SGRAかわらばん

エッセイ180:今西淳子「異文化に学ぶ」

おかげさまで、2008年の1年間に、127号から221号まで、SGRAかわらばんを94回配信することができました。エッセイを書いてくださった皆様に、そして、そのエッセイを読んでくださった大勢の皆様、時にはコメントを送ってくださった皆様に、心から御礼申し上げます。そして、SGRAエッセイはどなたにも書いていただけますので、皆様からの投稿をお待ちしています。新年は1週間お休みをいただき、1月9日(金)から配信いたします。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

 

今年最後のエッセイに、異文化に接して心に残ったことをお伝えします。

 

○イギリスに学ぶこと

 

ゆるやかな丘が続き、羊の群れが何故か冬でも緑の牧草を食んでいる。その隣の柵の中には防寒用の毛布をかけたサラブレッド。遠くの丘の上のすっかり葉が落ちた木々の向こうに夕日が沈んでいく。れんが造りの農家がひっそりと固まって建っている。典型的なイギリスの農村風景は完璧に美しいと思った。

 

2008年2月、ニューカッスルで開催される会議の前に、SGRA研究員のブレンダさんをロビンフットで有名なノティンガムに訪ねることにしたので、電車でイギリス国内を移動することにした。事前に購入するとかなり安いので、日本からオンラインで切符を購入した。本当に便利だ。

 

イギリスの駅の自動発券機に予約番号をいれると発券される仕組み。ヨーロッパからの電車ユーロスターが着くロンドンのセント・パンクラス駅からノティンガムまでの電車は快適だった。だけど、快適はそこまで。ノッティンガムからラグビー経由の電車はキャンセル。何の表示もないので、切符売り場に行って尋ねて、その代わりに乗りなさいといわれた電車に乗って、別の駅で乗り換えることになったが、その次の電車もキャンセル。そこでも何の表示もないので、駅員に聞くと、次のエジンバラ行きに乗りなさいと、特別のことではないように言われ、指定されたホームに次にきたがらがらの電車に乗って適当に空いている席に座って、「これでいいのかなあ」と思いながら、まわってきた車掌さんに前に買った切符を見せても、別に何の質問もなし。これって当たり前?

 

こんな思いをしたので、ニューカッスルからロンドンへの帰りは飛行機を使うことにした。オンラインで切符を購入し、前日には航空会社から「予定通りですか?オンラインチェックインをしますか?空港への交通は大丈夫ですか?」という非常に親切なメールまできたので、指定座席のはいった搭乗券をプリントアウトして、あとは空港へ行くだけ、準備万端。ところが出発4時間前になってメールが届く。「あなたのフライトはキャンセルになりました」と。素晴らしいオンライン・システムもいいけど、インフラ自体をどうにかしてほしい!

 

まだ切符があったので、もとの計画通り電車でロンドンに戻ることにした。ニューカッスル駅には予定通りの電車が待っていたので一安心。電車も予定時刻に発車しほっとした時、「この電車は途中で線路の工事のために、その区間はバスの振替になります」とのアナウンス。そしてその駅に着いたのだが、アナウンスは「この電車は○○行きになります」というだけ。おそらく戻るという意味なのだが、旅行者にはそれもよくわからずとまどうばかり。でも殆どの人が降りるので人の溢れるホームに降りて、人の流れに沿って出口へ向かう。階段を下りて地下道をくぐって、また階段をあがって駅前の広場に出たのだが、その光景は忘れられない。そこには、おそらく数百名の人が振替バスに乗るのを待っていたが、何の表示もなく、係員もいないのに、整然と列を作って並んで待っているのだ。ジグザグ状の列だが、ロープがはっているわけでもないのに、誰ひとりショートカットをしようともしない。誰ひとり文句を言わず、静かに並んでいる。これって、本当に凄いと思った。

 

冒頭の完璧に美しいと思った農村風景は、その振替バスの中から見たものだ。この美しさとこの不便さがイギリスだと思った。このように皆あきらめの境地になって文句も言わないのは、いつまでも物事が改善されないという悪循環を招いているかもしれない。それにしても、あの状況でひとりも列に割り込もうとしない社会規範意識の高さはイギリスに学ぶべきだと思った。

 

○イタリアに学ぶこと

 

2008年8月、会議は、花の都フィレンツェの町の中心部、聖マリア大聖堂からすぐ近くの、有名なルネッサンスの建築家ブルネルスキの設計した、世界で一番古い孤児院といわれる建物の中で行われていた。最終日、午後3時に終わるはずの会議は、延々と続き、や~っと終わったのは午後7時。15世紀の建物ゆえ、大会議室に持ち込んだレンタルの冷房は殆ど効かず、猛暑の中の長い会議で出席者は疲れ果てていた。

 

でも、これから最後のお別れパーティーが、建物の前のピアッツァ(広場)で開催される。皆ドレスアップしなければならない。5時間も遅れて一体パーティーはどうなるのだろう、お料理はどうなっているのだろうと心配になる。ところが、イタリア人のホストは、全くあせらない。「皆さん、急がなくても大丈夫。ゆっくりシャワーをして、準備ができたら広場に集まってください」とのアナウンス。この一言で、皆どんなにほっとしたことか。何時に集まれという指示はなかったけど、人々は三々五々集まりはじめ、食前酒を飲みながら会話を楽しみ、いよいよパーティーが始まったのは9時を過ぎていたかもしれない。それからもパーティーは続き、真夜中の12時ころにはまだダンスのまっ盛り。フィレンツェの町の真ん中の公共の広場の話ですよ。

 

最初に送られてきた案内状には、「建物の前の広場の階段には、ホームレスさんが寝ているかもしれないから、踏みつけないようにご用心」とあった。ところが、会議に参加した若者たちは、毎晩その広場で朝までたむろしていた。私のホテルの部屋まで、毎日明け方まで騒ぎが聞こえてきていた。あまりの煩さに、ホームレスさんたちは、会議の期間中、この場所からでていったらしい。「おかげで、もめごとがおきなくて良かった」とイタリア人のホストが笑っていた。逆に朝になると若者たちが残した空きビンなどが問題であった。でも、イタリア人のホストは、そこでジュニアたちを呼びつけて叱るようなことはなかった。次の日のニュースレターで、Before と Afterの写真を載せただけだった。

 

念のために付け加えると、イタリア人のホストたちは本当に働き者だった。そして会議も時間通り、スムーズに進行していた。最終日の会議が伸びたのは、会議の内容が複雑で全部こなすための手続きに時間がかかったから。イタリア人のホストがルーズだったわけでは全くない。会議の参加者が気持ちよく過ごすことを最優先するホスピタリティ精神、参加者の要求に対して、いつも明るく、ユーモアを交えながら、やや控えめに接する態度、そして、何か不都合がおきた時のおおらかで柔軟な対応は、イタリアに学ぶべきだと思った。

 

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<今西淳子(いまにし・じゅんこ☆IMANISHI Junko>
学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(財)渥美国際交流奨学財団に設立時から常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より異文化理解と平和教育のグローバル組織であるCISVの運営に加わり、現在英国法人CISV International副会長。
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