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エッセイ015:シルヴァーナ・デマイオ「チルクムヴェスヴィアーナで『東京タワー』」

麻薬中毒者などのおかげで、イタリアでも悪名の高いチルクムヴェスヴィアーナ(ヴェスーヴィオ火山周遊鉄道)は、ナポリ市から南へ走り、西暦79年にヴェスーヴィオ火山の大噴火で地中に埋没した古代都市ポンペイも通っていく。東京のラッシュアワーの電車に負けないぐらい込み合っており、朝早くから大声でしゃべる人が大勢いるし、新聞、雑誌、書籍を読んでいる人も少なくない。私は、この秋、この通勤電車の中で、友人にもらった『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の読書を楽しんだ。読み終えたら、日本で2006年本屋大賞受賞作品になった理由が良くわかった。この本には、年齢に関係なく、だれもが求めている価値観がよく描写されている。更にまた、東京での慌ただしい日常生活にもかかわらず、その価値観を大切にしながら、日々を過ごして行く様子が上手く書かれている。それを読んで、とても感動した。

 

主人公が描写している両親との関係、両親に対する気持ちはイタリア人と全く同じで、「この本こそイタリア人にも読んでもらいたい」と毎日のように考えていた。言うまでもないことだが、日本とイタリアは、文化が違う。それぞれの国に蓄積してきた文化によって、それぞれの国の社会が発展してきた。しかし、異なる文化について話すとき、あるいは、異なる文化を紹介するとき、その文化の「珍しいこと」「違うこと」しか紹介しない傾向があるではないかと思う。異文化を紹介されながらも、自分の文化とその文化との共通点を発見することを期待している人も少なくないと思う。

 

最近日本を訪れたのは、今年の8月のことだ。『東京タワー』を読む前だったが、「東京はますます活気ある街になり、二、三年前と比べたら、大分変わってきた」と思いつつ街を歩いた。以前から、東京は活気のある街だと思っていた。しかし、振り返ってみると、例えば10年前、15年前の「活気」は現在と違って、「ソフトの活気」ではなく、「ハードの活気」だけだったのではないかと思う。なんとなく感じていたことであったが、「東京フレンズ」という面白い映画を見たら確認できた。家業手伝いの地方在住のごく普通の女の子が一気奮発して上京し、アルバイト先の居酒屋「夢の蔵」で新しい友達と出会う。夢なんて見つからないと思っていた皆が、夢を見つけていく様子を描いた作品だが、東京の下北沢を舞台にした、最近の東京の若者たちの様子が非常に上手く描かれていた。

 

「人間の能力は、まだ果てしない可能性を残しているのだという。しかし、その個々の能力を半分でも使えている者はいないらしい。それぞれが自分の能力、可能性を試そうと、家から外に踏み出し、世に問い、彷徨(さまよ)う。その駆け出しの勢いも才能。弓から引き放たれたばかりの矢のように、多少はまっすぐ飛ぶものだから、それなりの成果は生んでしまう。全能力の一、二パーセントを弾きだしただけでも、少しは様になってくる。」という文章を『東京タワー』で見つけ、日本人の若者の日常生活は表面的に大分変わってきているかもしれないが、根元は、しっかりし続けていると思った。

 

「東京の街は原色が溢れていると言われるが、本当は、すべての色が濁っている。チューブから出した彩やかな絵の具で描ける部分はどこにもない。風景も考え方もすべて、パレットの上で油とグレーに混ぜられて、何色とも呼べなくなった色をしているのだ。」ということも書いてある。

 

それは「オ・ソレ・ミオ」の国でも同様だ。
他の国はどうだろう。

 

★『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』のあらすじは、下記公式サイトをご覧ください。
http://www.tokyotower-movie.jp/story/index.html

 

 

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シルヴァーナ・デマイオ(Silvana De Maio)
ナポリ東洋大学卒、東京工業大学より修士号と博士号を取得。1999年?2002年レッチェ大学外国語・外国文学部非常勤講師。2002 年よりナポリ大学オリエンターレ政治学部研究員。現在に至る。主な著作に、「1870年代のイタリアと日本の交流におけるフェ・ドスティアーニ伯爵の役割」(『岩倉使節団の再発見』米欧回覧の会編 思文閣出版 2003)。
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