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エッセイ148:胡 秀英「四川大地震災害救助の最前線で活躍したSGRAメンバーたち:華西医院災害救助参加手記」

 


2008年5月12日14時28分、私は四川大学看護学院の大学3年生に看護学を教えていた。突然、今まで経験したことのない揺れを感じた。地震だと分かったとたん、学生たちは悲鳴を上げた。私はすぐに70名の学生たちを建物外の安全な場所に移動させた。同時に、4300病床を持つ四川大学華西病院の患者さんたちのことが心配だったので、すぐに病院に戻り、医者や看護婦たちと一緒に患者さんを見守った。

 

四川大地震は震度の強さ、破壊の激しさ、範囲の広さが史上空前だった。この突然の大地震は「天府の国」と言われる成都の静かさを破った。地震発生当時の混乱の中、華西医院の白衣の天使たちは冷静沈着に危機に対応した。すぐに、対策本部が作られ、様々な緊急時対策事業が動き出した。4300名の患者さんを守りながらも、被災地へ緊急医療隊を派遣した。地震直後、たくさんのけが人が絶えず救急外来に運び込まれ、各科に振り分けられた。私は、病院の仲間と一緒に地震救助の活動に参加して、震災地の人々に奉仕したいと思い、救急外来患者の救助を志願した。

 

“一方に災難があると、八方から援助がくる”。地震当日、私は日本の千葉大学看護学部の石垣和子教授(博士課程時の指導教官)、東京都老人研究所副所長の鈴木隆雄先生(日中医学奨学金研修生時の指導教官)と渥美国際交流奨学財団の今西淳子常務理事から強い関心を寄せた親切なメールをいただいた。その時、すぐに私が思いついたのは、日本の豊富な災害看護の経験を生かして、よりよく四川大震災後の看護をしたいということだった。石垣教授に日本の災害医療や看護の資料をお願いしたところ、先生は早速災害看護を研究している兵庫県立大学「WHO研究協力センター」所長の山本あい子先生に連絡してくださった。山本先生が管理作成している日本語版の “災害看護ガイド”のホームページを教えてくださったのは、地震の翌日の5月13日のことだった。

 

私は、早速、当地でたくさんの医療関係者に日本の知識を応用してもらうために、仕事の合間に翻訳をスタートしたが、膨大な量の資料でなかなか進まずに悩んでいた。その時、今西さんから再度メールが届いた。それで、翻訳のお手伝いをお願いしたところ、今西さんの斡旋で、40名ものSGRA会員および関係者の積極的な協力を得た。すなわち、武玉萍さん、阿不都許庫尓さん、安然さん、王偉さん、王剣宏さん、王雪萍さん、王立彬さん、王珏さん、韓珺巧さん、奇錦峰さん、弓莉梅さん、許丹さん、胡潔さん、康路さん、徐放さん、蒋恵玲さん、銭丹霞さん、宋剛さん、孫軍悦さん、張忠澤さん、張長亮さん、張欢欣さん、杜夏さん、包聯群さん、朴貞姫さん、李恩竹さん、李鋼哲さん、李成日さん、陸躍鋒さん、劉煜さん、梁興国さん、林少陽さん、麗華さん、臧俐さん、趙長祥さん、邁麗沙さん、馮凱さん、馬娇娇さん、権明愛さん、劉健さんである。

 

それと同時に、兵庫県立大学の張暁春博士を通じて、笹川日中医学奨学金によって日本に留学している十数名の中国学者とも連絡が取れた。翻訳のまとめ役をつとめた武玉萍さんをはじめ、皆さんの努力によって、5月19日、災害看護ガイドの中国語版が、地震後一週間という驚異的な早さで誕生した。ここで、皆様の温かい愛心に対して、心から敬意と感謝を申し上げたい。同時に、山本先生は5月19日に災害看護ガイド中国版の情報を、中華看護協会を始め、全世界の看護組織に素早く宣伝した。日中の関係者の知恵と愛の心を凝集した成果は震災地及び中国全土に広がった。今たくさんの医療関係者が、このガイドを参考にしながら災害救助を行っている。みんなの手で阪神から四川への橋を作ったのだ。

 

今回の地震の災害救助においては、国際協力による支援も大きな成果を生んだ。国際救助隊のあと、5月22日に、日本国際緊急救援隊医療チームが華西医院に到着した。華西医院はすぐ対応して、石応康院長が総指揮を担当し、医院側と日本医療チームの調整協調と通訳の任務を管理経験豊富な看護部の成翼娟部長と私に任せた。災害の規模、救援のタイミング、救援の方式の変化などを検討した結果、現場で自給自足式の医療を得意とする日本医療チームのメンバーたちであったが、今回は、病院で中国側の医療関係者と一緒にけが人の治療をすることになった。病院が国際救援隊を受け入れるのは、新中国建国後初めてのことであった。

 

両国の歴史や社会文化背景の違いが大きいので、すぐにお互いを理解できるようになるのは難しいのではないかと思った。しかし、今回は、早急に相互理解を進めて医療救助の共同事業を確立させなければならない。これは両国の国際関係へも影響しかねないことだった。私はプレッシャーとチャレンジを感じたが、自分を励まして、どんなに難しくても、前向きの態度で行動し、最善を果たして日中友好の架け橋になろうと決意した。5月24日、日本メディアのインタビューを受けた時に同じ考えを伝えたところ、よい反響を得た。日本医療チームとの仕事中、帰国した数名の笹川奨学金研修生たちも直接通訳の仕事に参加してくれた。私たちは一緒に努力して、お互いの文化背景を尊重した上で調整しながら、日中救援医療活動をスムーズに進めることができた。

 

6月2日までに、病院は2618人のけが人を受け入れ、1751人を入院させた。その中には重患が1135人、ICUに受け入れが127人、手術が1239回、血液透析が77人であった。国内外の医療関係者の努力により、入院患者の死亡率が0.7%より低い、高いレベルの救助医療効果をあげることができた。このような救援医療の仕事を通して、日本医療チームは、災害医療の人道主義精神を十分に発揮し、その使命を果たした。また、きめ細かくコミュニケーションをとりながら、日中両国医療領域の相互理解と友情を促進した。石応康院長が評価したように “日中医療関係者がけが人の救助を一緒に行うことにより、日中友好精神を体現し、日中医療領域の協力も今までない境界に至った”。その間、中国温家宝国務院総理、楊潔篪外交部長、高強衛生部党組織書記・副部長など中央のリーダーたちが日本医療チームと面会し、日本医療チームの仕事を高く評価し、日中友好によい効果をあげ、国際的な影響を与えた。

 

今回の災害救助に関する友好的な共同作業は、国際医療協力の架け橋になった。日中の医療関係者は、治療と看護を協力して行い、お互いの意見を活発に交換し、各自の専門領域の最適なアドバイスを行い、皆が最善を尽くした。例えば、災害医療の最新技術について議論した時には、圧迫症候群の処理、切断のタイミングと基準、中日双方の産婦人科の看護の現状、薬剤師と放射線師の災害救助での役割などについて意見交換をした。また、日本医療隊は四川大地震後初めての災害医療(急性期災害医療を中心に)についての学術講座を成功裡に行った。このような日中両国の協力は今後の専門医療看護の発展の基礎となるだろう。

 

日本医療チームは6月2日に帰国したが、続いて日本政府と民間団体が病院を訪問した。6月6日には日本財団の支援で日本災害看護支援機構代表団が訪問し、中長期災害看護研修プログラムについて討議した。6月8日には、日本自民党、公民党の参議院と衆議院の議員代表団が日本医療チームの治療を受けた患者さんをお見舞した。6月19日には、日本青年海外協力隊のボランティアが病院を訪問し、心を込めて作った1000匹のカラフルな千羽鶴と愛の祝福を書き込んだ横幅を震災の患者たちのために捧げた。WHO研究協力センター所長の山本あい子教授は、華西病院と一緒に、今後の災害看護共同研究計画を立案中である。このように、四川地震の国際救援医療活動は、日中両国の専門医療看護の協力と共同研究の幕を開けた。

 

エンゲルスは“歴史の災難は、歴史の進歩を引き起こす”と言った。災害救助と災害復興の仕事はまだまだ大変で長く続くだろうが、私たちは手を携えていきましょう。人類の災難に直面しながら、その経験を生かすことによって歴史を進歩させましょう。

 

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(原文は中国語。日本語訳:武 玉萍)
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<胡 秀英(こ・しゅうえい) ☆ Hu Xiuying>
博士(看護学)、四川大学華西看護学部・華西病院看護部の副教授・修士指導教官。2007年千葉大学看護学研究科博士後期課程修了、博士号取得。「異文化環境に生きる高齢者の健康維持増進を目指す看護に関する研究」など高齢者看護と地域看護に関する論文多数発表。渥美国際交流奨学財団2006年奨学生、SGRA会員。

 

<武 玉萍(ウ・イピン)☆ Wu Yuping>
医学博士、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター研究職。1995年ハルビン医科大学卒業。2001年千葉大学大学院医学研究院博士号取得。渥美国際交流奨学財団2000年奨学生、SGRA会員。