SGRAかわらばん

エッセイ156:ガンバガナ「故郷」

これは十年ぶりの生まれ育った故郷への訪問だ。ここには幼い頃の数多くの思い出が残っている。あのころ、私は山のぼりが大好きで、よく山に入って、杏、モイル、ウレル、オラーガナなど、野生の果物を拾って食べた。時にはキノコ採りに行ったり、家畜を探しに行ったりもした。今回、私が里帰りを決断したのは、時間の流れにつれて薄れていく少年時代の記憶の再現と、故郷の土から新たなエネルギーをもらうためである。

 

しかしながら、私のその思いがいかに愚かで、なおかつ幼稚であったかということを、私が故郷の土を踏むや、悟ったのである。というのは、この十年ぐらいの間に、私の故郷は余りにも大きく変化していたからである。

 

翌日、私は車で草原へ出かけた。そこは私にとっては知恵と命の源であり、昔は至る所が家畜の群れであふれていた。ところが、今、その風景はまったく変わっていた。群れる家畜どころか、人間の影さえほとんどなかった。私は空しくなった。その原因を隣に座っていた運転手さんから聞いたところ、彼は、「近年、環境保全型移民政策の導入によって、多くの人が故郷を離れ、町に移住することを余儀なくされた」と、説明してくれた。なるほど、最近、話題となっている、いわゆる「生態移民政策」とはこんなものなのか、以前本で読んでいたことを、こうして体で実感することとなった。だが、正直に言えば、こうした現実を素直に受け入れる勇気は私にはなかった。とりわけ、生まれ育った故郷から追い出された人々の現状を考えると胸が痛くなった。

 

私は、せっかくの里帰りなので、「変なことを考えないほうがいい」と、自分に言い聞かせるように呟き、現実から逃避することを試みた。まさに自分との戦いであったが、なかなか思い通りにいかなった。

 

西の方を眺めていると、列車が走っていた。鉄道ができたのだ。何のために? 運転手さんが、北のほうで露天炭鉱が発見されたからと教えてくれた。そういえば、夕べのテレビで、これから産業開発を重点的に行うというニュースが流れていたことを思い出した。

 

ところで、ここは私にとっては、思い出の場所なんだよ。あのころ、そこには、「ボロガース」という柳の枝のような植物が大量に生えており、冬になると、ウサギの罠を仕掛けていたんだよ。今は砂漠と鉄道以外はなにもないようだ。

 

その変化の速さに私は驚いた。

 

いったい、なぜ、こんなに猛スピードで砂漠化が進行しているか、最近の研究、記事などについてちょっと考えてみた。海外の研究では、漢人の入植と開墾に一因があると主張しているのが多いが、中国では、家畜の増産、とりわけヤギの繁殖にその原因を求めているようだ。またも政治と学問の癒着ということか。聞いてみたら、運転手さんの見解も後者のほうであった。私は反論しようと思ったが、途中であきらめた。彼には彼の事情、私には私の人生があるからだ。

 

しばらくたったら喉が渇いたことに気づいた。この辺で、誰かの家に寄ってお茶を飲みましょうと運転手さんに提案した。「みんな移住してしまったから、おそらく無理だろう」との返事だった。仕方がない。なら、あの先祖から祭られてきた聖なる山に登って、祈りをささげてから帰ったらどうかと聞いた。彼は同意してくれた。

 

二人で山へ向かって車を走らせた。まもなく検問所に行き当たった。「自然保護区」との看板が掛けられ、観覧するだけでも、料金を払わなければならないことになっていた。さらに、不思議なのはその経営に当たっていたのは、なんと南のほうからやってきた開発商人であった。違和感があったが、従うしかなかった。私はその検問所に立っていた人をじっと見つめた。どう見ても違う顔であった。それが私ができる唯一のことであった。自分の無力さを痛感した。

 

「もう充分!」私は何も語らずひたすら山頂へ向かった。頂上に着くや、モンゴル人の慣習どおりオボー(石を円錐状に積み上げたもので土地の守護神が宿るとされている)を三週回り、合掌しながら祈りをささげ、最後に、自分のもってきた供物を供えておいた。そうしたら運転手さんが、「気持ちを表すぐらいでいいじゃない。何を供えておいてもすぐ持って行かれちゃうから」と言った。彼の言葉の意味をよく理解できなかった私が、その理由を聞いたら、彼は山の右側のふもとを指差しながら説明してくれた。その方向に目を移すと、そこには大勢の人が石の採掘作業をしていた。彼の話では、それらの人はみんな外地の労働者で、開発商人が連れてきたという。

 

私の気持ちはもはや限界に達した。「だって、ここは自然保護地域でしょう?だって、我々は、入場料を払って入ってきたでしょう?だって、これは我々の聖なる山でしょう?」私はいきなり多くの質問を運転手さんに向かってぶつけた。なんの返事もなかった。当然のことだ。私は狼に押さえられた子羊のように、最後の力を搾り出して、大声で叫んだ。それでも反応はなかった。戻ってきたのは山の響きだけであった。それも当然といえば当然なことだ。なるほど、ここではすべてのことが当然のように行われているようだ。

 

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<ガンバガナ ☆ Gangbagana>
中国内モンゴル出身、東京外国語大学地域文化研究科博士後期課程在籍、内モンゴル近現代史専攻。
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☆このエッセイは、2007年度渥美国際交流奨学財団年報に投稿していただいたものを、筆者の許可を得て再掲載しました。

 

☆会員のマイリーサさんより、下記の書籍をご寄贈いただきましたのでご紹介します。

 

小長谷有紀・シンジルト・中尾正義 編
地球研叢書「中国の環境政策:生態移民―緑の大地、内モンゴルの砂漠化を防げるか?」

 

マイリーサさんの論文「『生態移民』による貧困のメカニズム」も掲載されています。