SGRAメールマガジン バックナンバー

  • The Third Asia Future Conference Report

    ************************************************ SGRAかわらばん641号(2016年10月6日) ************************************************ ◆第3回アジア未来会議「環境と共生」報告 2016年9月30日(金)~10月2日(日)、北九州市において、20ヵ国から397名の登録参加者を得て、第3回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「環境と共生」。北九州市は製鉄業をはじめとする工業都市として発展しましたが、1960年代には大気や水の汚染により、ひどい公害が発生しました。その後、市民の努力により環境はめざましく改善され、2011年には、アジアで初めて、経済協力開発機構(OECD)のグリーン成長モデル都市に認定されました。第3回アジア未来会議では、このような自然環境と人間の共生はもとより、さまざまな社会環境や文化環境の中で、いかに共に生きていくかという視点から、広範な領域における課題に取り組み、基調講演とシンポジウム、招待講師によるフォーラムや円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。 開会に先立つ9月29日(木)午後7時、北九州国際会議場において、第10回SGRAチャイナフォーラム「東アジア広域文化史の試み」が開催されました。SGRAが毎年秋に北京を始め中国各地で開催しているフォーラムを、今回はアジア未来会議にあわせて日本で実施したもので、過去2回のフォーラムの論点に沿ってさらなる研究成果が報告され、今後の展開に繋げました。(日中同時通訳) 翌、9月30日(金)午前9時から12時半まで、北九州国際会議場では4つのフォーラムと円卓会議が同時に開催されました。どの会場も大入り満員で、グローバルな課題に取り組む活発な議論が展開されました。 ◇円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」(助成:東京倶楽部) この円卓会議では、東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、中国の「国史」、日本の「国史」、韓国の「国史」を対話させることが大事であることを確認しました。将来的には「国史」研究者同士の交流によって共有する東アジア史に繋がっていくことが期待されます。今回は今後5回程度のシリーズの初回と位置づけられ、日本、中国、韓国の歴史研究者が集まって「国史たちの対話」の可能性を検討しました。(日中韓同時通訳) ◇円卓会議「東南アジアの社会環境の変化と宗教の役割」(助成:国際交流基金アジアセンター) この円卓会議では、宗教が本来人間や社会を幸福にするために生まれたものであるにもかかわらず、近年は対立や衝突の原因と見なされがちである現状を踏まえ、民族と宗教のモザイクで構成され、各国で固有の宗教と社会の関係が見られる東南アジア各国の事例を基にして、この地域から招待する研究者、日本で研究活動を行う外国人及び日本人研究者が共に、宗教と社会のかかわり、社会変化と宗教の役割などの普遍的なテーマを議論しました。(使用言語:英語) ◇円卓会議「人とロボットの共生社会をめざして」(助成:鹿島学術振興財団) この円卓会議では、(1)ロボットが日常生活の中に入る時、どのように人々とかかわり合い、どんな働きをすべきか、(2)人々とロボットが信頼関係を作り、共生できる社会は実現できるか、(3)ロボットは、従来の「人を模した相互作用対象」という限られた役割を超え、人間社会の中で、高度に知的で創造的な協調活動を誘発し、人々の間の相互作用の質を向上させる新たな役割を担うようになるか、等の問題意識に基づき、理工系研究者の発表の後、若手の哲学、デザインの研究者を交えて、人とロボットが共生する近未来の社会を構想しました。(使用言語:英語) ◇AGI経済フォーラム「アジアの人口問題と対策」(主催:アジア成長研究所主催) 北九州市に本拠を置くアジア成長研究所主催の本フォーラムは、「アジア諸国は目下、少子高齢化、人口減少、人口移動、人口の都市化、外国人労働者の流入、性差などのような多くの人口問題を抱えており、これらの問題について網羅的に吟味し、対策を打ち出すことが急務となっている」という問題意識に基づき、アジア成長研究所の4名の専門家が、アジア諸国が直面している様々な人口問題を取り上げ、その実態、経済社会に与える影響、対策、他のアジア諸国への教訓などについて検証しました。(使用言語:英語) 昼食休憩の後、午後3時、北九州国際会議場メインホールにて開会式が始まり、第3回アジア未来会議を共催する北九州市立大学の近藤倫明学長の歓迎の挨拶の後、明石康大会会長が開会を宣言しました。引き続き、トヨタ自動車のMIRAIチーフエンジニア田中義和氏による「燃料電池自動車MIRAIの開発と水素社会の実現に向けたチャレンジ」と題した基調講演がありました。その後、北九州市立大学創立70周年記念シンポジウム「持続可能な発展とアジア市民社会-水素エネルギー社会の実現を目指して-」が開催され、北九州市で環境問題に取り組む市民活動について、研究員、NPO、起業家からの活動報告がありました。(日英同時通訳) フォーラム等の講演一覧は下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/conference-program/ 最後に、松元照仁北九州副市長の祝辞をいただいた後、北九州市立大学創立70周年を祝して、大学の研究成果の麹と地域民間企業のコラボが醸造する日本酒「ひびきのの杜」で鏡開きが執り行われました。参加者がホールを出ると、奇跡的に雨が止んだ中庭で、ジャズ演奏を聴きながら、そのお酒が300名を超える参加者に振る舞われてウェルカムパーティーが始まりました。アジアを中心に各国から集まった参加者が小倉名物の屋台によるB級グルメを楽しんだ後、小倉祇園太鼓の演奏に続いて、いよいよ今回の目玉イベントであるプロジェクションマッピングで、北九州の1500年の歴史を3分で纏めた影像が国際会議場中庭の大壁面に放映されました。 10月1日(土)、参加者は全員、小倉駅からモノレールで北九州市立大学北方キャンパスに移動し、8つの自主セションを含む58の分科会セッションに分かれて225本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しているので、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「平和」「幸福」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは違った、多角的で活発な議論が展開されました。前日の招待フォーラムの講師を含む延べ109名の方に多様性に富んだセッションの座長をお引き受けいただきました。ポスター発表は地下一階の休憩所に隣接して行われました。休憩時間には北九州市立大学の学生やボランティアによるピアノの演奏やお茶のお点前があり、国際交流の雰囲気を盛り上げました。 各セッションでは、2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。優秀発表賞の受賞者リストは下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/files/2015/04/best-presentation.pdf また、本会議では10本のポスターが掲示されましたが、AFC学術委員会により2本の優秀ポスター賞が決定しました。優秀ポスター賞の受賞者リストは下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/files/2015/04/best-poster.pdf 優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2015年8月31日までに発表要旨、2016年2月28日までにフルペーパーがオンライン投稿された115本の論文を13のグループに分け、ひとつのグループを4名の審査員が、(1)論文のテーマが会議のテーマ「環境と共生」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針によって審査しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位20本を優秀論文と決定しました。優秀論文リストは下記リンクからご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/files/2016/06/AFC3-BEST-PAPERS.pdf フェアウェルパーティーは、同日午後7時から、ステーションホテル小倉において開催され、今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、北九州市立大学の漆原朗子副大学長による乾杯で始まりました。食事が終わる頃、AFC学術委員長の平川均国士舘大学教授から選考報告があり、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者20名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀ポスター賞2名、優秀発表賞50名が表彰されました。パーティーの最後に、韓国未来人力研究院院長の李鎮奎高麗大学教授から第4回アジア未来会議の概要の発表がありました。 10月2日(日)参加者は、それぞれ、水俣スタディツアー、秋吉台・萩観光、北九州市内観光、北九州環境スタディツアー、温泉体験などに参加しました。 第3回アジア未来会議「環境と共生」は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、北九州市立大学と北九州市の共催、外務省と文部科学省の後援、国際交流基金アジアセンター、東京倶楽部、鹿島学術振興財団、北九州市の助成、九州経済連合会、アジア成長研究所の協力、そして、麻生セメント、カジマ・オーバーシーズ・アジア、鹿島建設、鹿島道路、九州電力、九州旅客鉄道、九電工、コクヨ、スナヤン開発、ゼンリン、第一交通産業、中外製薬、テノ・コーポレーション、TOTO、西日本産業貿易コンベンション協会、本庄国際奨学財団、三井住友銀行、米良電機産業、門司港運、安川電機、山口銀行からのご協賛をいただきました。 運営にあたっては、元渥美奨学生を中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務を担当しました。また、北九州市立大学にも実行委員会が開設され、延べ120名を超える教員、職員、学生ボランティアのご協力をいただきました。 400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第3回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。 アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。 本会議は2013年から始めた新しいプロジェクトで、当初10年間で5回の開催を計画しましたが、既に3回の会議を成功裡に終えることができたので、2020年以後も開催を続けることになりました。第4回アジア未来会議は、2018年8月24日から28日まで、韓国ソウル市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。 第3回アジア未来会議の写真(ハイライト)は下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2016/7596/ フェアウェルパーティーの時に映写した写真(動画)は下記リンクよりご覧いただけます。 https://youtu.be/EAk_M934JmM 第4回アジア未来会議チラシ http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/files/2016/10/AFC4_Chirashi_light.pdf (文責:SGRA代表 今西淳子) ************************************************** ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Hong Sungmin “Thinking about Global Citizen in Tateshina”

    ************************************************ SGRAかわらばん640号(2016年9月22日) ************************************************ 第5回SGRA蓼科ワークショップ報告 ◆洪性珉「蓼科から地球市民を考える」 7月1日(金)朝、少し曇った天気の中、2016年度渥美奨学生たちは、新宿から蓼科へ向かった。バスで移動している途中は雨が降っていたが、諏訪に着いたらすっかり晴れていた。今回のワークショップのテーマは、「地球市民」であった。 プログラムの中でもっとも印象に残ったのは、グループワークである。参加者は4つのグループに分かれて課題を行うことになった。僕らのチームの名前は「虹の橋」と決めた。そして、与えられた課題は2つ。第1は、与えられた状況について演劇を行うこと、そして第2はより良い世界を作るために地球市民として行うべきことについてプレゼンテーションをすることである。 我がチームの演劇の内容は、グローバル企業の進出によって、ある家庭にも影響が及び、お父さんは職を失い、その代わりに子供が家庭の生計のために学校に行かず工場で働いている、という状況をどう解決すればいいのかについてである。ところで、僕が最後に演劇をやったのは何時だったのだろう。中学生、いや小学生だったかもしれない。余りにも慣れない演劇をするのは少し恥ずかしかった。幸いに、元奨学生の方々の熱演のお蔭で演劇は盛り上がり、無事に終わった。 その後、演劇の時に浮かび上がった問題点について解決策を講じ、それについてプレゼンテーションをした。課題としてポスターの制作もあったが、残念ながら僕は絵が得意ではない。ところが、チームのメンバーの中には、いいアイデアを出せる人、様々な意見をよくまとめる人、絵の演出が得意な人など、様々な人がいた。各自の長所をもって人の短所を補う作業は順調に進められた。我がチームは、「虹の橋」という名前を生かして「絶望の輪」が地球市民の活躍によって「希望の虹」に変わる様子を見せながら発表を行った。このように課題を行う中で、世界各国で起きているグローバル化に伴う問題も個々の地球市民が力を合わせれば、問題を解決できる大きな力になれることを感じた。 しかし、疑問に感じたこともない訳ではない。それは、ワークショップの最初の先生の基調講演でのことである。先生は、欧州移民研究がご専門だが、我々のためにお話の内容を東アジア地域にも広げ、地球市民について考える話題を提供してくださった。その中、日本の地球市民の例として2人の日本人を挙げられたが、その一人は東郷茂徳であった。彼は、朝鮮陶工の末裔で、本名は朴茂徳である。しかし、帝国主義の理念が高まっていた当時の日本で、彼は朴茂徳ではなく東郷茂徳を名乗ることで日本の官僚、政治家として活動することが出来た。その時代に生きていた東郷茂徳は、果たしてワークショップで議論している「地球市民」として働けたのか、それとも「帝国主義日本の官僚」としてしか働けなかったのか。私にとっては、すぐに彼が「地球市民」として働いたという結論に達することはできなかった。 もう一つは、講演の中で接した「日本人は、終戦から70年代まで在日朝鮮人以外に外国人と接する機会がなかった」ということばである。在日朝鮮人は果たして外国人であると言い切れるのか。戦前及び戦中には、朝鮮人は日本人と同じく日本の国民と看做され、戦争に動員されている。ところが、戦後になると日本はこの朝鮮人を排除する論理で、外国人として扱ったのである。言い換えれば、在日朝鮮人という存在は、帝国主義日本の「負の遺産」であり、その問題は未だに進行形でもある。上記のことばにはその問題についての意識が充分読み取れないように思う。この問題について認識せず、排除する論理を踏襲したまま「地球市民」について議論を進めても、どれほど有意義な議論を導きだせるのだろうか。以上が私の疑問であった。 一方、ワークショップの他に印象に残ったことも多い。例えば、ご飯が美味しかったことが挙げられる。朝ご飯も、懇親会のバイキングも全て美味しかった。朝ご飯を食べるときは、勿論おかずも美味しかったが、特にご飯が美味しかったので、いつもご飯のお代わりを2~3回もした。バイキングの時に食べた料理の中では、蕎麦が最も印象に残った。程よく歯応えのある麺に汁が絡むと蕎麦の風味が増す。さすが信州の蕎麦は旨いと感じた。 そして、7月3日(日)には全てのプログラムが終わり、東京に戻ることになった。東京は、この3日間の間にだいぶ蒸し暑くなっていた。そして、私たちはその暑さの中に入り、各々の日常に戻った。 蓼科ワークショップの写真は下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2016/7257/ <洪 性珉(ホン・ソンミン)Hong Sungmin> 2016年度渥美奨学生。2012年4月に早稲田大学文学研究科東洋史学専攻に入学、現在は博士論文を執筆中。専門は東洋史、特に遼宋関係史を中心に東アジアの歴史を研究している。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Two Essays Related to Taiwan

    ***************************************************** SGRAかわらばん639号(2016年9月15日) 【1】エッセイ:林泉忠「南シナ海仲裁と脆弱な中台関係」 【2】エッセイ:葉文昌「蓮舫の二重国籍」 ***************************************************** 【1】SGRAエッセイ#505 ◆林泉忠「南シナ海仲裁と脆弱な中台関係」  (原文は『明報』(2016年7月25日付)に掲載。比屋根亮太訳) 国際裁判所による南シナ海仲裁案の裁決結果は、ほぼ中国の「全面敗訴」と見なされた。これに対し中国政府は全てのメディアを用いて反論に出ると同時に、中国国民の新たなナショナリズムに火を付けた。「米日菲韓」に対する排外感情はネット上で急速に拡大しており、その影響がケンタッキーやマクドナルドといったアメリカ資本の企業にまで及んでいる。奇妙なことは、台湾の蔡英文新政権が中国が求めている1992年に中台が「一つの中国」をめぐり「合意した」という「92年コンセンサス」を認めなかった結果、台湾に対し「地が動き、山が揺れる」と態度を表明したばかりの北京が、今回は「台湾を見逃した」ということである。その原因は明らかで、蔡英文政権の今回の南シナ海仲裁結果に対する回答が北京を「ほぼ満足」させるものであったためである。それはいったいどのような理由だったのだろうか?台北と北京が南シナ海の問題で「対外的に一致する」ことは珍しいが、これが双方の関係を真に雪解けさせる契機となるのだろうか? ◇台北の2度の表明で中国ナショナリズムの標的回避に成功 実際、どのように南シナ海仲裁案に対応するかは、蔡英文政権発足後、最初の対外関係処理の智慧を試される難題でもあった。 蔡英文総統は南シナ海問題を処理する上で4つの要素を考える必要があった。それは、台湾自身の利益だけではなく、米国、中国大陸、東南アジア諸国との関係維持である。言い換えれば、発足したばかりの蔡政権が南シナ海仲裁判決に対する声明を如何に作成するか、その鍵となるのは台湾が如何に自身の立場を明らかにするのかということと同時に、他の三者との関係にも配慮することであった。外交の場において北京の制約を強く受ける台湾は、この点に智慧を絞らざるを得なかった。これに対し、7月12日の仲裁結果が出る前、総統府内では連日レーンと南シナ海の専門家が招集され話し合いが開かれていた。また、机上演習での多くの対策案が作成された。デン・ハーグ常設仲裁裁判所が、台北時間午後5時に仲裁結果を発表後、総統府は迅速にその内容に基づき連夜声明を発表した。その内容は2点に集約される: 1、中華民国は南シナ海の諸島及びその関連海域に対し、国際法及び海洋法上の権利を享有している。 2、仲裁に関連する裁判の判断は、特に太平島への認定に対して、我が南シナ海及びその関連海域の権利に重大な侵害を及ぼし……、我々は一切認めず、今回の仲裁判断は中華民国への法律的拘束力がないことを主張する。 北京は実際台湾が如何に表明するかということに対し関心を抱いていた。ゆえに、台北が「一切認めない」及び「この仲裁判断は法的拘束力を持たない」などの決して軽くない立場を表明した時は、ほっと一息ついて、喜んで受け入れた。 しかし、北京と異なり、裁決が出る前に台北が策定していた文案の中には、「一切認めない」という言葉はなかった。なぜなら裁決が公布される前は、結果が台湾に対して不利なものになるかどうかは全く予想することができなかったからである。よって、最終的に出てきた「一切認めない」という表現は、すべての人々を驚かせ、それは「太平島は島ではない」という予想だにしなかった結果の賜物であった。 裁決に対する台北の表明に関して、実際には総統府の声明発表は、第1歩に過ぎなかった。第2歩は、2日後の7月14日に行政院長の林全が自ら作成した比較的具体的な説明であった。主軸は仲裁案を批判し「3つの不適当」、更に「4つの主張」を行った。 いわゆる「3つの不適当」とは、一つ目に、仲裁裁判所が用いた「中国の台湾当局」(Taiwan_Authority_of_China)という不当な呼称は、中華民国の主権国家としての地位を矮小化していること。二つ目に、仲裁裁判所が勝手に権限を拡大し、仲裁の対象ではなかった太平島の法律地位を「岩」と認定したことは、わが国の権利を大きく損なったこと。三つ目に、審理の過程で台湾は裁判への参加や意見を求められなかったこと。 「4つの主張」に関してポイントとなるのは、「台湾は南シナ海の多角的な紛争解決メカニズムに欠くことのできないメンバーであり、多角的な紛争解決メカニズムに入るべきである」、「我が国は迅速に関係する各方面と多角的な対話を行い、南シナ海での環境保護、科学研究、海上犯罪取締り、人道支援及び災害救助などの非伝統安全保障問題での調整メカニズムを確立すること」である。 ◇蔡英文はなぜ南シナ海U字線に関する発言しないのか? もし12日の晩に総統府の声明が北京との南シナ海問題における立場の近さを表したものであるならば、林全は一方で中台の主張の差異を明らかにした。その4つの主張から見えてくるものは、中国大陸に対する呼びかけであり、それは台湾を対話メカニズムに入れる要求であると理解することができるだろう。 腑に落ちないことは、蔡英文政権が南シナ海の主張をするうえで、大陸との最大の差異が、政権が発表した2つの声明の中にはなかったことである。蔡が省略したものとはまさしく北京が最も気にしている、台湾のU字線の立場である(北京はこれを「九段線」、台北はこれを「十一段線」と呼んでいる)。U字線の起源は第二次世界大戦終結後、当時まだ大陸にあった中華民国政府が1947年に公布した「南海諸島位置図」である。中国共産党が政権を打ち立てた後は、周恩来がベトナムとの関係に基づき、1953年、自発的に「十一段線」のベトナムに近い北部湾、東京湾の二段を取り除いた結果、現在の俗に言う「九段線」が出来上がった。その後北京は「九段線」内の東沙、西沙、中沙、南沙の四大群島を固有の領土だと公に言明した。 馬英九政権時、早くもアメリカは台北に「十一段線」の根拠を明らかにするよう要求しており、これらの線が一体国境線なのか、海の島の帰属線なのか、それともその他の属性の境界線なのかを明確化するよう求めている。しかしながら、ワシントンはこの件に関して馬英九政権にはっきりと断られた。 では実際には、中華民国内政部は1947年にどのような根拠を基にして「南海諸島位置図」を描いたのか、台湾の各档案館に所蔵されている膨大な南海史料からはその答えに関する文献や説明は見つかっていない。当初この図を作成した重要な背景には抗日戦争勝利があり、中華民国には日本撤退後に「新南諸島」接収の計画があった。「南海諸島位置図」内のU字「十一段線」は経緯度がはっきりと示されておらず、もし歴史的経験を軽視した国際法へU字線内すべての島嶼の主権を主張してもその帰属確定は容易ではなく、更にはすべての海域の権利の所属は言うまでもないだろう。加えて日米と国際社会の圧力及び自身の実力を考慮に入れると、蔡英文政権が北京の「九段線」の主張が仲裁裁判所で否決された後、U字線に関する発言をすることが躊躇されたのであろう。 ◇南シナ海裁決 中台関係の脆弱さが露呈 仲裁裁判所判決の際に、中台政権の「デュエット」的現象が見られた。しかしながら、それは民進党政権の南シナ海における政策が北京を「安心」させることを意味するものでは決してない。 台湾は、釣魚台(尖閣諸島)と南シナ海の主権を有していると主張している。しかし前者の口頭のみの主張と異なるは、台湾は今まで太平島(中洲島も含め)を有効管理してきたと言う事実である。南沙最大の天然島嶼を有しているゆえに、台湾の未来はどのようにこの島を経営していくのか、中国とアメリカの先の見えない南シナ海のシーソーゲーム及び東南アジア国家の発展と友好関係が進んでいる中で、一挙手一投足が全局面に影響する「弱者の鍵」の役割をどのように演じるのかということで、非常に多くの操作可能な空間を台湾は確保している。もし将来アメリカがある時太平島の使用を要求してきたら、台湾は許可するだろうか、どのような条件と範囲内において許可するのだろうか、裁量できる幅は決して小さくない。よって台北の戦略としては、「完全にアメリカに傾かない」という条件との交換で、南シナ海に関連する国際対話メカニズムの既定政策へ台北の参加を認めさせるため、北京の譲歩を引き出すことも含まれている。 確かに、台湾にある「中華民国」の存在に関し、中国は一切承認しないという基本的立場を有しており、「主権」にかかわる南シナ海問題において、台北の登場を中南海が承諾し、中国とASEANの南シナ海対話の舞台へ、台湾が上ることは決して容易ではない。しかしながら、台湾を排除し続けることで生じる損得を、北京は慎重に考慮する必要もあるだろう。 一時的に蔡英文政権を見逃した北京が、南シナ海裁決の対応に追われ疲れ果てている時、中国ナショナリズムの怒りの炎が「意外にも」台湾にも及んだ。台湾の俳優のレオン・ダイ(戴立忍)はかつて「ひまわり運動」や香港の「雨傘革命」などの社会運動を支持したために、中国大陸映画の「沒有別的愛」から降板させられ、彼はその事件後お詫びの声明を発表し、さらに「自分は昔から台湾独立分子ではない」と表明させられた。この事件は本来南シナ海裁決案で静まっていた中台関係に、再び齟齬をもたらした。 台湾社会で今年一月の台湾総統選前夜に起こった、台湾出身アイドルが韓国のTV番組で台湾の国旗を振った結果、中国から猛烈なクレームが入り謝罪を強要させられた「周子瑜事件」は記憶に新しい。一部の青陣営と緑陣営の支持者は、「戴立忍事件」の背後には中国ネチズン(ネット市民)が大陸の強大な経済力を梃に、台湾民衆の価値やアイデンティティに対して正しいとは思えない「いじめ」的行為を行っているとした。台湾社会活動家の王奕凱は、フェイスブックで「第1回中国への謝罪大会」を立ち上げ、ユーモアで風刺する方法で大陸のナショナリズムの波に対抗し、連日数万人もの参加を記録した。 南シナ海仲裁案にかかわる国際法の理解と解釈は、複雑な国際関係にまで影響を及ぼし、その背景としての「台頭」する中国は、少しずつ鄧小平が唱えた自らの力を隠し蓄える「韜光養晦」的外交方針から遠ざかり「筋肉を見せる」方針へと動いている。蔡英文新政権は「太平島は島ではない」という驚きから強硬な態度を発表し、それが意外にも台湾が直接中国のナショナリズムの洗礼を受けることを防止した。しかしながら、「戴立忍事件」は中台関係の一時的な「穏やかな」雰囲気を元に戻し、「中国台頭」下の中台関係の脆弱さを露呈したと言える。 ---------------------------------- <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、2014年より国立台湾大学兼任副教授。 ---------------------------------- 【2】SGRAエッセイ#506 ◆葉文昌「蓮舫の二重国籍」 本人が台湾国籍が残っていた事を知らない訳はないと思う。なぜならばそれは帰化した台湾人の中では常識のようなものだから。おそらく知らなかったと茶化していた。帰化した台湾人の多くは、法律的な抜け道をいい事に、台湾国籍を残している。その抜け道とは日本は台湾を国として認めてないので、台湾国籍は日本では意味を持たないという考えだ。でもそれは風見鶏的で潔くない。そのような考えの台湾人をたくさん見てきた。 私の父は帰化しているが、父は潔く台湾国籍は完全に捨てている。私にも早く帰化しなさいと言うが、私は日本ではまだ外国人のままでいたい。みんなと同じになってしまって村民の1人になるのが嫌だから。へそ曲がりなのかな。そして色々異論を言っても「外国人だから」と諦められる。でも正直、帰化しない不都合は多々ある。例えば将来私が退職して日本に住めなくなって帰国したら、それまで収めた年金を定年後はもらえなくなって無収入な老人になる。帰化についてはいつかするかもしれないし、しないかもしれない。でも外国人でありながら日本人に日本の社会に残って欲しいと思われる人でありたいと思って頑張っている。 一方で国籍は私にとって意味を持たない。国籍よりもその社会で生を得ているならその社会に忠誠を尽くすべきだから。野口英世もイチローも本田も、海外で活躍の場を求めて海外で給料をもらっている以上、お金を出してくれている社会に忠誠を尽くすべきである。「日本が好き、日本に忠誠」と言うならば、日本のスポーツの発展のために国へ戻ればいいのである。海外で活躍の場を求めた人より、この日本の地で働いている人の方が、たとえ外国人だとしてもこの地ではより尊いのである。今も海外で活躍している日本人は多くいるし、これからもっと増える。その人達にとっても、忠誠心を示すべきは国籍の国ではなく、生かしてもらっている国であるべきなのだ。そして彼らはその国に尽くしているのでその国では尊い存在であるはずだ。 蓮舫の件は擁護する気はないが、でもひどい二枚舌を持つずるい政治家は他にたくさんいる。日本の社会にとって、プラスになるかならないかが重要だ。日本の社会に風穴を開けて欲しい期待はある。また蓮舫は二重国籍だった訳だが、台湾で暮らした事もない事から、国籍の紙以外は完全に日本人である。それをスパイやら言うのなら、イチローも本田も野口英世も日本が送り込んだスパイになる。 ---------------------------------- <葉 文昌(よう・ぶんしょう)Yeh_Wenchang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Jiang_Jianwei “Midsummer Night’s BBQ”

    ********************************************** SGRAかわらばん638号(2016年9月8日) ********************************************** SGRAエッセイ#504 ◆蒋建偉「真夏の夜のバーベキュー」 「盃盤狼藉」という言葉がある。中国古代の歴史書『史記』の言葉である。場所は田舎の酒宴、男女が入り交じって座り、飲み、酩酊し、遊戯をし――とうとう一面に杯や皿が散らかってしまったさまを言う。今でも大学の近所の居酒屋の座敷などでいくらでも繰り広げられる光景だ。今も昔も人は変わらない。こうして古代の人達も互いに語らい、ストレスを解消したのだろうか。 中国の古代にはもっと風雅な宴もあった。例えば「曲水の宴」――これは、流れる水に盃を流し、目の前を流れる前に詩歌を作らなければならないという遊戯である。詩歌ができなければ、罰としてその盃を飲み干す(なかには酒を飲むために初めから作らない不届者もいたかもしれない)。これは日本にも伝わり、広く行われたらしい。 雅にせよ俗にせよ、古来より人々の集まりに美食と美酒は欠かせない。いや人だけではない。日本の八百万の神も、美食や美酒に集まる。新嘗祭などはいい例だ。新しい収穫を人と神とが分け合い、ともに祝う。宴は神と人、陰と陽、雅と俗――そういったものが交錯し、混じり合い、溶け合う場でもある。 さて、去る7月22日の晩、私は渥美財団ホールの中庭にいた。バーベキューパーティーに参加するためである。集まってきたのは様々なる国籍の友人達――「朋遠方より来たる有り、亦た楽しからずや」なんて言葉もあるけれど、本当に遠方の人が多い。きっと孔子も遠方から来た友人を饗応したに違いない。「酒に量の制限は設けず、乱れない程度に飲んだ」という記録まで残っているけど、遠くから来た友人と一緒に酌み交わす光景を見た弟子がこっそり書き残したのだろう。 蓼科の合宿ですっかり仲良くなったみんなと挨拶を交わしながら、内心「うわぁ、やってしまった」と思った。自分で作った料理やお菓子を持ってきた人もいるのに、手ぶらで来てしまったからだ。「お国自慢料理」を募集していたのをすっかり忘れていたのだ。これは残念至極だった。 みんなの作ってきてくれた料理はどれもおいしかった。韓国の南さんのサラダはそれこそバーベキューの焼き肉にぴったりだったし、アメリカのリンジーさんのラタトゥイユはフランスパンとよくあった。ビカスさんのカレーを食べていると、ネパールを旅したくなった。料理を通じて人と通じ合うこと――そのことは、私に新鮮な驚きを与えてくれた。 私はとにかく好き嫌いが多い。まず肉が苦手、野菜も大人になるまであまり食べられず、子供の頃は海鮮や果物ばかり食べていた。 転機となったのは円覚寺で坐禅を経験した時のことだ。煩悩まみれで訪れた、寒風吹きすさぶ古刹で、ひたすら朝から晩まで坐り続け、心身共に疲れ果てた時、私の頭の中では好きな食べ物が回転寿司のように回り続けた。山を下りてただちに中華料理屋に駆け込んだことは言うまでもない。中国では古来より「民は食をもって天となす」という言葉が伝わっているけれども、私も血は争えなかったらしい。それ以来、食に興味を持った。とはいっても、相変わらず牛肉は食べられないし、口はやっぱり保守的だ。 しかし、遠い国から来た友人たちの心のこもった手料理を食べながら、世界の何処に行っても、きっと大丈夫だという希望が湧いてくる。そうだ、食は天下の人が共に楽しむものなのだ。友がいれば、世界のどこにでも食があるだろうし、食があれば世界のどこの人であれ、友を見つけられるに違いない。 さあ、主役のバーベキューだ。トウモロコシが美味しい。焼きたての貝を取ったら、となりの人は親切に美味しい食べ方を教えてくれた。火の上に並ぶ、多種多様な具材がみんなを結びつけてくれる。美食と美酒、居心地がよい空間――古来より人々を結びつけた宴は、いまでも私たちを結びつけてくれる。そして、未来においても、私たちや人々を結びつけてくれるに違いない。そんなことを思ったバーベキューパーティーであった。 「正月にはきっと、餃子を作ろう」 ―― そう誓いながら帰途に就いた。帰省したときに餃子の皮の作り方を習おう。そして皆に食べてもらいながら、また語り合いたい。 <蒋建偉(しょう・けんい)Jiang_Jianwei> 2016年度渥美奨学生。2013年4月に早稲田大学文学研究科東洋哲学コースに入学、現在は博士論文を執筆中。専門は日本近世思想史、特に水戸学を研究の中心としている。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • SGRA Forum #51 Report

    ********************************************** SGRAかわらばん637号(2016年9月1日) ********************************************** 第51回SGRAフォーラム「今、再び平和について」報告 ◆南基正「フォーラムを終えて」 2016年7月16日(土)の午後、東京国際フォーラムで「今、再び平和について」と題して、第51回SGRAフォーラムが開催された。タイトルには「平和のための東アジア知識人連帯を考える」と副題がつけられた。 「SGRA安全保障と世界平和」チームとしては7回目のフォーラムである。本チームは、2003年、第10回SGRAフォーラムとして「21世紀の世界安全保障と東アジア」をテーマに初めてのフォーラムを開催して以来、「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」(2005年、第16回)、「オリンピックと東アジアの平和繁栄」(2008年、第32回)、「東アジア共同体の現状と展望」(2012年、第41回)、「東アジア軍事同盟の課題と展望」(2012年、第43回、第16回フォーラムのリユニオン)、「紛争の海から平和の海へ」(2014年、第45回)などのテーマでフォーラムを開催してきた。14年間7回のフォーラムを開催したので、2年に一度のペースである。その14年間、東アジアの現実は、「世界平和」の希望と「安全保障」の困難の間を行き来しながら展開してきた。 「安全保障と世界平和」を名前に掲げている当チームとしては、この現実を敏捷に捉えて対応してきたつもりである。ただ、その対応は現実の流れとは逆の方向を向いていた。例えば、東アジア共同体議論が盛り上がり「世界平和」の希望が語られる状況においては、「安全保障」の厳しさを考える必要を訴え、この地域の「安全保障」をめぐる国際環境が不安定化する状況においては、「世界平和」の展望を切り開く可能性を探るような形で、常にバランスを取ることを念頭に置いてきた。今年のテーマは、そのような意図が克明に反映された形になった。 7月のフォーラム開催に向けテーマの調整を始めたのは2月中旬だった。折しも、朝鮮半島の情勢は危機の渦に入りつつあった。1月6日に北朝鮮は4回目の核実験を行い、それから一ヵ月経った2月7日には長距離ロケットを発射した。これを受け、韓国政府は南北協力の象徴である開城工業団地を閉鎖した。この韓国の自虐的措置に触発され、中国を含めて国際社会では、非常に強硬な制裁措置について議論が沸き立ち、北朝鮮はソウルやワシントンへの核攻撃シナリオをちらつかせながら強烈に反発していた。平和の危機に際し、平和の構想力が切に望まれていた。「安全保障と世界平和」チームの名で行われるフォーラムはこのような情勢に対応すべきであると思われた。そして、それを有効に行うためには、この地域に住む知識人としての役割についての自覚が必要であるように思われた。「核とミサイルの国際政治」、「東アジアにおける冷戦研究のあり方」、「東アジア自治体共同体に託す平和の可能性」などのテーマが浮かび上がった。 しかし、まだこの段階では、いずれのテーマも明白な会議の目標がイメージとして描けない状況であった。この時、研究チームの連絡を束ねていた角田英一さん(渥美国際交流財団事務局長)からいただいた一言に触発されて出てきたのが今回のテーマである。角田さんは、昨年の「日本研究」フォーラムの末尾で、私が司会としてのまとめの発言のなかに「東アジアの知識人の連帯」を呼びかけたことを覚えていてくださった。そこで私が提案したのが「今、再び平和について:東アジア平和問題談話会の立ち上げを呼びかける」であった。これは1950年、朝鮮戦争が勃発した状況の下で日本の知識人グループの平和問題談話会が発表して、第3声明として有名になった「三たび平和について」を意識したテーマであった。これについて今西淳子さん(SGRA代表・渥美国際交流財団常務理事)と朴栄濬さん(韓国国防大学校安全保障大学院教授)から大筋で賛同という意見を寄せていただいた。 ただ、「平和問題談話会」をあまり前面に出すと想像力を制限する恐れがある、「呼びかける」ということを掲げると、能力以上の課題を背負うことになるので控えめに調整したほうがいい、との助言があった。非常に適切な助言であり、これを受け入れた形で、最終的に設定されたのが今回のテーマであった。そして、フォーラムでは、「国際政治や安全保障の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起」とすること、「なによりも平和を優先する考え方が各個撃破されている現状を検証する」こと、こうした現状を克服するために「知識人として何ができるのかを議論する」ことを目標として設定した。 フォーラムの内容を構成するにあたっては、2つの方向から問題を提起する必要があった。1つ目は、戦後のアジアにおいて「平和への呼びかけ」が知識人の連帯運動として出てきた先例を確認しておくこと。その例として「平和問題談話会」の経験を東アジアのレベルでいかに生かすことができるか検証する。2つ目は、東アジアの危機の原因を見極め、平和の現状を確認し、そこで知識人が動ける空間がどのように存在しているのか確認しておくことである。私と木宮正史先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)の問題提起は、それぞれこの必要に呼応するものであった。 次に、具体的な事例報告として、日本、中国、台湾、韓国、そしてアセアンにおける「平和」の現状を把握することが必要と思われた。台湾と韓国の現状については、本研究チームの林泉忠さん(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)と朴栄濬さんが担当することになった。中国パートは、本研究チームの李成日さん(中国社会科学院アジア太平洋・グローバル研究院研究員)に中国の研究者の紹介を依頼し、二人が候補者として挙がった。宋均営さん(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)と趙剛さん(中国社会科学院日本研究所副研究員)である。一人は政治学、もう一人は思想史が専門であったが、専門が異なっていた方が相互に補完が可能と思われ、両方に報告をお願いすることにした。アセアンの専門家は今西さんにこのテーマにピッタリな研究者を紹介していただいたのだが、日程を合わせることができず、報告者を出すことはできなかった。 そして、会議の直前に中国からの出席予定者であった趙剛さんが、研究所の事情で来られなくなった。もう一人の中国からの出席者である宋均営さんも連絡がとれにくく、フォーラム参加が危ぶまれたが、出国をわずか1日を残してビザが下りたということで無事に参加していただいた。最後に、日本パートであったが、今西さんから、以前にSGRAフォーラムで講演をお願いした都築勉先生(信州大学経済学部教授)を紹介していただいた。都築先生は、私が博論を書いていた時から書物を通してお世話になっていた先生であったので、是非とも話を聞きたかった。SGRAフォーラムを手伝いながら、得をしたという気持ちになるのは、このように平素会いたかったひとに会えることである。以上が、フォーラム開催の経緯である。 2つの問題提起と4つの報告の内容は、SGRAレポートに纏められる予定であるが、それぞれの国が置かれた状況によって、「平和」の現状と、「何を平和と認識するか」に至るまでの経緯が大きく異なっていることを確認することができた。時に報告者たちの発言は、お互いに衝突し兼ねない際どいところまで及ぶこともあったが、報告者たちの「平和」な性格のおかげで、生産的な議論になった。「平和」の条件は違っても「平和」の観念には、底で通じるものがあることを確認したことは収穫であった。 総合討論で、劉傑さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が強調されたことは、そのことであったように思われる。中国にも、特殊な政治状況から生まれていながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があり、時を超えてこれを学習する人がいるという。劉傑さんの討論を通じて、このフォーラムの意義が新しく浮かび上がり、これからも引き続き、今回の趣旨を継承して続けていくべきであることが分かった。探してみると、この地域には「三たび平和について」だけでなく、多くの平和テキストがありそうである。これから当分、フォーラムでは、東アジアで共有し継承していくべき平和テキストを発掘し、一緒に読んでいきながら、それを今どう生かすべきか、考えてゆきたい。 その際、フォーラムの最後に谷野作太郎先生(元中国大使)から寄せていただいた論評は、議論が宙に浮かないようにフォーラムを進めていくために、肝に命じておくべきである。平和の理想を求めることは、平和でない現実を省みることから始めるべきである。そのような趣旨の論評であったと覚えている。 平和でない現実に身を置きながらも、現実に囲まれず、平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自覚し「平和」のため連帯を目指すのなら、このことから始めるのはどうだろうか、フォーラムを閉じながらそんな思いがした。 フォーラムのプログラムは下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2016/05/SGRA_Forum_51_Programrevised.pdf フォーラムの写真は下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2016/7078/ <南_基正(ナム_キジョン)NAM_Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国ソウル市生まれ。ソウル大学にて国際政治学を学び、2000年に東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究で博士号を取得。2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『基地国家の誕生−日本が戦った朝鮮戦争(韓国文)』、『戦後日本と生活平和主義(編著・韓国文)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』、「日本の反原発運動−起源としてのベトナム反戦運動と生活平和主義の展開(韓国文)」、「戦後日韓関係の展開—冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用」、 “Similar_Conditions,_Differen_Paths?:_Japan`s_Normalization_of_Relations_with_Korea_and_Vietnam”, “The_Reality_of_Military_Base_and_the_Evolution_of_Pacifism:_Japan's_Korean_War_and_Peace”,_などがある。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Gloria Yu Yang “A Nomad’s Tale of Two Cities”

    ********************************************** SGRAかわらばん636号(2016年8月25日) ********************************************** SGRAエッセイ#503(『私の日本留学』シリーズ#4) ◆グロリア・ユー・ヤン「ノマドの二都物語」 「どこから来たどのような人が日曜日朝5時にJRに乗るか。そして何をしにどこに行くのだろう」。 私は本を読むふりをしながら新宿行きの電車を観察していた。手元の本は、井上章一の新書「京都ぎらい」。 これは実に妙な本だ。今まで読んできた京都関連の本は、主に季節、源氏物語、伝統、「和のこころ」をテーマにして、 抹茶、祇園、寺、町屋という「古都コンビニセット」を売り尽くすほかに、「番茶はいかが」や「一見さんお断り」など「イケズ」 のネタを「京特産」に作り上げている。そして、「イケズ」について、ほとんどは「分析」や「批判」と名乗り、実際にはただ礼賛し、また神秘化させるだけだ。その流れの中に、淡々と自分の痛みを取り上げ、鋭く「イケズ」と思われる社会の構造と本質を真剣に深く追求するこの作は、実に異色である。そして、堂々と京都への憧れと大衆メディアの売り上げとの利害関係を明らかにするという勇気も素晴らしい。 「へえ・・・」ある京都人は、微笑みながらさりげなく質問を投げた。「(井上さん)嵯峨に生まれ、宇治に住んでいて、そして桂で働いているに?」嵐山(嵯峨)や桂離宮(桂)など京都の名勝として聞き慣れている人にとって、この質問の意図はさっぱりわからないかもしれないが、京都に住んだことある人は、これはすでに討伐の旗を揚げたことだという。井上さんは本の冒頭に嵯峨の昔話を始め、「洛中洛外」の意味、「洛中」の優越意識と「洛外」への差別などわかりやすく詳しく述べている。ここでは省略するが、一言でいうと、「京都人じゃないくせに、京のことなんか話にならん」ということだ。 去年まで京都で2年間暮らしていた。その前に日本に何度か来て、横浜にも住んだことがあったから、日本に慣れていると自信を持っていた。が、京都では、かなりショックを受けた。食べ物、言葉遣い、風俗習慣、人間関係、すべてが違う。ここは日本じゃない。ここは新しい世界だ。いや、むしろ本に載ってない昔のままかもしれない。京町屋のおとなしい出格子から、細く暗く奥深い裏にイケズのビッグボスが待っている恐怖がうすうす透けて光っている。 おもてなしとイケズのズレは、京都の特産ではない。商品として造られた見せ場としての観光空間が地元の社会関係の現場である生活空間と一致しないことは、世界中で繁栄している観光地の共通点である。表と裏の二重構造も、あらゆる事物の中に存在する。例えば、中世に、日本寺院建築は細長の部材でも大きな屋根を支えられるようになった。その秘密は、屋根の裏に桔木を入れ、それで屋根の重量を分散する野小屋という構造だ。目に見えないが、屋根の尾垂木の裏側に釘痕があることから、裏に桔木が繋がっていることがわかる。同じように、いかに錯綜しても表と裏は必ずどこかでつながっている。表から裏への通り庭を見通すのは、研究者の訓練と楽しみだ。 自分の研究と同じ熱情で、先行研究の通読(イケズ文学と京大怠け者たち)、事例の聞き取り(噂の紅白歌合戦)、そしてイケズの路上観察など様々な試みを行ない、京都の社会と文化の暗号を解読しようと日々努力した。結論から言うと、私は京都を知り尽くしたのではなく、歴史学者を目指している私は、京都からいくつか重要なインスピレーションをもらった。一つだけ例をあげる。京都の街(観光地区以外)に個人の八百屋や定食屋はコンビニやチェーン店に完勝するぐらい点在している。お店の営業は儲けるよりただ永遠に続くことを目標としている。通っている常連客は店主と会話を弾ませながら料理やコーヒーを味わい、一緒に「時間」を過ごすのを目的としている。このようにして何十年間かが経ち、付き合いが成り立つ。世の流行に抵抗してでも個人のこだわりとお付き合いを優先する町だ。現在の自分を常に歴史の流れに置いていくという歴史学の感覚は、京都において日常生活のセンスだ。 だんだん見えてきて日々も楽しくなった。歴史的な考え方、素朴な生き方、地味なファッション、安くて美味しい食べ物。鴨川。下鴨神社の納涼祭。賀茂神社。雨の貴船。山紫水明。朝茶のお稽古。霧が大文字山に降りてきた出町柳橋の朝。やっと「住めば都」と感じてきて、「古都風月」の連載が取れるぐらいネタを持った時、「東下り」することになった。 井上さんの嵯峨話が示すように、京都人は土地に対して強い粘着力・執着心を持っている。高い建物がないからか、それとも何百年の家族が多いからかは明白でないが、京都には目に見えない地霊があると思えるぐらい人々がその生まれた土地に縛られている。そのおかげで地元の町内会は元気満々だが、地元以外のところを排斥する傾向も強い。京都対東京、そして洛中対洛外だけではなく、洛中の中にも西陣が中京と対戦している。強い郷土意識の中で育ってきた人は、地元の味が口に合うし、付き合いも優しいし、最も暮らしやすいと感じ、それを世々代々守り続ける。その故、土地柄は人を判断する「型」になる。逆に土地の「型」に嵌られない「よそさん」は、浮草のように受け入れられない。京都で最初に聞かれた質問は、「どこにお住まいですか」。二番目は、「どちらから来ましたか」。これは単なる雑談ではなく、この人の「型」を探り出す投げ石だ。 だから京都を去ることにした。私の郷土意識は極めて薄いからだ。小さい頃から中国の南北を転々として暮らし、大学で上京し卒業してからアメリカに留学、そこで日本語を習い、また日本にきた。海外留学の十年間、ちょうど中国の社会文化や国際環境が激変した。その結果、時代のエスカレーターに乗れなかった私は、「ふるさと」に戻っても、懐かしいよりむしろ未来の既視感がある。「昭和感覚」の持ち主と思われ「よそさん」扱いされるのも当然だ。 十年間無意識のうちに、中国人というアイデンティティの年輪には、様々な言語、料理のレシピ、風景や異文化の断片が刻まれてきた。そして、過去・現在・未来、生涯にわたって「On_the_Road」になるかもしれない。どこでも「よそさん」でありながら「地元人」でもある。一見すると自由の光を浴びているが、裏に孤独の影も濃い。様々な社会や文化の間に転々とする私が、京都に来てから初めてわかったのは、自分は「ノマド」であることだ。どこでも郷土ではないが、どこでも生き生きできる「ノマド」だ。京都のあらゆる風景と食べ物は懐かしいと思うが、東京に来たことは正解だ。いかに京都を愛しても、「型」で認識が固まっている土地で生きられないからだ。 井上さんは、京都の裏構造を社会学的なアプローチで理解しようとしている。ただの経験談や裏話ではなく、国家の教育系統や地域風土の相違など社会と歴史的な原因を探り、古都の「型」を明らかにする。「京都人じゃない」からこそ、より一層京都のことが見えるというスタンスは素晴らしい。どの社会においても、土地、職業、性別、民族などによって様々な「型」が存在する。社会に対する認識は、「型」の奥深さを追求する縦軸があれば、観察と分析によって「型」と「型」の関連性を引き出す横軸もある。さらに、「型破れ」と「型」以外の存在を理解し受け入れることによって多様性のある社会が成り立つ。多文化を越境する「ノマド」の存在は、このような共生を前提にしている。グローバル化時代にノマドが増え続け、いつか「ノマドの型」も定着するだろう。 日曜日の朝5時にJR電車には、仕事終わりのすっぴんキャバ嬢、目覚めてない部活の高校生、終電を逃した飲み友、カラフルな登山者、わけがわからない人などが乗っている。その人たちを見る度に感動する。どのような人もありのままで電車に乗ってお互いに気にしないことは、実に幸せだ。東京の漠然は自由と寛容を与える。美しくなくてもよい。謎だから楽しい。ここで関西弁や「古都なまり」を持ちながらまた伸び伸び成長できるように頑張ってみたい。それができると思わせるきっかけは、渥美財団とのお付き合いだ。様々なイベンドと活動で、多文化の共生する可能性を示し、ノマド同士の国際コミュニティを作り上げ、そして、広い世界に導いてくださる渥美財団に深く感謝を申し上げる。お陰様で、東京が、心のふるさとのように感じてきた。色々大変お世話になり、ホンマにありがとう! <グロリア・ユー・ヤン(Gloria_Yu_Yang)楊昱> 2015年度渥美奨学生。2006年北京大学卒業。2008年からコロンビア大学大学院美術史博士課程に在籍。近現代日本建築史を専攻。2013年から2015年まで京都工芸繊維大学工芸資料館で客員研究員、2015年から東京大学大学院建築学伊藤研究室に特別研究生として、植民地満洲の建築と都市空間について博士論文を執筆。2017年5月卒業予定。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第21回日比持続可能な共有型成長セミナー (2016年8月26日~27日、フィリピン・ベンゲット州) http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/network/2016/6991/ ●本セミナーは悪天候のため12月に延期されました。 ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • MOON Kyungnam “At the Completion”

    ********************************************** SGRAかわらばん635号(2016年8月18日) ********************************************** SGRAエッセイ#502(『私の日本留学』シリーズ#3) ◆文景楠「修了に際して」 長らく籍をおいていた大学院を、この3月にいよいよ修了することになった。 季節は例年の春爛漫を段々と取り戻しているが、三十路をとっくに過ぎての門出を迎えて目の前をちらつくのは、「どきどき」や「わくわく」ではなく、「遅きに失する」とか「つぶしはもう利かない」といった明るい窓の外の景色とはいささか対照的な言葉だ。 大学を卒業してから博士号を取得するまで十年もの歳月を費やした。このこと自体は、途中従軍による2年間のブランクがあったり、アメリカで研究滞在をする機会があったりしたことを考えれば、さほど遅いほうではない。また、ありがたいことに大学に入学してから大学院を終えるまで複数の奨学財団のお世話になることができたので、同年代の幾人かの友人と比べてはるかに恵まれた学園生活を送ることもできた。修了に際しては期限付きながら常勤の職を得ることもでき、外国人として生活する多くの人々にとって最も大きな在留資格の問題もとりあえずは先送りできたことになる。なによりも、大体において面倒くさがり屋の自分が、真剣に取り組んでみたいと初めて思った「研究」から近いところに、なんとかまだしがみついているのである。 それでも肌寒い気持ちを拭い切れないのは、これから自分を待ち受けている日々が厳しいものであることにうすうす気づいているからだろう。国際競争と少子化の板挟みが、これから大学産業に飛び込もうとする新米研究者にとって所与の現実だからだ。自らの研究領域において高い水準を維持するだけで――それ「だけ」でも大変すぎるぐらいだが――己の存在価値が保証される人は、もうほんの一握りしかいない。 こういったいわゆる「業界の現状」に関しては、解決策を提示したりそれを吟味熟慮したりと、すでに様々な言説が飛び交っている。それらの多くは実際に傾聴に値するものであるし、目に入ってきたときには時間を割いて自ら読むようにもしている。にもかかわらず、ではこういった主題に対して何か自分なりの見方のようなものができてきたかといわれると、残念なぐらいその気配はない。今まで拾い集めてきた様々な意見を(学者らしく)綺麗に分類し整理することならできるかというと、その自信もない。かといって、問題を楽観視しているわけでは決してない。現代という時代や、その最中にいる大学が歴史的に稀に見る悲劇に見舞われているとは思わないが、他の時代と同じぐらい深刻な問題を抱えているという点は、さすがに認めざるを得ないだろう。だとしたら、これはちょっとした自己欺瞞ということになるのだろうか。 こうした状態から脱し、なんとか前に進もうとする自分の足を毎回からめとってしまうのは、現段階で問題を整理してしまいたいとする焦燥にどうしても抗いたくなるぼんやりとした気持ちだ。問題をさばこうとせず、そわそわしながらその前に立ちすくむというのは、場合によっては(はっきりした理由もなく単に)不安を不安がるのと同じぐらい不毛に映る。それを知りながらも一歩を踏み出せずにいるのは、自分が無理をして吐き出してはすぐにもみ消してしまう言葉が、いまひとつ自分の「実感」といえるものを捉えていないということに気づいているからなのだと思う。 こういった語り得ないものにこだわるのは、はっきりいって生産的ではない。それでも、博士論文を書くという、実感をすくい取るといったことから最も遠く離れた理詰めの作業を終えて社会に出て行くことになった今、自分はテキストの外にあるもの、記号で埋めつくされた議論に入ってこられないものに敢えてこだわりたいと望んでいる。綺麗な筋道を提示したり、論敵を打ち負かしたりするための議論は、当然それ自体として価値あるものだし、今後自分が書いていく文章の多くはそのようなものになっていくだろう。しかし、形式的な議論に終始してしまう性分だからこそ、そして、それがある意味で強く奨励される環境にいるからこそ、「問題と解決」といった図式の周りをうごめいている何かの存在を絶えず視野に収めることの重要性をここで自分に喚起しておきたい。 いうまでもなく、ここで記したことは大学やアジアの未来といったことに関して何らかの示唆を与えるものではない。そもそも、目新しい主張など何も含まれてはいない。しかし、ありふれた言葉を他でもないこの瞬間にこの場所でとある人物が発することに特別の意味があるのなら、この舌足らずのつぶやきは、これから自分が住まう社会ときちんと関わっていくという約束を己に課すことにはなると思う。それが実際有意味なものであったことを示すのは、まさにこれからの仕事となるだろうが。(2016年3月記) <文景楠(ムン・キョンナミ)MOON_Kyungnam> 2015年度渥美奨学生。2016年3月に東京大学で博士号を取得し、現在は同大学助教。専門は古代ギリシア哲学。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第21回日比持続可能な共有型成長セミナー (2016年8月26日~27日、フィリピン・ベンゲット州) http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/network/2016/6991/ ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Xie Zhihai “Weight of Selection”

    ********************************************** SGRAかわらばん634号(2016年8月11日) ********************************************** SGRAエッセイ#501 ◆謝志海「選択の重み」 実を言うと、私はつい最近まで物事を選択するという事について深く考えることは無かった。何か選択しなければならない時、単純にベストと思える物を選んできた。何も考えずにその時の気分で選んだことも多々ある。しかしながら、今の私があるのは、そうした選択の結果であろう。そう思うと、選択することの重みをひしひしと感じる。 なぜこうも「選択」という事について考えさせられたのか?答えは簡単、先日の英国の国民投票によるEU離脱の是非を問う政治イベントだ。離脱51.9%残留48.1%の僅差で、離脱派が勝利を収めた。この国民投票については前々から知ってはいたが、実際の投票日が来るのは思いの外、早かった。投票日の前日になっても、正直なところ「イギリスは本当にこの大事な事項を国民投票で決めるのか」と実感がわかなかった。まあ私に投票権があるわけでもない。結局のところは「残留」なのだろうなとも思っていた。ところが、蓋を開けて見れば「離脱」だった。 以来、イギリスとEUだけでなく世界がざわついている。この結果に一番動揺しているのは投票した張本人たち、イギリス国民に違いない。離脱に投票した人からも、国民投票をやり直したいという意見までも多数あったそうだ。離脱か残留か、黒か白かのシンプルな問い。投票前の離脱を掲げる街のムードに押され離脱に投票してしまい、後悔している人も多かったとか。重大なことに対してこそ往々にして冷静さを失う。なんだか私も経験がありそうだ。 ではどうすれば選択上手になれるのか?コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授が教える「選択の科学」に答えがあるかもしれない。日本でもNHKで「コロンビア白熱教室」と題し、教授の講義が放送されたので、記憶に新しい方もいらっしゃるだろう。この講義では直接的に「賢い選択をするには」ということは問題提起されてはいないが、こういった、「選択すること」について集中して考えることこそが、冷静に選択し、選んだものに後悔しないことにつながると思う。本来は選択できるということはいいことなのだ。選択の余地なく物事に従うよりずっといい。 しかし、選択肢の多い民主主義社会ではこの有り難みが薄れてきているのだろうか、などと今回の英国国民投票を見ていると感じてしまう。アイエンガー教授は講義の中で「選択日記」をつけることを薦めていた。確かに、今日私は◯◯個の中からAを選んだなどと小さなことまで記載してみれば、自分を客観的に見ることができるかもしれない。もしイギリス国民が、投票日よりも前からこの選択日記をつけていたら、結果は変わっていたかもしれないなどと想像してしまう。 日本では、先日参議院選挙があり、初めて18歳に選挙権が与えられた。18-19歳の投票率は45.45%で全体の投票率の54.70%よりも下回る結果となった。投票という初めての経験をした45.45%に該当する人たちの選択を支持したい。わざわざ投票所まで足を運んだのだから。そしてこの数字が今後も伸び続けることに期待する。 さて、今年はもう一つ、有権者でない人までもが注目する選挙が残っている。アメリカ大統領選だ。大統領となる人によって世界の歴史が変わりかねないことなので、関心の高さもひとしおだ。もっとも、投票する権利を持っているアメリカ国民は、自分が選ぶ1票で世界の歴史が変わってしまうと考えるよりは、自分の国、暮らしにふさわしいと思う人に投票するのだろうが。しかし、大統領を国民投票で選ぶといった4年に一度の政治イベントに悔いのない1票を投じるためには、やはり日々の選択を意識することだろう。 私には選挙に投票に行くという機会が無いが、今回のエッセイは「選択」することについて、「選挙の投票」を例に挙げて書いてみた。選挙権のある人たちは投票したら終わりではなく、投票後も引き続き日々の自分が選んだ事を意識して暮らして欲しい。私も実は、世界を揺るがした英国国民投票の結果を機に、何かを選ぶときに、選ぶ事をより一層意識するようになった。選んだ後も、それが正しかったのか振り返る事にしている。そして、後悔なく少しでも精進できる日々を送れるように心がけている。 <謝志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第21回日比持続可能な共有型成長セミナー (2016年8月26日~27日、フィリピン・ベンゲット州) http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/network/2016/6991/ ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Maquito “Manila Report 2016 Summer: Hibiya Park Where Peace Resides”

    ********************************************** SGRAかわらばん633号(2016年8月4日) ********************************************** SGRAエッセイ#500 ◆マックス・マキト「マニラ・レポート2016年夏:平和の宿る日比谷公園」 最近、私にとって日比谷公園が特別な場所になりつつある。「日比谷」の由来は日比(日本・フィリピン)の両国に関係があるかどうか調べたくなったほどだ。残念ながら日比谷という地名は日本とフィリピンの2ヵ国とは関係ないことがわかった。でも、実際、日比谷公園は日比関係と深い縁がある。 日比谷公園には、日本と縁があった2人のフィリピンの偉人の石碑が置かれている。フィリピンの歴史では、2人とも平和に大きく貢献した人物である。 1人はフィリピンの国民的英雄ホセ・リザール(1861年ー1896年)である。スペイン統治時代末期に生きた才能溢れるエリートで、スペイン帝国の支配から母国を解放するために出版や弁論を通じて国民に呼びかけ、フィリピンの独立をめざした。暴力の道ではなく平和的な手段による解決を、独立運動の同志に訴えた。 リザールはフィリピン独立を働きかけるためにスペインへ旅立った。旅の途中で、横浜に立ち寄って、1888年2月28日から4月13日まで1ヶ月半滞在した。リザールは日本の風景の美しさや日本人の勤勉さや清潔感などに魅了された。そして、武士の娘と恋に落ちて、日本に住むことを真剣に考えたそうである。苦悩の末、母国での独立運動を選び、日本には二度と来ることはなかった。スペインから帰国後、スペイン当局の軍事裁判で反乱者として裁かれ、マニラ湾の沿岸で処刑された。そのあと、暴力的な反乱が起き、多大な犠牲者を出してフィリピン国として独立を果たしたと思ったら、スペインと米国の2カ国間の交渉で、フィリピンは無念にもまた植民地になってしまった。今度は米国の植民地になったのである。 最近、日比谷公園にもう1人のフィリピンの偉人の石碑が建立された。元フィリピン大統領のエルピディオ・キリノ(1890~1956)である。太平洋戦争末期、マニラ市は熾烈な戦場と化して、東南アジアのベルリン市又はスターリングラード市とも例えられるほどの甚大な被害を被った。その狂気の戦闘の中で、キリノ上院議員は、夫人と子供3人が日本兵により殺害されるという深い傷い、日本を決して許さないと心に誓った。戦後、大統領になった時、マニラ市で収監された100人以上の日本人戦犯の運命が彼の手に任されることになった。当時はまだ、フィリピン人の傷が深く残り反日感情が強く、次の大統領選挙に再選を期する時期でもあったのだが、キリノ大統領は意外な決断を下した。日本人戦犯の釈放である。この決定のため、キリノは次の大統領選で敗れたが、憎しみの連鎖からフィリピン国民が立ち直るように訴えた。 リザールの石碑は「日本人有志などの尽力により、1961年6月19日に設置されたもの」である。日本国外務省によると、キリノの「顕彰碑は,1953年7月にキリノ大統領(当時)に感謝する「国民感謝大会」が開催された日比谷公会堂の近くに,在京フィリピン大使館が建立」したものである。 リザールとキリノの平和の訴えはフィリピンが外国の圧倒的な力により植民地化されている中から生まれたのである。平和的な道は弱いものだけが選ぶのであろうか。暴力で事態を抑えようとする、寛大さに欠ける強者がいるかぎり、紛争は永遠に続くだろう。 残念ながら、今、東アジアでは、領土を巡る争いの風が再び吹き始めている。憎い敵を許すキリノと非暴力的な道を選んだリザール、平和を導く彼らの訴えは、今も価値を失うことはない。日比谷公園から吹いてくる風がささやいている。そのささやきが聞こえる人がいるだろうか。1人でもいれば、話し合いたい。そのささやきを叫びにするために。 <マックス_マキト☆Max_Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表。フィリピン大学機械工学部学士、Center_for_Research_and_Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第21回日比持続可能な共有型成長セミナー (2016年8月26日~27日、フィリピン・ベンゲット州) http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/network/2016/6991/ ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Giglio “The Mystique of Encounters with Others, and the Sacredness of Others”

    **************************************************************************************** SGRAかわらばん630号(2016年7月28日) 【1】エッセイ:ジッリォ「他者との出会いの神秘性、他者そのものの神聖性」 【2】新刊紹介:シッケタンツ「堕落と復興の近代中国仏教」 **************************************************************************************** 【1】SGRAエッセイ#499 ◆エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ「他者との出会いの神秘性、他者そのものの神聖性」 偶然性の様々な力に振り回され、 「不可知なるもの」にやむを得ず 身を委ねばならなくなったその瞬間、 「異文明」という他者への旅は突然 己の中に秘したる「絶対的な他者」への旅に 繋がってゆく。 死の危険と新生の希望のはざまで。。。 筆者の雑感より (フランシスコ・ザビエル筆『日が昇る地より―東洋からの手紙』読書日記、Torino_2007年9月) この10年は、イタリアとキリスト教文化から、自分の人類論的なあり様を乗り越えようとして、日本と仏教学という「他者」への旅に明け暮れた。その中、逆に自分の「西洋性」と「キリスト教性」と強くぶつかったこともあった。また、本来の自分とは根源的に異なった様々な「人類」の友に出会うこともできた。お陰で辿り着いた考察の一つはタイトルの通り、「他者との出会いの神秘性」と「他者そのものの神聖性」である。その体験は、自分の中で具体的にどのような形をとってきているのか、これから手短に説明したい。 「人類」はたった一つだというわけではない。様々な「人類」があり、そしてそれらが皆、その人類論的なあり様および心理構造(ラ:forma_mentis)が異なっている。 まず「理性」という要素に焦点を当てたい。 「理性」とは、「普遍的な妥当性」を持とうとして、原始的な混同と不安から抜け出すための、様々な「決まり」によって建てられた「心理的な設備」「防衛装置」のような仕組みである。 「理性」はその伝統的な定義の通り、なるべく多くの人々が分かち合えるように、「無矛盾律」と「同一原理」(AはAでないものではない)によってものごとの「意味」(使用法)を厳格に限定しコントロールしようとする仕組みである。「理性」が混同と不安の次元から抜け出すための、様々な「決まり」によって建てられた「心理的な設備」のような仕組みであるならば、たった一つの「人類」や文明の専有物ではなく、世界には特定の文明―例えば西洋文明―によって規定されたたった一つの「理性」しか存在しないわけでもあるまい。どの「人類」や文明にもそれぞれの「理性」の設備が存在している。要するに、「理性」は「普遍的」というよりも、「多様的」である。 となれば、「理性」という背景をどの「人類」や文明にも広げたことで、大変開放的な世界観が開かれたとも言えるが、同時に「恐るべき」背景も開かれていく。 特定の文明の中でしか通用しないはずの、己の文化環境から受け継いだ数々の「決まり」のような「心理的な設備」としての「理性」は、「異文明」や「異文化」すなわち広義でいう「他者」を相手にすると、完全に機能しなくなったりもする。「異文明」や「異文化」という「他者」の前では、自分のどの「カテゴリー」や「解釈」の試みや「理解」も皆当てはまらず、自分が「人」という存在と「コミュニケーション」という手段について知っていたことのすべてが、必然的に滑落してしまう。それによって「異文明」と「異文化」という「他者」は大変「非理性的」で「自己同一性」にも欠けた「矛盾」だらけの存在に見えてくるし、その出会いは自分の持っていた「あらゆる基準の喪失」をも意味するであろう。その上、「前理性的な次元」(「理性」という心の部分より深い部分)の混沌と不安へと再び繋がり得るとも言える。 「前理性的な次元」とは、心理学では我々人間の最も奥深いところに潜んでいる「狂気」や、我々の心の最も奥深いところを住まいとしている「自己でない他者」、古代ギリシアでは「善」「悪」「正義」「不正義」などをすべて混同した形で含む「神々の世界」、唯一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)では「善」と「悪」などを超越する「神様の世界」、仏教ではあらゆる「分別」が絶せられていく「仏の世界」、文化人類学と宗教史では「人間世界」(「理性」)から離れていたはずの「神聖性の次元」などと、様々な名前で呼ばれる。 それは、同じコミュニティーに共通している「理性」という装置を超越しているにもかかわらず、人々を活かし、そしてその個別性をも生み出し続けている命の最も根源的な活動とも呼ぶこともできるだろう。 では、己の「理性」を構成するあらゆる要素と基準を大きく揺れさせることで、「異文明」と「異文化」という「他者」との出会いは、我々を「原始的」で「前理性的」な混沌と不安の次元という原点へと再び立ち帰らせ、我々の心の最も奥深いところに潜んでいる「神聖性の次元」(狂気)というものにも繋げていく。それによって、「他者」との出会いは常に、「人」と解していたあり様の完全なる破壊や「死」を意味するが、同時に「再生」の面に逆転することもできるのではないかと思う。 表面的なレベルでは、自分が「異文明」と「異文化」という「他者」に対して抱いている数々の疑問・不理解・勘違いなどをすべて、相手の「罪」として捉えてしまい、破壊と「死」の段階に留まるが、深いレベルでは、「再生」のプロセスにも繋がるであろう。 しかし、この「再生」は具体的に何によって起動されるのであろうか。「他者」に対する、自分のどの「カテゴリー」と「解釈」と「理解」とが必然的に滑落し失敗する運命にあるならば、「他者」に対するどの把握=コントロールの試みを諦める必要があると、謙虚に自覚しなければならない。この意味で、「再生」のプロセスは、己のすべてが失敗し滑落し脱構築されてしまったところで初めて始まり得るものである。 これが、私の言う「他者との出会いの神秘性」であり、「他者そのものの神聖性」である。 この考察が、我々人間がこれまで経験し、 そしてこれからも経験していくであろう 「異文明」と「異文化」との出会い・ぶつかり合いに際して、 お役に立てればと思いつつ。 <エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ Giglio,_Emanuele_Davide> 渥美国際交流財団2015年度奨学生。トリノ大学外国語学部・東洋言語学科を経て、2008年4月から東京大学大学院インド哲学仏教学研究室に在籍。2012年3月に修士号を取得。現在は博士後期課程に在籍中。身延山大学・東洋文化研究所研究員。 【2】新刊紹介 SGRA「宗教と現代社会」研究チームのエリックさんより、著書をご寄贈いただきましたので紹介します。 ◆エリック・シッケタンツ「堕落と復興の近代中国仏教:日本仏教とのとその歴史像の構築」 我々が知る近代中国仏教の歴史像は、日本人が作ったイメージに過ぎなかった。国際的に活躍する気鋭の研究者が、近代における中国仏教と日本仏教の出会いが生み出した、近代中国仏教の自画像形成の過程を闡明し、アジア仏教史研究の視座とその前提を問い直す。 著者:エリック・シッケタンツ(Erik_Schicketanz) 発行:法蔵館 ISBN:978-4-8318-7709-3 A5 396頁 2016.07 税込5,400円 詳細は下記リンクをご覧ください。 http://www.hozokanshop.com/?ISBN=978-4-8318-7709-3 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第21回日比持続可能な共有型成長セミナー (2016年8月26日~27日、フィリピン・ベンゲット州) http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/network/2016/6991/ ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ <参加申込みは締め切りました> ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2016/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************