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エッセイ176:太田美行「病院を変えたい」

今年はどういう訳か病院と縁のある年だった。私のみならず家族の分も含めて内科(3箇所)、外科、眼科、耳鼻科(2箇所)、皮膚科、さらに救急外来と入院及び転院、あげく救急車にも2回も乗ったり。領収書もどっさり。通院した科の名前だけで総合病院ができそうだ。

 

うんざりする程の病院通いの中で「これは改善して欲しい」と強く思ったことがある。それは病院の内装で、患者視点のものが少ないように感じる。

 

まず色のお粗末さ。衛生面を重視する観点から白を基調とするのはわかるけれど、どこもかしこも白。そして蛍光灯の白。新しくできた病院だとパールを使ったりして少しは変化もあるけれど、基本的にペンキ塗りの白。これは総合病院や古い個人医院にも多い。見た目が寒々しく、待合室にいると時間が長く感じる上に、緊張感までが加わってくるようだ。夜間、救急外来に付き添いで行き、廊下で待たされた時は周囲の電気も消えて物寂しく、気分の落ち込みに拍車がかかった。また数年前、外科のリハビリ棟にやはり家族の付き添いで行った時、廊下が全て白一色で何とも憂鬱になったことがある。季節は冬。窓から見える風景もロの字の建物に囲まれた枯れ木だけ。リハビリで歩行練習する人達も変化のない同じ所を何度も歩くのは面白くないだろうとため息をついたものだ。

 

そして待合室に至っては白一色で「他に見るものが何もない」こと。ニセモノでもいいので観葉植物を一つ置いておくことがどれだけ安らぎになるか。できればクリスマス等の季節に応じた飾りつけもあるともっと良いのだけれど、そこまでは余裕がないのかもしれない。病院は患者だけでなく、付き添いや見舞いの人も利用するところだが、そうした点への配慮がまだ欠けているように感じる。

 

次に入口の段差とスリッパの問題。小規模の個人医院に多いが、入口で内履きに履き替える。これがお年寄りや障害者には大変な障壁となる。体をかがめて靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。まずこれが一苦労。入り口に椅子や手すりがないので、片足状態になる時にふらつく。車椅子の利用者の場合は車椅子から降りて歩き、段差をまたぐ必要が出てくる。一人で歩けない人は介助の人が必要となり、家族やヘルパーの都合も考えて通院しなければならない。(医院のスタッフは手伝い方がわからないのか、忙しいのか手を貸さないようだ)段差が低い場合も高い場合もこうした人々にとっては重労働だ。そして建物の中ではスリッパで歩くため滑りやすい。靴を家の中と外で履き替えるのが日本の伝統だが、高齢者や障害者は足元が不安定なのにスリッパに履き替える必要性がどこにあるのだろうか。最後の関門が元の靴への履き替え。特に混雑時は目も当てられない。玄関いっぱいに脱がれている靴の中から、他人の靴を踏まないよう、足にアクロバットのような動きをさせて自分の靴までたどり着くのは至難の業だ。病院は病気の人が行くところなのに、どうして病人、とりわけ主要な顧客である高齢者と障害者に優しくないのか不思議でならない。わずか数センチの段差が大きなハードルとなっていることを、毎日見ているスタッフは気づかないのだろうか。

 

内装に色を使うことはそれほどお金のかかることに思えないが、どうだろうか。無機質な壁を楽しい壁画で埋める為に、コンペ形式で美大生や一般からの公募してみるのも良いだろうし、ペンキの塗り手も例えば学生のボランティア活動として学校に募集してみれば反応がきっとあると思う。マンネリ化しがちな総合学習の内容も充実するのではないか。「地域学習」を目指している学校教育にはぴったりではないか。色彩心理学の観点からしても剥き出しのコンクリートの壁が病人と家族にとって良いものでないのは明白だ。蛍光灯の光の中で顔色は沈んで見え、また緊張を気づかぬ内に強いられる。重病の患者を支える家族はただでさえ気持ちが張り詰めているのだ。それを和らげるような内装にすべきではないか。最近でこそ入院患者に木目調の家具を使用する病室も出てきているが、一般の病室でなく、差額ベッド代が必要とされる特別室だったりして道の険しさを感じる。

 

しかし一方でこうした点に配慮する所も現れている。私が現在通院している内科では(オフィスビルにあるためか)靴を履き替える必要がなく、パステルの淡い色でソファや受付のカウンターが彩られている。診察室のドアもユニークな木目があるもので、更に待合室にリラックス系の音楽が静かに流れている。2時間近く待たされることもあるが、本や雑誌も沢山あるのでそれほど飽きない。最近はモニターを設置し、「病気一口メモ」的な情報を流す所もある。また薬局でも同じような工夫をしている。ここまで充実させなくても、ちょっとした工夫で病院の雰囲気は大きく変わるのに・・・と思いながら私は今日も病院通いをしている。

 

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<太田美行(おおた・みゆき)☆ Ota Miyuki>
東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究課程修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通業を経て現在都内にある経営・事業戦略コンサルティング会社に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。
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