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エッセイ164:マックス・マキト「今こそ、時と場のあるヴィジョンを!」

 

アメリカの株価が戦後最大規模で暴落し、世界の経済に多大な打撃を与えた。格差が深刻に拡がっていたために、米国の経済の回復はなかなか進まない。そのような時に、大地震などの自然災害に苦しんだ日本から、政府の命によって、二人の若き日本人が、混乱する時代に陥ったヨーロッパへ旅立つ。世の中が崩壊しつつあることには囚われず、確固たる使命感を抱いて、長期的なスパンで日本をいかに発展させるかという「時」と「場」のあるヴィジョンを探しに出る。

 

 
上述の場面は現在のことだと思われるかもしれない。しかし、時は1930年頃、若き二人は、名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)の赤松要と外務省の鹿島守之助だ。世界大恐慌を招いたアメリカの株価暴落は1929年に発生し、米国経済は第2次大戦まで回復できなかったという。関東大地震直後の日本から、若き二人は、高いインフレに悩み、ヒットラーの人気が高まるドイツに派遣された。赤松は経済、鹿島は外交、それぞれの分野で、二人は、ドイツ滞在によって、日本が進んでいる長く暗いトンネルの先の光を、いかにして見抜くかという使命感で一杯だった。

 

あいにく、当時の殖民地ゲームに巻き込まれた日本では、彼らのヴィジョンは軍隊の道具として利用され、東アジアを戦争の海にした。東アジアでも世界でも戦争は決してあってはならないと、良き地球市民の誰でもが願っている。あの残酷な時代の経験が、これからの時代を考えていくのに生かされるのであれば、敢えてあの時代の良い思想を僕の研究に取り入れてみたいと思う。

 

赤松は、今でも盛んに利用されているドイツ学問の歴史重視の方法論を、日本の産業構造の分析に適用し、いわゆる雁行形態型発展を提唱した。鹿島は、当時の外務省では誰も関心を示さず、やがてナチスドイツで禁じられることになるパン・ヨーロッパの運動に大きく影響され、パン・アジアを提唱した。後に、その建設のために外交官の仕事を辞めて政治家を目指す。赤松は歴史観、つまり「時」のある経済政策を作り出した。一方、鹿島はアジアという地理的概念、つまり「場」の重要さを訴えた。

 

残念ながら、どちらの思想も帝国軍に利用され、あの大東亜共栄圏の戦争を正当化した。しかし、1985年に韓国で開かれた太平洋経済協力会議において、日本委員会の大来佐武郎委員長は、東アジアで進んでいる国際経済分業を説明するために、雁行形態発展論を取り上げたが、問題なく受け入れられている。また、1997年のアジア通貨危機以後、EUの誕生を受けて、東アジアにもASEANを超える地域統合の可能性が模索され始めている。

 

 
冒頭で描かれたような場面は今でも起こっていると気づかれたと思うが、僕が強調したいのは、最近の世の中の出来事は、大きな戦争に発展する可能性ということではない。それより、ある意味で、赤松と鹿島は、彼らからみれば植民地という、ひとつの時代或いは世界秩序の終焉を感じたのではないかということである。
 
現在、1980年代に社会主義という大規模な社会実験が失敗で終わったように、この21世紀の境目で発生した世界金融危機(1997年にタイ、2007年にアメリカから勃発)が示唆するように、資本主義という大規模な社会実験と、それを理論づけた新古典派経済学(市場万能主義)の失敗が到来したことを示しているではないかと思う。外交政策に関して専門外であるが、当時の赤松や鹿島のように、周りが崩壊しつつあるなかでも、長い目をもって国際秩序をみなければいけないと思う。
 
新古典派経済学では「時」と「場」に対する考察が十分でないことは、経済学者の中では指摘されていたが、社会主義に対する勝利に酩酊した状態であまり注目されなかった。新古典派経済学は「場」である市場の供給需要のバランス(均衡)と、その「時間」に伴う変化を確かに考慮しているが、古い均衡から新しい均衡への移転過程を無視し、経済活動の現場とそこにいる人々の顔がみえるような議論が行われていない。
 
僕が、この完全競争市場の最も良い例として、授業でよく使うのはウォール街である。マウスのワンクリックで、膨大な資金を、瞬間的に国境を越えて移動させる金融市場は、「時」と「場」に対する感覚が最も欠けている。金融業界が要らないと言っているのではない。あらゆる経済活動の中で、この業界が果たす役割は、これかも必要であろう。ただ、どこかがおかしい、という皆さんの認識が芽生えればいいと思う。
 
走りすぎたマネー・ゲームによる不安定性だけではない。1930年代の米国における格差は、戦争経済で持ち直された。しかし、1960年代からのジニ係数の上昇トレンドからみれば、依然として、広がっている傾向がある。このような格差は、極端な市場主義を受け入れている国々でも進行している。
 
社会主義でありながら資本主義だった日本でさえも格差が広がっている。それは、日本で1990年代から始まった、市場万能主義を唱えた経済学者・政治家の責任にほかない。最近の金融危機と関係している一例だけを言わせてもらえば、日本の金融業界が惨めな状態にあった1990年代には、現在アメリカ政府が提唱する「TOO BIG TO FAIL」という方針と違い、日本では「NO BANK IS TOO BIG TO FAIL」と主張する声が圧倒的に強かった。このように強調する経済学者・政治家にとっては、グローバル競争で死にそうな企業郡が存在するという古い均衡から、そのような企業群が淘汰されたという新しい均衡へ移転するのは、いたって簡単なプロセスであった。市場万能主義を一番強く押し付けているのは米国だと思うが、それでも、市場に任せきらずに、経済政策が必要なときがあると戦略的に認識している。
 
我が東アジアで、経済や政治の政策作成に関わる方々には、あらためて、「時」と「場」を取り入れるヴィジョンを作り出すようにお願いしたい。今こそ、一国も残さずに行きわたる、この地域の繁栄が必要とされている。そのヒントは赤松と鹿島が見出した「時」と「場」のあるヴィジョンに潜んでいると僕は思う。

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。
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