SGRAかわらばん

エッセイ355:道上尚史「‘われわれ’という垣根を越えて」

8月以降の日韓の波風の中で思い出したことがある。1986年、日本経済が上り調子のころ、アメリカの識者が日本を批判した。「日本語という垣根の中で日本人だけで話しても、外に波紋を及ぼすことがある。日本人はそれに早く気づく必要がある」と。アメリカが日本に学べとその成功の秘密を研究した時期だ。「昔の日本はアメリカについてもっとひどいことを言っていました。でもその頃の日本は小さく、たいして重要でなかったので、そう気にしなかったんです」と彼は続ける。

 

当時私はやや不快に感じつつ、国際関係の現実はそういうものかとも思った。少なくとも冒頭の指摘は正しい。国内では「みなそう思っている」ことが外国には全く通じなかったり、かえって反発を招くことがある。外国に通じる合理的な説明が必要だ。それは譲歩でなく進歩だ。

 

同じ年、私が留学していたソウル大学で老教授いわく、「我々は日本をよく知っていると思いがちだが、そうでもない。他の国の方が日本をよく知っていることもある。韓国は実は日本をよく知らない。そこから始めよう。」

 

12年前、韓国の20代の青年から手紙をもらった。「韓国にとって日本との関係は<善と悪>だ。周囲の相当合理的な大人も、日本相手では非合理でよいと言う。独島が韓国領なのは数学の公理のように自明で、検証という発想も不純だという。これが大韓民国の現実だ。」

 

今回久しぶりに勤務した韓国は国際社会での活躍がめざましい。日本に対する姿勢は、新しい発想が芽生えたようでもあり、大きな進歩がないようでもある。

 

「中国に対しては外交儀礼を重視し、日本に対してはやりたいことをやるのか。中国が韓国を見下すわけだ」、「どの国も日本の底力を評価しているのに、韓国だけが日本を過小評価している」という知識人がいる。

 

島の件で韓国の見解に立ちながら、「サンフランシスコ講和条約、李承晩ライン等は(韓国にとり)簡単な論点ではない」という論文を見た。立場の差はあれ、日本が韓国に求めるのは、こういう客観的で掘り下げた冷静な姿勢だ。

 

一方で、冒頭の老教授や青年が指摘したような傾向も依然ある。日本政府は歴史からそっぽを向き、反省せず、慰安婦問題について何の取り組みもしてこなかったという人がいるが、事実をまっすぐ見てほしい。「植民地支配と侵略によって‥多大の損害と苦痛を与え」「痛切な反省の意‥心からのお詫びの気持ち」。1995年以降この総理談話が日本政府の一貫した立場だ。元慰安婦の方々にも歴代総理はおわびと反省を表明している。

 

島のことで日本が自国と違う立場を主張すること自体が帝国主義的侵略性であり歴史の反省の欠如だと非難することは、日本の良心的な人に対してもメッセージにならないだろう。

 

日本人は、自由民主の価値観を共にする友邦として韓国を見てきたし、韓国の言葉や歴史や文化への関心はずいぶん高まった。よいことだ。だが、素朴な韓流ファンや韓国を非常に重視する人たちの多くが、驚き失望した。

 

国どうし、立場の対立はつきものであって、合理的建設的平和的な議論が肝要だ。それには勇気と自己批判力がいる。国内での通念や「国民情緒」に反しても、事実を謙虚に直視する必要がある。これが真の愛国であり、これでこそ相手を動かす力になる。「開かれた心、事実そのまま」「敬意と礼儀」は国際理解と友好交流の基本だ。

 

日本も、多くの葛藤や苦痛な作業を克服して上記の歴史認識に至った。ただ日本にも課題はある。「ウリ(我々)」という小さな垣根をこえたところにさらなる成長の道があるのは、韓国も日本も同じだ。

 

日韓両国ともに謙虚に事実を見、感情的な言動を自制し、合理的な論議を大幅に増やし、連携協力を強化していこう。

 

*このエッセイのハングル版は、9月24日のハンギョレ新聞(「『ウリ』という垣根を越えて」)に掲載されました。

 

 

———————————
<道上尚史(みちがみ ひさし)☆ MICHIGAMI Hisashi>
1958年大阪生れ。東京大学法学部卒、ソウル大学外交学科を経てハーバード大学修士。外務省にてアジア局、経済協力局、大臣官房、在ジュネーブ代表部(WTO)、在韓国大使館参事官、経済局国際経済第二課長、在中国大使館公使、在韓国大使館公使(公報文化院長)。『日本外交官 韓国奮闘記』(文春新書)、『外交官が見た中国人の対日観』(文春新書)等、発表論文多数。韓国の17大学、中国の10大学、日本の4大学で講義・講演。
———————————

 

 

2012年10月17日配信