where-Who-Whatのような質問がなんと多いことでしょう。反対に「なぜ?Why?」「どのように?How?」と、受験生たちに自分の考え方を書かせる質問は稀です。冒頭の問題を例に取ると、なぜその時代に雍正帝がキャフタ条約を結んだのか、その条約がどのようにアジアや世界の情勢に影響を与えたのか、そもそもなぜキャフタなのか、と質問したほうが、文科省がいつも唱えている「考える力」が育つのではないでしょうか。「キャフタ条約というと…?はい!雍正帝!」というような答え方では、まるでテレビの早押しクイズ番組に出てくるような、知っているか知らないかを聞くだけという程度の質問になってしまいます。早押しクイズ番組で問われているのは、たくさんの知識や単語をひたすら忍耐強く頭に詰め込んで暗記する力と、決められた時間内に誰よりもスピーディーにその覚えた知識を吐き出す力です。それらの力を、大学への入学を決める第一関門である入試センター試験の基準として使うようでは、日本はいったいどのような大学生を育てたいのかと考えてしまいます。

暗記力を否定するつもりはさらさらありませんが、あのアインシュタインも言ったように「本で調べられるものを、いちいち覚えておく必要などありません」。しかも、今の時代では調べる手段は本に限りません。例のキャフタ条約の問題を友人や教え子たちにぶつけたとき、ほとんどの人はすぐその場で掌中の携帯でググって、ものの20秒以内に正解にたどり着きました。調べればすぐにわかるようなことを、知っているか知らないかというだけで点数や合否が決まってしまう入試なんて、何か悲しくないですか。そんな試験で自分の将来が左右されるなんて、僕は絶対いやですね。

しかも日本の大学入試センター試験は全問マークシート方式の選択問題ですから、受験者の「考える力」と「学ぶ力」を測るということはより至難の業となりましょう。シンガポールでは、多肢選択による試験の出題は中学校でもほんの一部でしかありません。特に『数学』については、正解だけを求めさせる問題なんてほとんどありません。なぜなら、『数学』では正解よりもそこにたどり着く思考回路が重んじられているからです。たとえ最後の最後に回答が間違っていても、そこまでの思考ステップがちゃんと数式として書かれていればそれなりの点数がもらえます。おっちょこちょいでケアレスミスが多かった僕もそれでかなり救われました。逆に、回答が合っていても思考ステップが間違っていればゼロ点になるのです。そこで評価される力は、日本の大学入試センター試験のとは次元を異にするものであることがわかりますね。『英語』にしても然りです。近年でこそリスニング・テストも大学入試センター試験に導入されましたが、まだまだ受け身です。一番不思議なのが、『英語』の試験問題には英単語の発音やアクセントを紙面で問う問題もあるということです。イギリス英語とアメリカ英語とでは、発音もアクセントも変わるというのに、です。このような問題を解くために恐らく受験者たちの中には、英単語ごとにそれぞれの発音やアクセントを教科書通りにひたすら覚える人が多いのでしょうね。普段ろくに英語を使って話したりもしないというのに、です。何か虚しくないですか。

記述式の問題と違って、解答を選択肢から選んで解答用紙の番号を塗りつぶすだけのマークシート方式は、採点もコンピュータで行われるので非常にスピーディーで楽であることは重々わかっています。特に近年ではほとんどの大学が入試センター試験を利用しており、その受験者の数が50万人を超えていることを考えれば、効率性の高いマークシート方式を使いたくなるのもわかります。でもね、シンガポールの高校生が受けるイギリスのGCE ‘A’ Levelという大学入学資格試験でも、英連邦の国々の受験生の数を入れれば50万人どころではないのに、マークシートはほとんど使いません。記述式の問題が多いため、採点に大変時間がかかり、一般に成績発表まで2、3ヵ月も待たなければなりません。そこに費やされる労力と時間とコストは膨大なものになりますが、それでもそれだけの価値はあると僕は思います。速ければいいというものではないのです、人生における多くのことは。また、言うまでもなく試験による評価のあり方次第で、教え方も学び方も変わってくるのは当然でしょう。正解だけを答えさせるマークシートによる評価では、当然正解だけを求める人間が多く育ちます。英単語の発音やアクセントを紙面上だけで問う問題では、全部正解だとしてもただの「ペーパースピーカー」に過ぎません。無論、日本の大学の中には、とりわけ選抜度の高い大学ではGCE ‘A’
Level並みの入試問題を設ける大学もあります。しかしその数は非常に少なく、またほとんどが二次試験であるため、受験できる人数も限られます。おまけに、このような難関大学の多くも入試センター試験の成績を「足切り」として使うことから、日本の教育のあり方を方向づけるのはやはり第一関門である大学入試センター試験であることは疑いありません。「考える力」を育むはずのゆとり教育が日本でうまくいかなかったのも、大学への入学試験制度のあり方を変えなかったためであると僕は信じて疑いません。

最後に、アインシュタインの名言をもう一つ。「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ」と。試験のあり方にも正解はありませんが、試験でどのような「力」を問うべきなのかについて、この言葉が何かの考える糧になれれば幸いです。

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<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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2012年3月28日配信