SGRAかわらばん

エッセイ146:ボルジギン・フスレ「ウランバートルレポート:2008年夏(その2)」

 

シンポジウムの朝、心配していた雨は降り続いていた。

 

モンゴル・日本センターでおこなった開会式では、ウルズィバータル氏が司会をつとめ、モンゴル国政府法務・内務相ムンフオルギル(Munkh-Orgil. Ts)氏、SGRA代表今西淳子氏、在モンゴル日本大使館参事官小林弘之氏、モンゴル科学アカデミー学術秘書長レグデル(Regdel)氏が挨拶と祝辞を述べた。

 

続いて、モンゴル科学アカデミー歴史研究所長ダシダワー(Dashdavaa. Ch)氏、東京外国語大学教授二木博史氏、内モンゴル大学教授チョイラルジャブ(Choiralzhab)氏、モンゴル国家文書管理局長ウルズィバータル氏、学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻主任、教授安藤正人氏、モンゴル科学アカデミー言語・文学研究所事務局長プレブジャブ(Purevjav Erdene)氏が基調報告をおこなった。

 

 
午後は、モンゴル・日本センター多目的室1と2、モンゴル国家文書管理局会議室、モンゴル科学アカデミー歴史研究所会議室で、「歴史・メディア・アーカイブズからみた北東アジアの社会秩序:過去・現在と課題」、「北東アジア文学の中の社会像・世界像」、「アジア主義論からアジア共同体へ」、「北東アジア地域アーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成にむけて」の四つの分科会をおこなった。ウルズィバータル局長、モンゴル国家文書館上級研究員ダシニャンム博士、東京外国語大学二木博史教授、岡田和行教授、北京大学陳崗竜教授、モンゴル科学アカデミー歴史研究所研究員バトバヤル博士、昭和女子大学フフバートル準教授、モンゴル国の殊勲研究員ノロブサンブ氏が各分科会の議長をつとめた。

 

モンゴル国、日本、オーストラリア、ドイツ、韓国、中国、ロシア、アメリカなど8ヶ国の50名の研究者が出席し、発表をおこなった。発表者は近現代北東アジア地域の一元化と多元性の葛藤という今日的であると同時に歴史的である問題を取り込み、現代北東アジア社会のグローバル秩序の歴史的背景とその今日的意義を考え直し、北東アジアの地域秩序はどのようなプロセスをへて構築されたか、これからどのように構築していくか、関係諸国のアーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成等をめぐって、特色ある議論を展開した。2日間の会議中、ウランバートルにある各大学、研究機関の研究者、学生、職員、中国社会科学院の訪問教授、内モンゴル大学の交換研究者、日本人留学生、モンゴル・日本センター日本語コースの生徒など160人ほどが参加した。

 

 
夕方、ウランバートルホテルのレストランで歓迎宴会をおこなった。ウルズィバータル局長の情熱的な挨拶の後、今西代表は挨拶で「明日、天気が晴れるように祈るが、昨日ウルズィバータル局長が“いくら晴れても、雨に濡れた羊の肉は美味しくない”とおっしゃった。ですから、本場のモンゴル伝統的な料理ホルホグを賞味するため、もう一度モンゴルに来ることにした」と述べ、毎日が雨の残念さとSGRAのモンゴルフォーラムを続けていくことを巧妙に表現した。みんな笑いながら、大きく拍手した。

 

 
25日午前中、まずモンゴル・日本センターの会議室で総会をおこない、各分科会議長がそれぞれの分科会の発表についてまとめた後、ウルズィバータル局長が総括報告をおこなった。

 

その後、参加者はモンゴル国家文書館で展示した文書展示会を見学した。貴重な文書も多かったが、閲覧する時間が少し足りなかった。続いて、モンゴルの国会議事堂の前で参加者の記念写真を撮った。

 

 
昼から、会議の参加者は中央県の草原に赴いた。今西さん、二木博史教授、岡田和行教授、アリウンサイハンさんと私は、市橋康吉在モンゴル日本特命全権大使閣下に招かれて、在モンゴル日本大使館に行った。市橋大使についての記事などは、以前、日本モンゴル協会誌『日本とモンゴル』や新聞で読んだことがあるが、直接お会いしたのは初めてであった。大使は背が高く、活力満々で、やさしく、知識が豊富で、ペテランの外交官である。

 

今西さんはSGRAや渥美国際交流奨学財団、今回のシンポジウムなどについて紹介した。市橋大使は、在モンゴル日本大使館の事業、話題のノモンハン事件(ハルハ河戦争)で亡くなった日本人兵士たちの遺骨収集などについてお話をした。

 

その後、大使のご招待で、みな昼食(日本料理)をしながら、これからの事業などについて展望した。大使からいろいろ助言をいただいて、充実した会見になった。

 

大使と今西さん、先生方の励ましを得て、次の事業の遂行に大きな自信になった。短い時間であったが、今回、市橋大使をはじめ、在モンゴル日本大使館の方々との出会いを通して、大使館に対する認識も変った。

 

 
大使館を後にして、今西さん、岡田先生と私は大使館の車で草原にむかった。小山書記官は仕事関係で同行せず、運転手は地元のモンゴル人であった。雨が降ったお陰で、草が生え、奥に行けば行くほど、草原や羊、馬の群れがだんだん見えてきた。

 

途中、再び雨が降ってきた。GOBI MONに行ったことはない運転手が道に迷って、あるゲル(モンゴルのテント)に近づいて、出てきた婦人にその道を尋ねた。婦人も詳しく知らなかったそうで、大雨のなか、また別のゲルに行って、聞いてくれた。GOBI MONとは近年草原に建てられたゲル風のホテルで、閉会パーティをおこなう場所である。

 

車は方向を変えて、走った。

 

雨がだんだん弱くなってきた。ついに、ホテルのような建物とたくさん並んだゲルが目に映った。目的地のGOBI MONだ!

 

ちょうど雨もやんだ。GOBI MONでみんなと合流した。

 

 
今西さんとウルズィバータル局長がゲルでハムをつまみにモンゴルのウォッカを飲みながら、会談をおこなった。シンポジウム、第二次世界大戦後モンゴルに抑留していた日本兵捕虜、モンゴルと日本の伝統文化の異同、選挙、資源、環境など、さまざまな分野のことに触れた。今西さんはとても楽しそうで、その天真爛漫な笑顔を見たのは初めてであった。

 

 
ゲルから出て気づいたのだが、目に見えたのは、まさに見渡すかぎり果てしない大草原である。雨がすっかり止んで青空が広がっていた。

 

今西さんと私と数人の研究者は、草原を、馬に乗って遠くまで走った。

 

夕方になると、草原で閉会パーティが開かれた。ホルホグの料理であった。乾杯を続けるなか、モンゴル相撲も披露された。モンゴルのウォッカが相次いで運ばれた。みんな興奮して、飲みながら、歌っていた。宴会は深夜まで続いた。

 

写真による報告(その2)をここからご覧ください。

 

「ウランバートルレポート(その1)」はここからご覧いただけます。

 

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<ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel>
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「1945年の内モンゴル人民革命党の復活とその歴史的意義」など論文多数発表。