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エッセイ139:宋 剛 「国際化と自己本位の狭間に彷徨う若き中国」

半年も過ぎていないのに、2008年は中国にとって多事多難の一年になりそうだ。オリンピックの開催をきっかけに、幸も不幸も中国は世界の注目を集めている。聖火の輝きとともに、以前から抱えてきた諸問題は、目前に突如起きたかのように目立つ。数万人に及ぶ死者を出した四川大震災ですべての問題がまた瞬時に消えたように錯覚させるが、中国経済に対するダメージは実に大きい。

 

中国政府の行動に対して外国の多数のメディアは、厳しい視線を浴びさせながら理解不能だという論調をあげている。人権問題が解決されていないのになぜオリンピックの開催を急ぐ? 沿道の観客が見られないのになぜ聖火リレーを続ける? 二万人以上が生き埋めの状態なのになぜ国際緊急援助隊受け入れの決定を遅らせる? 確かに、反面教師の役割を果たしていたミャンマー軍政府がなかったら、日本の救急隊は未だに成田空港で待機していたかもしれない。(ヤンゴンのキンさんをはじめ、ミャンマー出身の国民のみなさん、お許しください。)

 

国によって数字が違うが、中国は4000~6000年の歴史を誇る大国だと認識されている。恐らく、98%の我々中国人もそう思っているだろう。しかし、今日の中国は未熟の少年なのだ、と私は言いたい。なぜなら、国家の歴史と政権は別次元の問題だからだ。

 

人民共和国は、60年の誕生日を迎えようとしている。だが、生れて初めてその初々しい目で世界を見ようとしたのはたったの30年前のことだ。孔子は「三十にして立つ」と言ったが、アメリカ合衆国は、世界の頂点まで辿りつくのに二百余年の歳月を費やした。日本もまた、文明開化以来百年以上の試行錯誤を積み重ね、ようやくアメリカに次ぐ経済大国となった。

 

先進国からみると、現在の中国には子供らしい一面や、不合理に見える部分が存在するのは当然なことだ。そして、未熟な中国は国際化のレールに乗ろうとしているのだ。

 

国際化とは何か? それは国境線を越えて世界的規模に広がることだとすれば、中国は必ずしも頑丈ではない列車をつくり、信じられない速度でそのレールに乗ろうとしている。なぜなら、世界に取り残されたくないからだ。賃金が何倍も安くても外国資本を招致する、世界中でチャイナフリーと言われても世界工場の座を譲らぬ、四合院が取り壊されても高層ビルに入ればよい、という中国。近代化に熱中する中国には、得失を計算する余裕はもはやない。

 

しかし一方、プロレタリア階級革命によって植民地の危機から救出された中国は、同じプロレタリア階級革命によって中華民族のアイデンティティーそのものも失いつつあることにようやく気づいたようだ。孔子思想の国内における再認識運動、孔子学院の世界進出、文化大革命時代の行き過ぎた孔子批判は反省され、それとともに、過剰な自己肯定論が広がり、大国意識が目覚めている。

 

こうして、まだ若い中国は、古代の栄光と近代の屈辱、つまり自己本位を徹底するのか、それとも、完全に他人本位を選び、国際化するのか、そのバランスは如何に調整するのかという狭間の中に彷徨っている。

 

 
最後に、チベットの人権問題について、愚見を一言付け加えたい。人間として、生きることは基本的な権利で、何よりも優先すべきだと私は思う。言論の自由や、文化の伝承など、さまざまな問題は確実に存在している。しかし、経済を発展させて、お腹がいっぱいにならないと、すべては空中楼閣なのだ。これは中国が60年を経てやっと見つけた方向なのだ。

 

 
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 <宋 剛 (そーごー)☆ Song Gang>
中国北京聯合大学日本語科を卒業後、2002年に日本へ留学、桜美林大学環太平洋地域文化専攻修士、現在桜美林大学環太平洋地域文化専攻博士課程在学中。中国瀋陽師範大学日本研究所客員研究員。SGRA会員。
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