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エッセイ162:太田美行「在住外国人児童生徒への日本語指導及び教材開発について(その1)」

 

最近読んだ産経新聞の記事「残留孤児の2世・3世がマフィア化 同胞からみかじめ料取り勢力拡大」(9月1日)が大きなショックだった。内容は「中国残留孤児(婦人)の子供たちである2世・3世が正規の在留資格を持ち、不正行為をしても強制送還されないため、中国人の店からみかじめ料をとっても、経営者が被害者を訴えない泣き寝入り状態だ」というものだ。

 

この記事をそのまま評価するわけにはいかない。というのも、この記事の書き方自体に問題があると思うからだ。産経の記者の視点が、中国残留孤児(婦人)の2世・3世を中国人と位置づけしているようなのが気にかかる。もちろん彼らは日本国籍を保持する日本人であるから、「強制送還」に該当しない。そして彼らの「同胞」は中国人なのか、日本人なのか。記事ではどうも中国人としているようだ。

 

しかしそうした問題はさておき、この記事がショックだったのは、かつて事件にもなった中国残留孤児2世・3世による暴走族のドラゴン(怒羅権)を思い出したからだ。ドラゴンに関しては、当時の日本の受け入れ態勢の不備、学校教育が行き届かない事によるドロップアウト等が原因の一つという指摘もある。日本に着いたばかりの子供に日本での生活の第一歩を導くはずの学校で、逆に大きなストレスと挫折感を味わってしまうことが原因とは皮肉ではないだろうか。それから何年か経ち、当時の暴走族が大人になってみかじめ料をとっているのか、また当時と今とでは状況がどのように変遷したのか等の記述が記事にはなかったが、もし2世・3世の子供たちが来日当初にスムーズに日本社会に馴染めていたら状況は大きく変わっていたと思う。

 

 
そうした意味で外国人児童生徒の日本語指導に関わったことがある私には、先の記事が胸の痛むものだったのだ。もし学校が子供たちの「日本に軟着陸する」手伝いの機能をある程度果たしていたら・・・と思う。もちろん頑張っていた先生たちも多いとは思う。現場の教師たちも何とかしようと努力はしているものの、外国人の子供を初めて指導するケースや、まず何から手をつけていいのかわからなかったり、あるいは教師自身が抱える仕事量の多さから子供たちに十分手が回らなかったりで、状況は厳しい。

 

しかし状況は少しずつでも明るくなってきている。そこで本エッセイでは、この夏、東京外国語大学で行われたフォーラム「在住外国人児童生徒のための教材開発から見える課題とその解決に向けて」を紹介したいと思う。大変活気あるフォーラムで、留学生、元留学生の皆さんの中にも、日本語指導のアルバイト経験者がいて面白いのではないかと思う。

 

 
日本語指導が必要な外国人児童生徒数は22,413人(平成18年9月現在)とされており、文部省の平成11年の調査開始時から最も多い。中でもポルトガル語を母語とする児童生徒が4割近くを占め、中国語及びスペイン語の3言語で全体の7割以上を占めるとの結果が出ている。また外国人児童生徒が「1人」の学校が2,591校(47.3パーセント)で約半数を占め、「5人未満」の在籍校が4,337校で79.2パーセント、一方「30人以上」の学校は85校と少数ではあるものの増加しており、「分散と集中の二極化の状況」にあるといわれている。(出典:文部科学省URL)

 

の分散と集中の二極化を意識したためかフォーラムでは、「ブラジル人コミュニティとの教育における連携」、「使ってください!領域別系統表-系統別に指導できるトゥカーノ算数教材を例に-」、「分散地域における教材開発を含む教育支援システム構築に向けて」、「集住地域における教材開発を含む教育支援システム構築に向けて」の4つの分科会に分かれて行われた。東京外国語大学ではブラジル人児童生徒のための学科指導用教材を開発しており、現在はフィリピン人児童生徒のための

 

学科指導用教材を開発している。

 

 
皆さんは留学生、あるいは元留学生として大学や大学院での現状はご存知のことと思うが子供たちの日本語教育についてはどのようにお考えだろうか?まず指摘されるのが不就学児童生徒の問題だ。複数回答の質問による答えからは、「学校へ行くためのお金がないから」(15.6パーセント)が最も多く、次いで「日本語がわからないから」(12.6パーセント)「すぐに母国に帰るから」(10.4パーセント)と続いている。しかし、親が「すぐに母国に帰るから」と考えていても、様々な事情で日本での滞在期間が延びることも多く、「結果としての長期滞在」は健康保険加入などの問題などでもよく指摘されている。

 

教師でもしばしば勘違いしてしまうのが「子供の頃から日本に住んでいれば、日本語を習得するのは簡単だ」という考えである。確かに子供はすぐに言語を習得することが多い。しかしそれは日常言語のことであり、学習言語はまた別の問題であることはあまり知られていない。フォーラムでは「『日本の学校教育は日本文化・日本語を前提にして成り立っている』という限界」が指摘された。教科書には日常会話では使われないような言葉が出てきたり、また長い文章や難しい構文からなる問題文で、日本語習得が十分でない子供たちが、(言語に頼る度合いが少ないといわれる算数でも)内容が理解できなかったりすることがある。
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最近の傾向として小学校1年生から日本の学校に入学する子供たちの増加が挙げられる。こうした子供たちは、日本語あるいは学科教育には問題がなくついていけると思われているが、日本の保育園や託児所を利用していない(地域によっては日本語を使わなくても生活できるコミュニティが既に形成されており、ブラジル人による託児所の利用も多い)、あるいは家庭内での会話に日本語が使用されていない等の理由で、学習についていける程度の語彙力がないことが指摘されている。実際に調査をすると、小学校1年生から日本の学校に入学した子供でも授業の内容についていけない子供たちがいることが紹介されている。こうしたことから日本語指導が単なる語学指導に留まらず、学科教育にまで至ることが多々ある。つまり日本語指導以外でもやることが山のようにあるということだ。私の知っているケースでは親が深夜も働いているため、子供の睡眠時間や生活が乱れて学校では寝ているだけとか、幼い兄弟の面倒を見るため勉強できない等の生活問題に学校が対応しなければならないことがかなりあった。
(つづく)

 

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<太田美行☆おおた・みゆき>
1973年東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究課程修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通業を経て現在都内にある経営・事業戦略コンサルティング会社に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。
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(2008年10月7日)