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エッセイ120:陳 姿菁「台湾のシルバーシート事情」

台湾に旅行に来て気づく方も多いでしょう。公共交通機関に乗ったときに、若者がすぐお年寄りや妊婦さんに席を譲る光景を絶えず見かけることです。

 

台湾では「博愛席」というものがあります。日本でいうところのシルバーシート(優先席)で、電車やバスに設定されています。人々はお年寄りに対して積極的に席をゆずります。台湾には「敬老尊賢」という言葉があります。年上を尊敬し敬うという意味で小さいころから植え付けられている概念です。そのため、特に交通機関に乗るときに、お年寄りをとても大切にします。シルバーシートではなくても、積極的に席を譲るし、席を譲るために離れたところにいるお年寄りを呼ぶこともあります。席を譲る対象はお年寄りばかりではなく、小さな子どもや、妊婦さんあるいは体の不自由な方にも座席を譲る習慣があります。

 

日本で忘れかけた人のやさしさを台湾で見かけると、よく日本人の友人から聞きます。台湾人は「博愛席」という名称にもあるように、人を思いやる博愛精神を大切にしているように思いますし、教育でも重視されているようですね、と感心してくださる日本人の友人の数は少なくありません。日本に帰って、自分は席を譲ったけれども周りの人は誰もしないのを見て日本人として恥ずかしい思いをしたという友人もいました。

 

しかし、反対の声も聞こえます。老人はともかく、何で子ども達にも譲らなければならないでしょうか。子どもを大事にするにしてもほどがあり、甘やかし過ぎないように親も気をつけなければならないという意見です。

 

日本にもシルバーシートの設定を巡って議論が起きているようでが、実は台湾でも同じ声が聞こえます。「外見は健常者に見えるから譲ってもらえないが、心臓疾患や高熱などの内部疾患を患っていて外見では見分けられない人もいるのですよ」という指摘にはハッとさせられます。また、「一日仕事をしていたのでくたくたな時は、若者だって座りたいことはある」「乗車時間が長いので、座るのは自分の権利である」「譲るか譲らないかは個人の自由」という生々しい本音も吐露されます。

 

確かに、シルバーシートの設立趣旨はいいことではありますが、しかし、当たり前になりすぎたという感じは見受けられます。なぜかというと、あたかも譲ってもらって当然という態度のお年寄りに何度も会ったことがあるからです。本来なら「敬老尊賢」は美徳とされ、お年寄りを思いやるために席を譲り、お年寄りの方もそれをありがたく相手の好意を受け取るのが理想的です。しかし、譲る行為が一般化しすぎた故、譲らないといかにも図々しく礼儀知らずの若造として周りに見られてしまいます。その上、お年寄りの方に「席を譲って」という目で見られ、疲れていても、具合が悪くても譲らなければならない状況に追い込まれることも少なくありません。そんな具合ですから仮眠して知らない振りをする人も出てきています。お年寄りだけではなくて、子連れの親が席についている人に「席を譲って」という目線をずっと送っている情景もしばしば目撃しました。

 

ここまでくると、本来の趣旨から外れてしまっているのではないでしょうか。表から見れば、博愛精神を大切にし、お年寄りや体の不自由な方を大切にしている社会に見えますが、掘り下げてみると、譲る側としては自分が得た「楽に交通機関に乗る『権利』」を譲るのに、当たり前に受け取られて心から感謝してもらえない、という表向きと背馳する行いになっているのではないでしょうか。

 

席を譲る必要はないと主張しようとしているわけではありませんが、それは強制的なものではないと理解した上で、席が譲ってもらったら「当たり前」ではなく、相手の思いやりに感謝していただきたいものです。

 

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<陳姿菁(ちん・しせい ☆ Chen Tzuching)>
台湾出身。お茶ノ水女子大学より博士号を取得。専門は談話分析、日本語教育。現在は開南大学の応用日本語学科の専任講師。台湾大学の頂尖企画も兼任している。SGRA研究員。
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