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エッセイ141:藍 弘岳「新しい台中関係の時代と日本(その2)」

 

現在の台湾では、大雑把に言えば、二つの区別できる考えがあります。一つは「中華民族」という言葉に訴えて、中国と更に交流して経済の利益を求めるだけではなく、最終的に統一を望むというような主張です(これをとりあえずA主張とします)。それに対して、もう一つは、人権・民主という価値とアジア主義的な考えに共感を覚えて、アメリカと日本との同盟関係を強化して台湾の主体性と国家としての独立を求めようとする主張です(これをB主張とします)。むろん、この二つの主張が完全に対立しているのでありません。むしろ、AB二つの主張を柱の両端とすれば、その間にはさまざまな主張と立場が提出されていると考えられます。

 

このような考えによって、この二十年来の台湾の政治状況を見ると、李登輝氏と陳水扁氏の両前総統が政権を握っていた時代はBの主張が政治を主導していたのに対して、これからの馬英九総統の時代はAの考えが主導権を取り戻したといえるかもしれません。しかし、いうまでもなく、このような二元論的な考えは現実の情況を極めて単純化していると言わざるをえません。というのも、この二十年来、台湾と中国はそれぞれ大きく変化しました。台湾において、民主主義と台湾人としてのアイデンティティが大いに発展しました。馬英九氏がいう「中華民族」はこの二つの台湾政治を支えている根本的な原則を前提にしているはずです。そもそも、孫文の三民主義を信奉する国民党政権にとって、「民生」と「民族」のほかに、「民主」も根本的な原則としてあります。台湾には、「民生」と「民族」のために「民主」を犠牲にしてもかまわないと考えている人はいますが、天安門事件とチベット騒乱などをめぐって共産党政権を厳しく批判してきた馬英九氏がそのような人とは思えません。台湾の民主と法治を守ることこそ、最重要な課題としているはずです。その意味では、馬氏は上述のAとBの考えを両端とした柱の中間あたりに位置する人と、私は認識しています。しかも、民主主義だけではなく、その就任演説でも触れていたように、台湾が国家として「全面的に東アジアの経済統合に融けこんで東アジアの平和と繁栄に積極的に貢献する」(「全面融入東亞經濟整合、並對東亞的和平與繁榮作出積極貢獻」)ことも課題としています。このように、馬政権はアジア主義的な考えを重視しています。

 

とはいえ、この期待を裏切るように、ごく最近尖閣諸島沖で起きた日本の巡視船と台湾遊漁船の衝突事故に対して、馬政権は強硬な姿勢を示しました。長年、親日的と見られてきた台湾の行政院長(首相)が最終解決手段として「開戦を排除しない」とまで口にしたことは日本政府とメディアを驚かせました。東京新聞の社説では「中華ナショナリズムの共鳴が対日強硬姿勢を招くとしたら日本には悪夢だ」と率直に日本としての憂いを述べました。確かに、台湾の馬政権は李登輝と陳水扁の政権より、「中華民族」の団結を重視して、中華ナショナリズムに共鳴しやすいかもしれません。しかし、既述のように、馬氏政権が望む「中華民族」の団結は民主主義と台湾人の主体性と台湾の国家としての独立性を前提にしています。これは現在の中国共産党の胡政権が訴えた「中華民族」の団結とは根本的に異なっているところです。この根本的な差異が何時でも問題化されて台湾と中国の友好ムードを壊すゆえに、「中華民族」という台湾の馬政権と中国の胡政権が共に受け入れられる現在の枠組みにおいて、台湾と中国の関係がどこまで深められるかは、予測しにくいと思われます。

 

一方、これからの台湾と日本との関係についでですが、過去二十年、台湾はこの地球上、最も親日の国家だったとも言われます。これはさまざまな歴史的な背景もありますが、李登輝と陳水扁政権が台湾独立という目的を達成するために、政策的にあえてそうした面も大きいです。しかし、これについて、私が一人の台湾人として、特に悲しく思うのは、日本の右翼的な政治家しか台湾を相手にしませんでしたから、過去の台湾政府(特に一部の台湾知識人)が、日本の右翼的な政治家・知識人よりも過激な中国批判と無制限な日本礼賛に流れた、ということです。特に、これらの台湾知識人の言動がさらに日本の右翼政治家・思想家に利用されていますので、ますます悪循環に入っていました。ある意味で、やや大げさな言い方ですが、過去二十年の台湾の親日現象は、台湾当局の日本に対する節操のなさと知識欲のなさ、及び日本当局の台湾への関心のなさをカムフラージュしていたと、私は思っています。この意味で、馬政権が過去の無節操の親日を断ち切って、よりよく日本を知り、同時に中国と日本と真に友好的な関係を築く可能性を持っているかもしれません。少なくとも、私はそういう風に望んでいます。尖閣諸島事件はそのきっかけになればと、ひそかに期待しています。

 

以上、一人の台湾人として、これからの台中関係及び台日関係についての感想と期待を述べました。国際関係を専攻していない人間ですので、たわ言を喋りすぎたと思われるかもしれませんが、このテーマに関してご意見とご関心をお持ちの方々からご叱正いただければ幸いです。

 

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<藍 弘岳(らん・こうがく)☆ Lan Hung-yueh >
中華民国の台湾南投生まれ。現東京大学総合文化研究科博士課程に在籍するが、博士論文の審査が通ったばかり。関心・研究分野は荻生徂徠、日本思想史、東アジアの思想文化交流史、日本漢文学など。博士論文のテーマは「荻生徂徠の詩文論と儒学――「武国」における「文」の探求と創出」。現在は、二松学舎大学COE研究員、SGRA会員。
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現在の台湾では、大雑把に言えば、二つの区別できる考えがあります。一つは「中華民族」という言葉に訴えて、中国と更に交流して経済の利益を求めるだけではなく、最終的に統一を望むというような主張です(これをとりあえずA主張とします)。それに対して、もう一つは、人権・民主という価値とアジア主義的な考えに共感を覚えて、アメリカと日本との同盟関係を強化して台湾の主体性と国家としての独立を求めようとする主張です(これをB主張とします)。むろん、この二つの主張が完全に対立しているのでありません。むしろ、AB二つの主張を柱の両端とすれば、その間にはさまざまな主張と立場が提出されていると考えられます。

 

このような考えによって、この二十年来の台湾の政治状況を見ると、李登輝氏と陳水扁氏の両前総統が政権を握っていた時代はBの主張が政治を主導していたのに対して、これからの馬英九総統の時代はAの考えが主導権を取り戻したといえるかもしれません。しかし、いうまでもなく、このような二元論的な考えは現実の情況を極めて単純化していると言わざるをえません。というのも、この二十年来、台湾と中国はそれぞれ大きく変化しました。台湾において、民主主義と台湾人としてのアイデンティティが大いに発展しました。馬英九氏がいう「中華民族」はこの二つの台湾政治を支えている根本的な原則を前提にしているはずです。そもそも、孫文の三民主義を信奉する国民党政権にとって、「民生」と「民族」のほかに、「民主」も根本的な原則としてあります。台湾には、「民生」と「民族」のために「民主」を犠牲にしてもかまわないと考えている人はいますが、天安門事件とチベット騒乱などをめぐって共産党政権を厳しく批判してきた馬英九氏がそのような人とは思えません。台湾の民主と法治を守ることこそ、最重要な課題としているはずです。その意味では、馬氏は上述のAとBの考えを両端とした柱の中間あたりに位置する人と、私は認識しています。しかも、民主主義だけではなく、その就任演説でも触れていたように、台湾が国家として「全面的に東アジアの経済統合に融けこんで東アジアの平和と繁栄に積極的に貢献する」(「全面融入東亞經濟整合、並對東亞的和平與繁榮作出積極貢獻」)ことも課題としています。このように、馬政権はアジア主義的な考えを重視しています。

 

とはいえ、この期待を裏切るように、ごく最近尖閣諸島沖で起きた日本の巡視船と台湾遊漁船の衝突事故に対して、馬政権は強硬な姿勢を示しました。長年、親日的と見られてきた台湾の行政院長(首相)が最終解決手段として「開戦を排除しない」とまで口にしたことは日本政府とメディアを驚かせました。東京新聞の社説では「中華ナショナリズムの共鳴が対日強硬姿勢を招くとしたら日本には悪夢だ」と率直に日本としての憂いを述べました。確かに、台湾の馬政権は李登輝と陳水扁の政権より、「中華民族」の団結を重視して、中華ナショナリズムに共鳴しやすいかもしれません。しかし、既述のように、馬氏政権が望む「中華民族」の団結は民主主義と台湾人の主体性と台湾の国家としての独立性を前提にしています。これは現在の中国共産党の胡政権が訴えた「中華民族」の団結とは根本的に異なっているところです。この根本的な差異が何時でも問題化されて台湾と中国の友好ムードを壊すゆえに、「中華民族」という台湾の馬政権と中国の胡政権が共に受け入れられる現在の枠組みにおいて、台湾と中国の関係がどこまで深められるかは、予測しにくいと思われます。

 

一方、これからの台湾と日本との関係についでですが、過去二十年、台湾はこの地球上、最も親日の国家だったとも言われます。これはさまざまな歴史的な背景もありますが、李登輝と陳水扁政権が台湾独立という目的を達成するために、政策的にあえてそうした面も大きいです。しかし、これについて、私が一人の台湾人として、特に悲しく思うのは、日本の右翼的な政治家しか台湾を相手にしませんでしたから、過去の台湾政府(特に一部の台湾知識人)が、日本の右翼的な政治家・知識人よりも過激な中国批判と無制限な日本礼賛に流れた、ということです。特に、これらの台湾知識人の言動がさらに日本の右翼政治家・思想家に利用されていますので、ますます悪循環に入っていました。ある意味で、やや大げさな言い方ですが、過去二十年の台湾の親日現象は、台湾当局の日本に対する節操のなさと知識欲のなさ、及び日本当局の台湾への関心のなさをカムフラージュしていたと、私は思っています。この意味で、馬政権が過去の無節操の親日を断ち切って、よりよく日本を知り、同時に中国と日本と真に友好的な関係を築く可能性を持っているかもしれません。少なくとも、私はそういう風に望んでいます。尖閣諸島事件はそのきっかけになればと、ひそかに期待しています。

 

以上、一人の台湾人として、これからの台中関係及び台日関係についての感想と期待を述べました。国際関係を専攻していない人間ですので、たわ言を喋りすぎたと思われるかもしれませんが、このテーマに関してご意見とご関心をお持ちの方々からご叱正いただければ幸いです。

 

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<藍 弘岳(らん・こうがく)☆ Lan Hung-yueh >
中華民国の台湾南投生まれ。現東京大学総合文化研究科博士課程に在籍するが、博士論文の審査が通ったばかり。関心・研究分野は荻生徂徠、日本思想史、東アジアの思想文化交流史、日本漢文学など。博士論文のテーマは「荻生徂徠の詩文論と儒学――「武国」における「文」の探求と創出」。現在は、二松学舎大学COE研究員、SGRA会員。
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