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エッセイ019:張 紹敏 「バー・ハーバー:リラックスできる町」

<北東アメリカから(その2)>

 

8月初め、共同研究のために、メーン州のバー・ハーバーにあるジャクソン実験室を5年ぶりに訪ねた。ちょうど夏休みだったので、娘と二人で行くことにした。私が住むニュー・ヘブンからは、北へ車で8時間かかる。前回3歳だった娘はほとんど寝ていたから、今回は毛布とクッションも車にいれた。しかし、道中、娘は合唱団で覚えた歌をずっと歌っていて、退屈する暇もなくメーン州に入った。日曜日だったが、ジャクソン実験室の研究員である友人のボウさんに電話したところ、バー・ハーバーの手前の港町ラックランドで釣りをしているという。日本に行って間もないころ、よく釣りにいったことがあるのだが、この十数年はほとんどしていない。久しぶりに、夕暮れ時まで一緒に釣りを楽しんだ。娘も生まれて初めてスズキを釣った。

 

バー・ハーバーは、アカディア国立公園に含まれるマウント・デザート島の中の、最も大きな町である。夏場のバー・ハーバーは実に魅力的だ。大きなロブスターの看板のかかったレストラン、さまざまな工芸品の店、ショッピングを楽しむ歓光客、白い帆船やクルーザーが停泊する港の前の芝生の広場には、のんびり休日を楽しむカップル達。ギャラリーもレストランも地元の素朴さがいっぱいだ。バー・ハーバーから海岸沿いに遊歩道があり、国立公園の素晴らしい景色を満喫しながら探索することができる。良く整備されたキャデラック山の上に足を伸ばせば、澄んだ湖、青い原生林、岩の海岸、そして際限なく広がる大西洋が見渡せる。

 

冬は長くて寒いので、夏場の季節だけここに暮らす人もいる。5年前にジャクソン実験室の研究会に出席した時には、この港の近くのアパートを2週間借りた。オーナーは国際線のスチュワーデスで、冬になると南の地方にある家に住みながらアジアへ行くフライトで勤務しているが、夏になるとバー・ハーバーに戻ってきて、楽しみながらギャラリーを経営しているということだった。

 

バー・ハーバーはアメリカ本土で最も東に位置するので、日が昇るのは早い。私の仕事も早めに始めた。ジャクソン実験室は、マウスの遺伝子解析やヒト疾患の動物モデルの研究で、世界的に有数の高レベルの研究所である。日本も含む世界各地から研究者がここに集まり、研究成果である疾患モデルを世界各地へ発送している。数年前、ジャクソン実験室の動物舎が火事になったことがあったが、世界中から支援を受けて再建された。静岡県にいる私の親友も寄付したと言っていた。このすばらしい自然環境の中で一流の研究が生まれるのだ。リラックスできることが、良い研究を生むための基本かもしれない。研究データ捏造は、最近に限らず、日本、韓国、中国、アメリカなど世界各地で発覚している。科学研究の本筋から外れてしまったのだ。研究者が研究を職業として生きているのが現実としても、競争原理の導入は科学研究に相応しくないのではないか。

 

2日間はあっという間にすぎた。この間はボウさんの奥さんにベビーシッターをしてもらい、娘も近所の6歳の女の子と友達になった。この島で働く中国人は、5年前には4―5人だったが、今や30-40人のコミュニティーになっている。娘とその女の子を一緒に抱きしめて、「さよなら、来年また来るよ」と言った。大変忙しい2日間で、一度もバー・ハーバーの町に行けなかったので、帰り道にちょっと寄ってみた。5年前に住んでいたアパートの隣のギャラリーに入ったら、オーナーの彼女が居て、「あなたは5年前ここに来た女の子ですか?」「お母さん元気ですか?」と、5年前に母親も一緒に来たことをまだ覚えていた。今は季節による生活をやめ、家族と一緒にバー・ハーバーで通年暮らしているということだった。

 

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張 紹敏(チャン・シャオミン Zhang Shaomin)
中国の河南医学院卒業後、小児科と病理学科の医師として働き、1990年来日。3年間生物医学関連会社の研究員を経て、1998年に東京大学より医学博士号を取得。現在は米国エール大学医学部眼科研究員。間もなくペンシルベニア州立大学医学部神経と行動学科の助理教授に異動。脳と目の網膜の発生や病気について研究中。失明や痴呆を無くすために多忙な日々を送っている。学会や親友との再会を目的に日本を訪れるのは2年に1回程度。
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