SGRAかわらばん

エッセイ003:マックス・マキト「老後を楽しみにしようよ」

2006年4月13日、農霧の東京湾でフィリピンの貨物船イースタン・チャレンジャーが日本の貨物船と衝突して沈没した。東アジアの経済大国日本に、僕も大きな夢を抱いてやってきたが、この数年間は先が見えにくく混乱が起きやすいので、果たして無事に着岸できるのかという不安が重く圧しかかっている。日本が大好きで、日本から離れられなかった結果として、多くの日本人と同様に、明るい老後を期待できない状態に陥ってしまったような気がする。

 

ところが、最近、僕の母国のフィリピンが、灯台のように強い光で導いてくれるかのようになった。「ドンマイ、ドンマイ。引退したらここに住めばいいじゃない」と、母国は僕に話しかける。海外から母国を見ると、また別の側面を発見することができるものだが、どうも日本ではフィリピンのイメージが芳しくない。少なくともテレビから伝わってくるのは、3K、つまり、キツイ、キタナイ、キケンな国というイメージである。正直にいえば、日本に長く居たおかげで、僕自身がそのような考え方に傾きかけていた。しかし、この4年間、SGRAのプロジェクトで毎年3回ぐらいフィリピンの大学と共同研究をおこなったおかげで、今度はまた別の視点から母国を見ることができるようになった。

 

「キツイ」というよりは「ヤスイ」。フィリピンの一人当たりのGDPは日本に比べてはるかに低いので生活がキツイと考えられるのかもしれないが、フィリピンの物価は日本の4~5分の一と推定されている。例えば、日本で散髪すると、デフレの恩恵をうけた一番安いところでも1000円する。それも、わざわざそういう安い店を探して行かなければならない。しかし、フィリピンでは家の近所に、短くてもスタイルがいい(つまり、丸坊主ではない)床屋があり、散髪の後1分ぐらいマッサージをしてくれて、たったの150円だ。つまり、日本での稼ぎがあれば、フィリピンでは十分に余裕ある生活ができる。

 

「キタナイ」というよりは「サムクナイ」。南国だから日本の夏みたいにかびが繁殖しやすく、食中毒が起きやすいと思われるかもしれないが、フィリピンの暖かい気候は健康に良い。初めて雪に会ったのは、まだアジア経済研究所が都内にあった頃、当時所属していたフィリピンの研究所との共同研究のために東京に来た時だった。ある朝起きて窓の外を見たら、隣の家の屋根が真っ白だった。すぐに外にでて実際に白くて冷たい粉を触った。雪はとても美しいし、映画でよく見る北国の格好いいファッションも着られるので、毎年冬を楽しみにした。でもそれは日本に滞在してから4~5年目までだ。日本の四季の中で、桜の春と紅葉の秋は最高だが、夏か冬を選べと言われたら、夏のほうがいい。冬は寒いし、心臓が止まりそうな静電気にもよく襲われる。やっぱり、サザン・オールスターズの音楽を満喫できる温暖な気候のほうが僕には合っている。

 

「キケン」というよりはちょっとした「ボウケン」だ。たしかに、日本は長い間、安全で平和な国だったので、フィリピン人の目からみると、リスク管理が甘くなってしまっている。フィリピンに帰国すると、意図的にリスク管理のスイッチを入れる。しかし、本当にそんなに危ない国かな。次の統計を見てください。危険の最大の象徴ともなりうる「死亡率」という観点からみたら、フィリピンはそれほど命が奪われる国でないことを示唆している。

 

[死亡率]
国 1970年 1990年 2004年
日本 7 7 8
米国 9 9 8
英国 12 11 10
韓国 9 6 6
タイ 9 6 7
フィリピン 11 7 5
(「死亡率」:1年間に死亡した人を全人口で割り1000をかけた数字)
出所: www.unicef.org

 

今年の初め、在日フィリピン大使館が、フィリピンでのロングスティ(長期滞在)の説明会を開催した。日本人向けの説明会だったが、オブザーバーとして申し込めたので、僕も参加してみたところ、定員を上回るぐらい大勢の日本人が集まり、配布資料や席が足りないほどだった。

 

ささやかな力ではあるが、僕は、日本で見つけた宝物をいかして、引退後は母国フィリピンで暮らすのを楽しみにしている。日本人の皆さんも、濃霧の中の衝突を避け、一緒に無事に着岸しましょう。いかがですか。

 

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マックス・マキト(Max Maquito)
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。
フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師

 

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