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エッセイ023:臧 俐 「初訪日の研修団の通訳をして感じたこと」

2006年10月、私は神戸国際貿易促進会の依頼を受け、中国国家外専局より派遣された中国西安市農業研修団の通訳をすることになった。私が担当した東京方面の研修は6日間であった。短い日々ではあったが、団員の方々と行動を共にし、また様々な会話を交わす中から、団員の方々が日本に対して抱く思いについて、いくつか興味深いことを感じた。そして、それは今後日中友好の促進に多くの示唆を与えるものであるとも感じた。

 

西安市農業研修団一行26名は、中国西部の陜西省西安市及び周辺の郷鎮にある農業部門の責任者たちである。平均年齢は45歳で、うち1名が20年前に日本の農家を訪れた経験がある以外、全員が日本は初めてであった。経済の高度成長の中にある現在の中国は、外国へ自由に旅行できる富裕な人々もいるが、大多数の普通の中国人、特に経済発展が比較的に遅れている西部の農業地域の方々は外国旅行するチャンスはめったにない。そこで、研修団の方々は今回の訪日を喜ぶはずであった。だが、昨年の「反日デモ」の影響で日本に対してさほどいい印象を持っていなかった団員の方々はこの訪日に複雑な心境であったと、打ち明けてくれる人もいた。

 

初日の研修は農林水産省においてであった。10月も半ばではあったが、背広姿ではまだ暑い日であった。きちんとネクタイを締めている背広姿のみなさんは、電車で農林水産省に着いた時にはもう汗だくであった。農林水産省の中も冷房がなかった。ハンカチで汗を拭きながら、「こんなに暑いのに、農林水産省のような大機構でなぜ冷房をつけないのか」と不思議に思ったようだった。だが、係りの人からの「環境配慮のため、10月1日以降官庁が率先して冷房を使わないようにしている」という説明にみんなは感心して言葉がなかった。そして、帰りの電車では「日本は経済で豊かな国なのに贅沢していない。公務員は本当の公僕だ。中国では我々程度の公務員でも出勤等でよく公用車を利用するが、よくないね。」と反省する人がいた。この思わぬ反省の言葉に私は良識を感じて少し安心した。

 

2日目の国会議事堂の見学の時であった。順番待ちの長い行列に地方から来たお年寄グループや小学生グループがいた。「国会議事堂を無料で誰にでも開放するやり方はいいなあ」とつぶやく団員がいた。そして、私に「日本では官庁も国民に開放されているのか」と聞いた。私は「ちゃんとした用件があり、何らかの身分証明書さえ提示すれば、大丈夫だ」と答え、一例として、私自身が博士論文用の資料を収集するために、文部科学省、都道府県教育委員会などを訪れて、係りの方に質問したり、説明をしてもらったり、資料をいただいたりした経験を紹介した。すると、「えっ、外国人、学生にも対応してくれるのか?」と信じ難そうな顔をしていた。「中国の官庁もいつかそうなってくれるといいなあ」と、日本のこのような状況に感心したようだった。

 

3日目の朝、通勤ラッシュにぶつかった。非常に混雑していた地下鉄のホームで、自然にできた電車待ちの列と、電車が着いた時に降りるお客さんが終わるのを辛抱強く待ち、その後で整然と乗り込む通勤ラッシュの風景を見て、ある人は「これは私の故郷では絶対に不可能なことだ。こんなに整然とルールを守る修養の高い国民がいるからこそ、日本は発展したのだ。」と深く感銘を受けたようであった。その日は経済産業省における研修だった。研修修了後に、日本人の係りの人が整然と机、椅子を片付け、お茶の缶などのゴミの後始末をしているのを見て、また、ゴミ箱にきちんと分別してあるゴミを見て、みんなは再び感心した。再び帰りの電車でその1日の感想を教育と関連して語ってくれた人がいた。即ち、「日本国民が高い修養を持つのは教育の成果だ。修養がある国民がいなければ国がよくなるはずはない。中国はもっと教育を重視し、特に子どもの社会規範意識のような教育を重視すべきだ。」という感想であった。

 

団員の方々は私と同年代で話しやすかったのかもしれない。東京方面研修の最終日の箱根旅行中に、研修団で一番若い30代の方が思わず次のように話してくれた。「実は、日本に来る前に日本のことがあまり好きではなかった…、しかし、この研修、この一週間に日本で見たこと、体験したことが私の日本への印象を大きく変えた。戦後の廃墟から日本がなぜこんなに速く復帰でき経済大国になれたかが、私の全身を通して分かったような気がする。」これはこの人の本心からの感想のように思えた。

 

初めて日本の土を踏んだ訪日団の方々の通訳をした際のわずかな出来事をここに挙げたが、この通訳の日々を通していろいろと考えさせられた。この訪日団員の方々には日本を愛する教育を特に誰も施していないし、日本がいかにいい国であるかということも誰も一言も教えていないと思われる。だが、このわずか6日間の研修での日本滞在中に、自分の目で見たことや自分の体で感じたことが、それまで抱いていた日本に対する考え方にかなりの変化を与えたのは事実である。このような体験は、もし同じようなチャンスが与えられたならば、多くの一般の中国人の人々に当てはまる変化であろうと言っても過言ではないと思われる。このことから、日中友好を促進するには、首脳間の相互訪問や世論のムードづくりが大切であるのは言うまでもないが、一般国民の行き来による一般の人々の目と体の体験を通じての草の根の真の相互理解の拡大が、より効果的で重要であると感じた。

 

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臧 俐(ぞう・り☆Zang Li)博士(教育学)。専門分野は教師教育・教育政策。中国四川外国語学院(大学)を卒業。四川外国語学院日本語学部で11年間専任講師を経て来日。千葉大学で修士(教育学)を経て、2006年に東京学芸大学より博士号を取得。
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