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エッセイ001:葉 文昌 「中華の中の事なかれ主義」

日本では、日本の悪しき慣習についての議論をよく耳にします。「事なかれ主義」、「本音と建前」、「臭いものに蓋」等々。しかし、日本でこのような問題が提起されることを、僕はうらやましく思います。またそれ以前に、日本でこのような慣習自体に名詞がついていることをうらやましく思います。

 

台湾の「事なかれ主義」についてお話します。台湾の大学は6月下旬に期末テストが始まりましたが、僕は学科の重要な必修科目を担当しています。この期末テストの出来事ですが、あろうことか、僕は確固たる物証とともに3人のカンニングを捕まえてしまいました。僕にとっては、はじめてだったので、処置を知るために前例を聞くことからはじめました。そうしたら、なんと!「これまでカンニングで処罰された前例は、知る限りでは聞いたことがない」とのことでした。次に先輩の先生にも聞いてみました。すると、「荒波を立たせることはない。学校当局にこの件を伝える必要はない。その代わりに学生に反省文を書かせればいい」と言われました。これでは正直者がバカを見るだけです。なぜ正規な処分は望まれないのでしょうか?それは、「処分された学生が学校の粗捜しをしたり、なんらかの報復をしたりすることを恐れているからだ」と言うのが一般的な認識のようです。学校当局も、保身を考えて、波立てることは避けたいとのことです。むしろ、圧力をかけて引っ込ませることもあったと聞きます。これこそ、日本で言う「事なかれ主義」と「臭いものに蓋」的な考え方です。中華の世界ではこのような考えが日本以上にしっかり、個々の細胞に根付いていると僕は思います。

 

しかし中華の世界では、「事なかれ主義」や「臭いものに蓋」という名詞はありません。かといって、そのような慣習がないのとは違います。これは清時代まで、中国に「社会」「数学」等の名詞がなかったのと同じです。実際には「社会」は当然あった訳ですよね。例えば、日本語を数年だけ学習した留学生に「あなたの国に『事なかれ主義』、『臭いものに蓋』はありますか?」と聞いてみます。返ってくる答えは「ありません」となるでしょう。そもそもこの概念を表す名詞が中国語にないのです。たとえこの概念を理解する人がいたとしても自分の欠点は認めたがらない「面子主義」もいくらか影響するでしょう。

 

これが日本人にいかにも「自分が島国で異質である」との誤った認識を与えてしまうのです。日本は異質ではありません。このような慣習は中華文化を育んだ社会の方がはるかに得意としています。これは文化で、国民の細胞の隅々にまで行き渡っています。日本では明治維新以来受け入れた西洋的思考が先行している分だけ、薄まっているのです。因みに僕は前例を作るのが好きなので、この件はお構いなしに大学に提出してしまいました。今後の発展が楽しみです。

 

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葉 文昌(よう・ぶんしょう)
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員
2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。現在は国立台湾科技大学電子工学科の助理教授で、薄膜半導体デバイスについて研究をしている。現職で薄膜トランジスタを試作できるラインを構築したことが自慢。年に4回ほど成果発表、親友との再会、一般情報仕入れを目的に日本を訪れる。
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