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エッセイ135:包 聯群「初めての香港」

香港は私たちにとって特別の意味がある。なぜなら、1997年の“香港回帰祖国”という言葉を中国人であれば誰もが覚えているからである。1984年12月19日にイギリス初の女性首相であったマーガレット・サッチャーが香港を中国に帰還させることに同意したことによって、長い期間を経て香港は1997年にまた中国の領土として戻ってきた。

 

 
香港帰還のニュースは、ほぼ毎日メディアで報道されていた。その頃からいつか機会があれば香港に行きたいと思っていた。そして、今年の3月25日から27日まで、香港理工大学で開催された「第六回中国社会言語学国際学術シンポジウム」で発表することになり香港に行ける機会を得た。初めての香港だったから、興味津々で、すべてのものが新しい情報として目に映り面白かった。

 

 
飛行機から降りた時から何でも日本と比べてしまう癖がついていた。例えば。。。

 

1.交通の面で

 

①バスも地下鉄も釣銭が出ない。

 

香港に着いてから会議の案内に従い、空港バスに乗り、市内へ向かった。市内まで約40分で、香港ドル33元かかると聞いていたため、40元を入れて、日本のバスがそうであるように、自動的にお釣りが出てくるのを待っていた。しかし、しばらく経ってもお釣りが出てくる気配がなかったので、運転手に声をかけた。そしたら、驚きの返答が返ってきた。「このバスはおつりが出ないよ。100元を入れてもお釣りが出ないよ!」これがあの経済発展を遂げた香港なのか?と思い・・・一瞬言葉も出なかった。これが香港に来て初めて受けた驚きだった。会議の二日目の夜、中国内陸からきた教師たちと一緒に街に出かけるため、地下鉄に乗った。なんと地下鉄でも同じことが起きた。発券機からもお釣りが一切出ない。その時、サビース精神が旺盛な日本の素晴らしさを思い出した。何でもお客さんを優先的に考える日本から行った人にはなかなか慣れないことであろう。

②異なるトンネルを利用すると、タクシーの通行料金が変わる。

香港に着いた夜、ホテルを間違えてしまった。予約したホテルにタクシーで向かうには、トンネルを通らなければならない。トンネルの通行料金がまたタクシー代とは別に香港ドル20元(日本円で約300円)かかる。しかしながら、通行料金・香港ドル50元(日本円で約700円)を払えば、近道を利用することができ、時間がはるかに短縮できると言われた。夜遅くなっていたため、近道の方が便利だと思い、利用した。同じ場所に行くのに、トンネルによって料金が違うのは初めての体験であった。

③交通ルールの違い。

宿泊したホテルは香港理工大学のすぐ近くで、歩いて10分程度の短い距離にも関らず、信号を何か所も渡らなければならない。そこで、驚きの風景を目の当たりにした。まだ赤信号なのに、堂々と横断歩道を渡っている人々がいる。そして、もっと「すごい」のは人より車の方である。人々がまだ横断歩道を渡っている時、左折してきた車が猛スピードで走っていた。そして、人々は瞬時に飛び退いて車を避けた。日本では車が人を待つのが常識になっているので、このような風景を見て驚きを隠せなかった。逆に中国では車を優先する習慣があるので、日本に来た当初、かなり困った。私は車が通過するのを待つが、車も私を待つという場面が多くあった。今は堂々と車より先に渡れるようになった。

 

④運転手の技術が熟練している

 

バスの窓から見ていたら、反対車線を走ってきたバスが、その前方にあるバスの後ろ、たった50cmしかない距離で止まった。私が乗っていたバスもそうだった。これは初めての体験で、びっくりする一方、心配な面もあった。

 

2.香港には便利なところもたくさんある

 

香港では、ホテルを一人の名前で予約したあと、知り合い同士と同じ部屋に宿泊することができるようである。宿泊費は人数に関係なく、個々の部屋の値段で決まる。この面で会議に参加する人や旅行する人にとっては経済的にかなりメリットがある。香港の商店街は、お金の換金所が非常に多く、とても便利である。ほとんどのお店で人民元が香港ドルの代わりに使えるのは予想外のことであった。繁華街にある個人経営のお店は夜の12時まで営業することが多く、旅行する人の便利さを考えたと思われる。

 

3.日常言語

 

若者の中で北京語を話せる人が多くいる一方、年配の人に北京語で道を訪ねたところ、聞き取れない人もいた。町にある看板は英語だろうと想像していたが、意外と中国語で書かれたものが多かった。

 

4.歴史・文化

 

会議の合間をみて大学のすぐそばにある博物館を見学した。香港の歴史、昔の人々の生活ぶりなどを細かく再現した展示があるところがすばらしいと思った。特に香港の銀行の発展の歴史を詳細に展示しているのは、やっぱり経済が発展した香港であるという感銘を受けた。

 

以上、香港レポートではあるが、いずれかチャンスがあれば、再び行きたい。今度はゆっくり見学できるように・・・。

 

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<包聯群(ホウ・レンチュン)☆ Bao Lian Qun>
中国黒龍江省で生まれ、1988年内モンゴル大学大学院の修士課程を経て、同大学で勤務。1997年に来日、東京外大の研究生、東大の修士、博士課程(言語情報科学専攻)を経て、2007年4月から東北大学東北アジア研究センターにて、客員研究員/教育研究支援者として勤務。研究分野:言語学(社会言語学)、モンゴル系諸言語、満洲語、契丹小字等。SGRA会員。
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