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エッセイ106:高 煕卓「2007年韓国大統領選挙を見て(その2)」

韓国の2007年大統領選挙(大選)では10年ぶりに与野党の政権交代が起こった。その直後、多くのマスメディアでは投票行動における一定の世代や理念の影響力低下といった傾向を主要な特徴として取り挙げていた。長く続いた保守系政党の長期執権に終止符が打たれ政権交代が実現した前々回(1997年、金大中氏)、そして前回(2002年、慮武鉉氏)の大選においては、彼らの「民族」や「民主」、あるいは「平等」などの理念的志向に共感する3、40代を含む多くの若い世代の人びとの存在が大きかった。が、今回の大選ではそうならなかったわけだ。

 

それは大選後の世論調査でも表われている。1980年代の民主化運動の流れのなかで市民の力によって創立された、いわば進歩系新聞の代表格のハンギョレ新聞の世論調査によると、2002年の大選で慮武鉉氏に投票した人びとのなかで今回李明博氏の支持へと変えた人が約41%に至るという。

 

ところで、その記事で印象的だったのは、「民心読み」という新年初の連続企画記事のタイトルであった。この世論調査はじつは昨年末に行われたものだった。が、まさにそのタイトルに象徴されているように、今回の大選結果もさることながら、集団転向と呼ばれそうな上記の世論調査結果がいかにも衝撃的だったようだ。そのタイトルは「民心を読み誤り、そこから離れていた」といった自覚の裏返しであったといえる。

 

では、こうした一方の「民心離反」と他方の「民心の読み誤り」はいかに生じ、またその間隔は何を意味するものだろうか。

 

そこには、単純化を恐れずにいえば、現政権の5年間だけでなく、この10余年間に進行した韓国社会における一種の中産層の解体とそれに伴う政治意識の変動といった構造的問題が横たわっているのではないだろうか。

 

その理解のために、とくにバブル崩壊とIMF事態を経て政権交代に至った1997年前後に遡って振り返ってみる必要があると思う。まだ記憶に新しいが、今から10年前頃は、アジア金融危機が広がるなか、韓国経済がバブル崩壊とともに国家的破綻の危機に直面し、国際金融機構IMFからの金融支援を受けざるをえなくなっていた。が、他方では、そのような状況のなかで進歩系野党候補の金大中氏が大選で当選し、政権交代が現実した時期でもあった。

 

1997年の大選で金大中氏が選ばれたのは、それまで経済成長を主導してきた勢力の経済政策の失敗や判断錯誤への責任を、より公共的な位置から問う意味合いが大きかった。それまでの経済成長の戦略的・制度的修正だけでなく、そのなかで後回しにされていた疎外や格差といったいわば開発独裁の影の部分の是正を通じて、名実相応の「国民国家」の完成を図るといった、金大中氏の国家戦略が効いたのだ。「国民の政府」と自称していた金大中政権において地域間、階層間、さらには南北間の「均衡」が盛んに謳われたのはそのためであったと思う。

 

そして2002年の大選で慮武鉉氏が選ばれたのも、大きくいって、その延長線上のものといってよい。さらには「人」の斬新さも一役買われたこともあって、前政権の「均衡」政策だけでなく、いわば権威主義や排他主義に集約される韓国社会の古い体質を変えて、より対話的な探求を可能にするといった意味での「民主」を押し通したのが効いたような気がする。現政権は自らを「参与政府」と自称していたし、今は別名に変わったが、当時の政党名が「開かれたウリ(我々)党」だったのもその象徴であった。「均衡と参与」によって、あらゆる国民が自らの政府の主人となり、官民ともに国家の未来を開いていくといった現政権出帆当時の鳥瞰図は、ある意味では鮮やかな絵を見るかのようだった。

 

だが、政権交代の機会を提供した経済危機が執権後には大きな負担であるといったジレンマを十分に認識していたとは思えない。バブル崩壊とIMF事態がそれまで高度経済成長を持続させてきた韓国経済の根幹を大きく揺るがしたことの政治的意味を重く受け止めていなかったような気がする。

 

その一つ、大量失業の事態と生活上の危機。多くの大小企業の倒産が相次ぎ、また生き残った企業や金融機関の構造調整のために合併や整理解雇などが行われた。それまでの60代停年といった雇用安定の構造が壊れ、私の周りでも50代さらには40代に職場から追い出される人が続出したし、また若い人々にとっての就職は前例のないほどの厳しいものになっていった。

 

その二つ、両極化の深化と無限競争の一般化。IMFによる金融支援は体質的問題とされた韓国経済の不透明で閉鎖的な構造を改革することが義務付けられたものであった。それに則って金大中政権の初期から経済構造改革が進められるなかで、いわばグローバル・スタンダードは急激に一般化していった。が、被雇用者側からみれば、それは国内外の境界が無くなった状況での勝ち組と負け組みとの鮮明な区分けを意味し、またその勝敗をめぐる競争の激化を体感させるものでもあった。

 

その三つ、急転直下による心理的恐慌。バブル崩壊直前まで多くの人びとは、ある意味では膨張する欲望のまま振りまわっていた。「シャンパンを抜くのが早すぎたのではないか」といった憂慮が国外から指摘されてもいたが、むしろOECDの仲間入りに国家的に歓呼していたほどだった。それだけに、その急転直下の辛酸を直接に嘗めた人々の過酷な現実はいうに及ばず、間接に体験した人びとの不安や恐怖の大きさも計り知ることができないかもしれない。バブルの酔いからまだ目覚めないうちにまさに上記の二つの事態に見舞われただけに、階層や地域によって速度差はあったものの、韓国社会の全般に危機感を高めていったのだ。

 

その意味で現政権の5年間は、こうした危機感の漸増とともにそれまでの精神的余裕が蝕まれていった状況のなかで、その事態の意味の「読み誤り」と「民心離反」が繰り返された時期でもあった。経済的・社会的弱者を保護するために構想された不動産政策や教育政策などの現政権の代表的な政策が、かえって逆効果となり、人々から典型的な失政として反発を買っていたというアイロニーは、まさにこうした状況のなかから生み出されていた。

 

それにしても、今回の圧倒的票差による李明博氏の当選を単に「保守化」と断定してよいとは思わない。アマチュアリズムや「口先だけの政治」といった批判に象徴されているように、いわば保守か進歩かといった「理念」の問題としてではなく、むしろそれ以前の問題として捉えられていたと思う。状況認識に長けた李氏の当選はこの意味では当然だった。

 

だが、その分、新政権も現政権と同様の負担から自由ではない。まして、曲がりなりにもこの10年間における「国民の政府」や「参与政府」の経験をもつ人びとを前にして、単なる後戻りが許されるとは思わない。その意味で新政権は、従来の保守と進歩がごちゃ混ぜになったような国政運営をせざるをえなくなるのではないか、というのがこの頃の私の感想である。

 

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<高 煕卓(こう ひたく)☆ KO HEE-TAK>
2000年度渥美奨学生、2004年東京大学総合文化研究科より博士学位取得(『近世日本思想における公共探求』)。専門は近世近代日本思想史。最近の関心分野は東アジア比較思想文化、グローバル時代における文化交流の理論と実際など。国際NGO=WCO(World Culture Open、本部はニューヨーク)調査研究機関の一つとしてのGlocal Culture Research Institute(ソウル所在)のディレクターを務める。2007年11月より高麗大学日本学研究センター研究教授。SGRA地球市民研究チームのチーフ。