渥美国際交流財団 2024年度奨学生 秋季研究報告会


2024年度渥美奨学生による秋季研究報告会が9月27日(土)、鹿島建設の研修施設KX-LAB(東京都豊島区)にて開催された。原田健事務局長の司会のもと、渥美直紀理事長の開会挨拶に続き、各分野で研究を進める奨学生たちが最新の成果を発表した。本年度の報告会では、人文学から社会科学まで幅広い分野から計八名の奨学生が登壇し、研究テーマはオスマン帝国史から現代日本文学、社会福祉実践まで多岐にわたり、多文化的・学際的な視座を提示するものであった。

冒頭では、東京外国語大学の岩田和馬氏が、18世紀オスマン帝国のイスタンブルにおける船着場と同業組合の関係を題材に、都市空間と社会集団の相互規定的構造を解き明かした。物流を担う船着場が単なる経済拠点ではなく、社会的秩序や特権体系を形成する装置として機能していた点は、都市を行為と制度が交差する動的な場として再解釈するものであり、聴衆からも高い関心を集めた。

続いてマレーシア出身のマスニン・ムハッマド・ファリス・シノン・ビン氏が、ボルネオ島サバ州における英語教育の実態を報告した。国の教育政策が一律に適用される中で、教員・教材・設備の不足や社会的格差が生む「現場の現実」を調査し、英語が「特権」ではなく「生存のための言語」として機能している現状を浮かび上がらせた。生徒や教師の声に耳を傾けたフィールド調査から、地域ごとの文脈に即した教育の必要性を具体的に提示した。

三番手に登壇した東京大学の顧嘉晨氏は、明末清初の中国を生きた「遺民」たちを題材に、王夫之、李楷、張斐、そして戴曼公の4人を対象に、王朝崩壊後の知識人たちの思想と生のあり方を再検討した。彼が示したのは、忠臣としての単一のイメージではなく、亡命・隠棲・文化継承・医療実践といった複数の「遺民の顔」であり、歴史を「鏡」として現代のマイノリティやアイデンティティの問題に光を当てる視点であった。

会場の空気が社会学的考察へと移るなか、慶應義塾大学の佐藤祐菜氏が登壇。「『ハーフ・ダブル・ミックス』と『日本人』の境界」と題する研究では、外見や血統によるカテゴリー化の動機と社会的背景を分析し、多様性が可視化される社会でなお維持される「真正な日本人」概念の構築過程を明らかにした。

休憩を挟んだ後半では、まず台湾出身の邱政ホウ氏(東京大学)が登壇し、1930〜40年代の日本と台湾の文学を「転向文学」と「リアリズム」という二つの軸から読み直した。楊逵、張文環、高見順、武田麟太郎、濱田隼雄らの作品を通じ、思想転換の陰に潜む感情の裂け目や、被植民者が抱えるジレンマを丁寧に掬い取る分析は、文学が政治や制度を越えて「人が変わる瞬間」をどう記録するかを示すものであった。

韓国の崔民赫氏(東京大学)は、近代東アジアの政治思想史を舞台に、有賀長雄と兪吉濬の「文明」論を比較。有賀の「智力」と兪の「義気」という対照的概念を手がかりに、知と感情の均衡によって社会を支える思想の在り方を論じた。知識と公共性、倫理と制度という二つの軸を横断しながら、現代にも通じる公共精神の再定義を提示した。

その流れを受けて、関東学院大学の大元慶子氏は、医療ソーシャルワーカー(MSW)を中心とした高次脳機能障害者支援の実装研究を報告した。退院後に支援が途切れやすい現行制度の「狭間」を、社会的処方によって橋渡しする新たなモデルを提案。医療・福祉・就労・地域を横断するネットワークの再設計や、家族負担の軽減策をデータとともに示し、実践と政策をつなぐ発表となった。

最後に登壇した崔高恩氏(東京大学)は、戦後日本語文学における朝鮮表象を「絡み合う戦後(Entangled Postwar)」という視点から読み解いた。松本清張や李恢成、桐野夏生らの作品を通じ、植民地記憶と冷戦構造が複層的に交錯するなかで、一国史的な「戦後」概念を相対化し、文学が示すトランスナショナルな共同性の可能性を論じた。その結語「複雑さを複雑なまま受け入れ その中で共に生きる道を探る」という言葉は、会場全体に静かな余韻を残した。

各発表後には、指導教授の先生方から一人ひとりに対して丁寧なコメントと質問が寄せられ、博士論文完成までに交わされた活発な議論を想起させた。研究の核心や方法論に関する具体的な解説のみならず、研究者として今後どのように社会と関わっていくかという姿勢にまで踏み込む指摘が続き、登壇した奨学生たちはそれぞれの博士論文の意義と方向性をあらためて確認する機会となった。来場した奨学生
やラクーンたちはまた、専門分野を越えた研究者同士、先生方との対話を通じて、自分の研究を異なる角度から見直す契機にもなった。学問の境界を超えて共通する問題意識や視点が共有され、研究を支える誠実さと努力の大切さを再認識する時間となった。

終盤の総括では、苅部直(東京大学教授)、共に渥美国際交流財団理事である劉傑(早稲田大学教授)、施建明(東京理科大学教授)の各氏が登壇し、奨学生たちがそれぞれの方法で「人と社会の関係」を掘り下げた点を高く評価された。今西淳子常務理事、渥美直紀理事長の閉会挨拶で発表会は和やかに締めくくられ、会場には学問を超えた対話と共感の空気が広がった。その場に集ったすべての人々は、渥美財団によって結ばれた縁のもとに集い、国際理解と協働の精神を受け継ぎながら、それぞれの立場から社会へと還元し、新たな価値を創出していくことが期待される。


当日の写真

文責:路 夢瑶(2025年度奨学生)