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エッセイ108:ボルジギン・ブレンサイン「『高度な自治』はチベットだけの問題ではない」

2007年10月のアメリカ議会での「議会名誉黄金章」受賞をきっかけに、ダライ・ラマの活動はますます活発になっている。ダライ・ラマは、行く先々で、チベットが中国に対して求めているものは、中国の主権下における「意味ある自治」または「高度な自治」だと宣言しており、チベットの独立を否定する発言を繰り返している。この問題をめぐっては、1980年代から亡命政権の代表と中国政府高官が6回にわたって話し合いをしているといわれているが、状況は一向に進展しているようにはみえない。両者の話し合いの内容は公表されていないが、核心はおそらく、年配のダライ・ラマが如何に体面を保ちながらチベットに帰還できるか、そしてダライ・ラマが帰還した後のチベットは一体どんな状態であるべきなのか、といった問題にほかならないであろう。そこで気になるのは、ダライ・ラマ側が求める「高度な自治」とはいったい何を指し、一方の中国にとっての「高度な自治」とは何を意味するものなのか、ということである。

 

ダライ・ラマ側が求める「高度な自治」とは、例えてみれば清朝時代における清朝政府と外藩―つまりモンゴルやチベット―との関係そのものである。それは、軍事と外交を除くあらゆる権限が与えられた「間接統治」といわれるものであり、現代中国の中央政府と少数民族自治区との関係とは本質的に異なるものである。

 

周知ように、現代中国の五つの少数民族自治区(内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル族自治区、寧夏回族自治区、広西壮族自治区)はその他の省、直轄市と同等なレベルの行政区域に過ぎず、多くの意味においてはそれ以上に中央政府の関与を受けている。これらの少数民族自治区と中央政府との「直接統治」の関係は、それぞれが中央政府の統治を受け始めたときから確定されたものなのかというと、事実はそのようにも思えない。例えば、中華人民共和国の建国より二年前につくられた内モンゴル自治政府は自前の軍隊までもつ、それこそ「高度な自治政府」であり、現在の同自治区と中央政府との関係とは比べられない独自性があった。チベットが中国共産党の統治を受け始めた時の当事者であったダライ・ラマ十四世の目にも当時の中央政府からの約束とその後の現実との間に大きな隔たりがあるのであろう。そしてダライ・ラマはそれを取り戻したいと努力していると理解することができる。

 

しかし、一方の中国政府からすれば、チベットに「高度な自治」を与えることは、少なくとも「自治政治」のレベルを、国民党と天下争奪をしていた時の「気前のいい」状態に戻すことを意味し、ひいて言えば漢民族を除く55の少数民族全体の処遇をもう一度見直すことになる。チベットにだけ高度な自治が与えられ、ほかの少数民族は現状維持では、中国の民族関係はさらに複雑化するに違いない。チベット亡命政府との話し合いに消極的で、中国の主権下での「意味ある自治」と明確に訴えているにもかかわらず、ダライ・ラマを分離分子と非難している中国政府の姿勢の背景にはこうした事情が潜んでいるであろう。

 

しかし、考え方を変えて、チベット問題の解決を機に、中国が建国半世紀以上経った区域自治政治を原点に戻してもう一度考え直し、新たな時代に相応しい少数民族政策を打ち出すことになるなら、それも大きいな政治的資産をつくることになるであろう。少数民族の分離独立の動きを押さえるもっとも有効的な手段はほかでもなく、中国の中で彼らが自らの文化を温存しながら生きることができて、誇りと尊厳を取り戻し、経済発展で豊かになったことを実感できる生活空間を与えることだ。今の中国にはそれを実現するだけの余裕は充分ある。

 

ところが奇妙なことに、中国には「高度な自治」が存在する。しかもそれは多民族国家ならではの少数民族統治とは縁のないところに存在していることに注目したい。それは香港と澳門の「特別行政区」と台湾問題を解決する枠組みだとされる「一国二制度」である。列強に虐げられた長い植民地時代への清算と国家統一という至上命題を実現するために打ち出された枠組みであろうが、その発想の出所はまさに清朝時代の「間接統治」であり、長く蓄積された異民族統治の知恵が転用されたことは明らかである。

 

中国は、かつて中国と争ってきたモンゴル人や満洲人など周辺少数民族のほとんどを統治下に治めたので、これらの異民族にいまさら「高度な自治」などを与える必要性はなくなった。現在中国の国家統一の障害となっているのは同じ漢民族内部の問題であり(台湾問題)、さらに中国にとっては少数民族問題よりも本土における地域間の経済格差問題の方がより統治の脅威となっている。「高度な自治」という異民族統治から生まれた知恵が今度は少数民族問題ではなく、漢民族内部の問題を解決する道具となりつつある。

 

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<ボルジギン・ブレンサイン ☆ Borjigin Burensain>
1984年内モンゴル大学文学部卒業;1984年~1992年内モンゴルラジオ放送局記者;1996年早稲田大学大学院文学研究科より修士号、2001年博士号取得;早稲田大学モンゴル研究所客員研究員を経て、2005年より滋賀県立大学人間文化学部准教授。SGRA会員。
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