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エッセイ107:玄 承洙「教室雑感」

私が東京大学大学院で留学を始めた頃の話である。専攻上の必要からアラビア語を勉強しなければならなかったため、基本文法を教える学部生向けのアラビア語教養講座の授業に出ることにした。しかし、初めて目にした日本の大学授業の風景はそれこそ衝撃の連続であった。教室ではまったく講義らしきものが行われていなかった。学生たちの大半は居眠りをしていたり平気で雑談をしていた。授業中にいきなり携帯の着信音が鳴ったかと思いきや、学生は「ちょっと待ってな〜」と言いながら、先生の前を横切って教室から出て行った。もっとショックだったのは教師の態度であった。おそらく他大学から教えに来ていたと思しきあの男性講師は、困った顔でこういっていたからである。「皆さん、あと15分で終わるから我慢してくださいね。あと15分ですよ。」

 

9年間の日本留学も無事に終わり、待望の博士号を取得して帰国した。韓国の大学を取り巻く厳しいニュースは日本にいた頃から聞いてはいた。だが、帰国して本格的に学術活動を開始してみると、研究者の就職活動や研究環境が想像以上に厳しいことがつくづく感じられた。少子化現象もあって学生数は毎年減っているのに、修士や博士号をもっている人の数は増える一方である。要するに、需要より供給が過剰なわけである。政府は10年前から「高等失業者」を救済するという目標の下、学術振興財団を通していろんな研究プロジェクトを設けて研究者を公募している。今の韓国の博士号所持者の大半はこの「学進課題」に大いに頼っているといっても過言ではない。逆にいうと、研究者個人であれ、集団であれ、毎年行われる数個の「学進課題」に採用されなければ、食べていけないのである。週にいくつかの授業を担当しても、それだけでは生計を立てることはできない。

 

それで、この大学授業についてである。冬学期が始まり、本格的に授業を担当することになった。ありがたいことに周囲の先生たちや知人の配慮もあって、4つの授業を担うことになったが、そのうち1つはいま住んでいるソウルからかなり離れた地方大学での講義である。週に1回、高速バスに乗って片道4時間の長道である。たったの3時間の授業をおこなうために路上で8時間も過ごさなければいけない。だが、私を悩ませるのは、決してその長い通勤時間ではない。学生たちの態度である。いや、より正確に言うならば、どうやって学生たちに接すればいいかという問題なのである。

 

私は基本的に子供が好きである。若い人たちに(自分もまだ若いとは思っているが)接することも楽しい。彼らと考え方を共有し、彼らの質問に答え、彼らの将来についていっしょに考えるのが好きである。しかし、こうした私の期待は時間がたつにつれ少しずつ失望に変わっている。学生全員ではないが、多くの大学生たちがなぜか学問にたいしてあまり意欲を見せない。学問的な好奇心もあまり感じられない。教壇にたっている教師をだる〜い視線で眺めている。彼らから少し視線をそらすと、すぐ携帯で何かを操作している。冗談とかで彼らの注意を喚起しても、長くて10分ももたない。授業のために何日もかけてビジュアル資料を用意して使うが、すぐ飽きた顔をしてアクビをしたりする。

 

こうした私の悩みを先輩の講師たちに話した。私の教授法にどこか大きな間違いでもあるのではないかという不安を吐露した。すると、講師歴15年のベテラン先輩はこう言った。「どこの授業も大抵そのようなものさ。いくら面白い動画を見せ、繰り返し冗談を連発したって学生からはすぐ飽きられるんだよ。大学で教えるべきものは、興味を誘発するだけでは続けられないような内容なんだ。講義はテレビのお笑い番組ではないんだよ。」先輩はこうも言った。「最初は学生たち全員を公平に扱わなければならないと考え、ついて来られないやつらを見ていらいらするかも知らない。けれど、どうせ全員向けの授業なんてできやしない。寝ているやつらは放っとけばいいんだ。大きな声で雑談をして周りに迷惑をかけない限り、彼らをいちいち注意することなんて無理さ。慣れてくれば何でもないんだよ。」

 

しかし、講師歴たったの4ヶ月に過ぎない私にとっては、とうていそうはいかない。先日の授業ではロシアの歴史を紹介する水準の高いドキュメンタリー映画を見せながら授業を続けていた。だが、映画が始まって20分もたたない時点でビデオを止めてしまった。150人を超える学生のうち3分の2以上が寝ていたからである。不快感を顔に浮かべつつ拍手を打って学生たちの目を覚ました。そして彼らを叱った。「若々しい20代の君たちがなぜにこうも、うとうとしているのか、先生はどうしても理解できないんだ。一学期300万ウォンもする学費がもったいなくないのか。適当に時間を費やし、適当に満足できそうな成績をあげ、適当な人生を過ごそうと思っていいのか。授業の内容が気に食わなかったら、素直に言いなさい。質問をさせても閉口で一貫し、機会さえあれば寝ることばかりにしか興味のないような君たちがかわいそうでしかたないんだ」と。

 

私はまだ教師としての経験が浅い。学生たちの興味を誘発するのに精一杯で、進度もなかなか進まない。学生たちにアクビさせないほどのテクニックなんて持っていない。しかし、いま私たちの教育現場に充溢した危機感を、ただ教師や学生の資質だけに求めるべきではない。激しい民主化の流れにより社会はいろんなところで肯定的な変化を遂げたが、同時に社会全体において拝金主義と権威の喪失を深めた。なくすべきは権威主義であって権威そのものではないのに、権威というものはもうどこにもない。子供たちの前で父兄が教師を暴行したというニュースもたびたび聞こえる。体罰をする教師を携帯で撮影し、インターネットに流布する学生も増えている。こうした社会的風潮のなかで教師は師としての権威を喪失し、単純な知識の商売者に転落してしまったのではないか。

 

10年前に日本の大学で目撃した教室風景は、いま韓国でそのまま再現されている。もちろん韓国が日本を真似しているわけではない。何もかもがビジネスになってしまった時世のせいでもあるのだ。教育の価値を経済的な価値に換算して評価しがちな時勢のためであろう。教育の中心を教師ではなく学生が占め始めてから、教師は学生に教育を「サービス」しなければならず、教師と学生の区別が曖昧になり、一切の権威が崩壊した教室は知識を売る市場に化してしまったのではないか、と私は考えている。

 

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<玄承洙(ヒョン・スンス)☆ Seungsoo HYUN>
2007年東京大学総合文化研究科より博士学位取得(『チェチェン紛争とイスラーム』)。専門はロシア及び中央ユーラシアのイスラーム主義過激派問題。現在は韓国外国語大学の中央アジア研究所で研究員として務めている。SGRA会員。
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