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エッセイ270:孟 子敏「アメリカ印象記(前編)」

0.はじめに

ハーバード大学での研修のため、2009年8月30日に渡米して、マサチューセッツ(Massachusetts)州の州都のボストン(Boston)に到着しましたが、間もなく一年になります。

ある日、友人とハーバード(Harvard)広場(狭い三角地である)の近くにあるベトナム料理の店で昼ご飯を食べていたとき、その友人が「アメリカについてどんな新鮮な印象がありますか。」と聞きました。ちょうどその前の数日間、私はその問題を考えていたのですが、「アメリカに来てから、最も大きな新鮮な印象は新鮮な印象がほとんどないことでしょう。」と答えました。何故ならば、目に入る様々なことは日本で暮らしてきた私にとってどれも極くごく普通だったからです。例えば、中国から来た客員研究員たちは、アメリカの空気や街がいかに綺麗かと口を極めて賛美するのですが、私にはアメリカの空気は日本とほとんど変わらないと感じますし、街の綺麗さに関しても、もちろん綺麗なところもあるし、素敵なところもありますが、街やバス、地下鉄の中には、吸い殻や新聞、コップなどが散らばっていますし、街を歩いていても汚い所をよく目にするのです。極端な例ですが、ニューヨークの地下鉄の駅では、ネズミが大活躍していたりもします。また、郊外にある町は静かで落ち着いていますが、都会では、バスやトラック、消防車、飛行機などが出す騒音が混じり合って、耳が痛くなるほどです。ニューヨークに行けば、騒音はもっともっと酷くなります。ニューヨークを形容するのに、私は「毎日911のようだ」とよく言います。私は勝手にこれは名言ではないかと考えています。

新鮮な印象がないことがもっとも印象的なのですが、それでもアメリカについては、幾つかの印象深い点があります。まだ完璧に纏めるのは難しいですが、とりあえず以下のように述べてみましょう。

1.アメリカの読書が好きな都市

1999年、私は日本の松山大学へ赴任しました。最初の半年ぐらいの頃ですが、バスや地下鉄、飛行機の中で、多くの人が本や新聞、漫画を読んでいることに気づきました。その時、世界広しと言えども、このような風景はあまり無いのではないかと思い、日本人が本を愛読することにつくづく感心しました。

去年、ボストンで初めてバスと地下鉄に乗った時、日本のような読書風景を再び目にしました。そこで、私がよく乗る77番バス(私のマンションからハーバード大学への直通バス)と赤ラインの地下鉄を対象として調査してみました。その結果によると、本や新聞を読んでいる人は乗客の約50%を占めました。漫画を読んでいる人がいたかどうかは分かりませんでした。因みに、オレンジラインの地下鉄では本などを読む人は少なくなるかもしれません。レストランで読書する人もいますが、地下鉄の中で読書する人の多さには遠く及ばないようです。

他の都市ではどうでしょうか。
ラスベガス(Las Vegas)で、バスに乗ってみましたが、本を読んでいる人を目にすることはありませんでした。
ニューヨークでは、バスに乗るチャンスがありませんでしたが、地下鉄には十数回乗りました。そこでは、新聞を読んでいる風景を2回だけ目にしました。
ワシントン(Washington D.C.)でも、バスに乗るチャンスは無かったのですが、地下鉄には8回乗り、旅行ガイドブックを読んでいる人を3回目撃しました。
マイアミ(Miami)では、バスに乗るチャンスはやはり無かったのですが、2時間の散策をしました。至るところで、水着を着ている男女が車やバイクを運転したり、買い物したり、散歩したり、レストランで食事したりする風景ばかりで、本を読んでいる人は目にしませんでした。

なぜボストンではバスや地下鉄で本を読む人が多いのでしょうか。その一つの理由は、文化や学術都市として名高いボストンに、ハーバードやマサチューセッツ工科大学(MIT)をはじめ、著名な大学や学院が多数存在することと関係するのでしょう。本と関係がある生活を送る学生や先生が沢山いるから、本を読む人が多くなるという当たり前すぎることかも知れません。ボストンは落ち着いた静かな都市で、学習や研究をしたければ、最適なところだと私は思います。

2.略奪することが好きな国

現在のアメリカ大陸は、本来ネイティブアメリカン(インディアン部族)に属する土地でした。1775年マサチューセッツのレキシントン(Lexington、私が住んでいるアーリントン(Arlington)の隣)で庶民達(Minuteman)が武装蜂起し、その翌年にアメリカは独立を宣言しました。その後の数十年で、アメリカ合衆国政府は土地を奪う残酷な争いを行ない、ネイティブアメリカンを徒歩でミシシッピ川以西の土地に強制的に移住させ、途中でたくさんの人(ある調査によると、約8000人)が死亡しました。入植した白人もネイティブアメリカンも涙を流し、その悲惨さを表現する言葉として「涙の道」(Trail of Tears)が生まれました。

その後も、アメリカはネイティブアメリカンを徹底的に排除し、アメリカの当時の勢力範囲外であった西部地域に強制的に移住させました。現在、ネイティブアメリカンは各地に散在するかたちで、極めて貧困な生活を送っています。因みに、ネイティブアメリカン(以下、インディアンと言う)の人口について、記録によると、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus )が最初にアメリカに到達した時、約3000万人であったが、1920年には、約30万人に減少していた。現在、2003年のアメリカ国勢調査によると、アメリカ全体のインディアンの人口は2,786,652名で、その三分の一が、3つの州に居住している(カリフォルニア州413,382名、アリゾナ州294,137名、オクラホマ州279,559名)そうです。2010年のアメリカ国勢調査の結果はまだ公表されていません。州名について言えば、約半分の24州はインディアン語で、例えば、Kansas、Massachusetts、Mississippiです。これはアメリカがインディアンの土地を略奪した証拠と言えるでしょう。2009年、私はアメリカ大陸を横断中に、数箇所のネイティブアメリカンの部族を訪ねましたが、彼らの皮膚や顔は我々とほとんど違いがありませんでした。

土地を略奪したアメリカは、最初に13の州を置きましたが、その後、各地において侵略、割譲、買収などの手段が取られ、アメリカの国旗は13星から50星に変わりました。

国旗といえば、アメリカ、特に東部の所謂ニューイングランド地域では国旗を掲揚することに熱心で、公共的な場所だけでなく庶民の住宅でも、巨大な国旗から小さい国旗まで様々なサイズの国旗を様々な形で掲げています。去年、ボストンに着いたとき、この風景に本当に驚き、アメリカ人のそのような強い愛国心に感心しました。しかし、毎日このような風景を「鑑賞」していたら、だんだん言うに言われぬ圧迫感を感じるようになってしまいました。
そして、今年の7月、マイカーでフロリダ州に行く途中で、ものすごく大きな国旗を見た時に、アメリカが未だに星条旗を用いて略奪して得たこの土地の主権を示していることに突然気づいたのです。アメリカはひょっとしたら、ビクビクしているのかも知れません。(つづく)

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<孟子敏(もう・しびん)☆ Meng Zimin>
山東大学(学士・修士)。北京言語学院準教授、北京語言文化大学学術委員会事務局長等を経、松山大学に外国人特別講師として赴任。筑波大学で博士号取得後、松山大学教授。専門は現代中国語。
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2010年11月17日配信