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エッセイ021:マックス・マキト 「醜いアヒルの子」

今年のノーベル平和賞はバングラデシュの経済学者ユヌス・モハメッド氏と、彼が設立したグラミン銀行が選ばれた。グラミン銀行の中心業務は、発展途上国の貧しい人々への融資である。健全な投資プロジェクトを持っているのに、貧乏だからという理由だけで融資を受けられずプロジェクトを実現できない。(金融)市場から見捨てられていたこのような人々に、いかに融資へのアクセスを与えるかということが、グラミン銀行が知恵を絞りながら見事に克服した課題だった。このような試みは真に美しいものでござる。

 

実は僕が担当するSGRA「グローバル化と日本の独自性」チームの最初のフォーラムでグラミン銀行を取り上げた。このフォーラムで僕が発表したのは、「日本のODAの効率性をいかに向上させるか」という問題だった。欧米と異なって、日本のODAは円借款に偏る傾向が強い。これは贈与を重視しがちの他の先進国と正反対のやりかたである。日本側は返済義務を課すことによって披援助国に「自助努力」が生まれると説明している。たしかに「自助努力を側面から支援する」というのが日本ODAの理念である。もっと広い観点からいえばこの自助努力理念は日本独自の「共有型成長」という開発経験の原動力ともいえよう。自助努力と共有型成長を狙うグラミン銀行の融資と全く同じという意味で、日本のODAはノーベル賞をもらえるはずである。

 

でもこの数年間の日本の動きを見ていると、さすがの僕も疑いはじめている。なぜなら、日本は「アヒル」であると思い込んでいる影響力のある経済学者が多すぎる。彼らは世界の一流教育機関の出身で、専門知識はノーベル並みに優れていることは間違いない。ただ、彼らの専門は「アヒル」であり、当然のように日本をアヒルとみなしている。いや、より正確に言えば、彼らが受けた専門教育において馴染んでいた「アヒル」とどこか違うので、日本は「醜いアヒル」である。ある日、この「アヒル」が風邪をひいて元気がなくなったので診察してもらったら、この専門家は「体重が普通のアヒルと比べて重すぎるので厳しいダイエットすればきっと元気になる」と診断した。読者の皆さんは、この喩えの主人公がどのような鳥かお分かりと思うので、以上のような診断が逆効果しか生まないことは明らかであろう。実は日本経済の長引く低迷にも繋がったといっても過言ではないであろう。

 

悲劇がそこだけで終わればよかったのだが、このような誤った診断は日本システムのあらゆるところで行われた。診断書には「首が長すぎ」て「羽が白すぎる」などと書いてある。日本の場合に言い換えれば、「目立ちすぎ」て「時代遅れ」なので「抜本的な改革が必要」という。

 

昔、佐藤栄作元総理大臣の時、日本の「非核三原則」が認められてノーベル平和賞を受賞したことがあった。背景には広島と長崎の被爆経験と、その結果ともいえる日本の平和憲法がある。非核三原則や平和憲法も実に美しいものでござる。ところが、今の日本のリーダーたちにとっては、あの戦争の経験者の存在が薄くなっているせいか、これもだんだん見えざるものになりつつある。

 

経済学者にとって「美しいノーベル賞」といえば、ゲーム論でノーベル経済学賞を受賞したJ.ナッシュ教授のことを思い出す。彼の人生を参考にした「A Beautiful Mind」という映画までできた。天才であることはBeautiful Mindそのものであるかもしれない。「Mind」というのは「心」と訳してもいいと思う。あの映画から教えてもらったのだが、ナッシュ氏は、SCHIZOPRENIAという精神的な難病を抱えていたが、それを克服した。実在しないものを妄想するような心から、美しいものが生まれるわけがない。やはり、人間は心に正直になってはじめて美しくなるのであろう。

 

日本では「醜いアヒル」の年ばかりだ。早く「美しいハクチョウ」の年が来てほしい。

 

※以上、渥美理事長、今西代表、渥美財団やSGRAの関係者や支援者のみなさんへの私の年末のご挨拶とさせていただきます。来年も宜しくお願いします。

 

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マックス・マキト(Max Maquito)
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。
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