2017年度渥美奨学生研究報告会




「学問に生きるものは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、自分はここにのちのちまで残るような仕事を達成したという、おそらく生涯に二度とは味わえぬであろうような深い喜びを感じることができる」――マックス・ヴェーバーの名著『職業としての学問』(岩波文庫、尾高邦雄訳)の一節である。まだ研究者を志したばかりの時にこの本を読んだ私は、このくだりに深く感動したのだが、同期諸子の研究発表を拝聴して、その感動が蘇る心地がした。研究分野こそ異なるものの、独自の探究心で学問に没頭していることが、そして学問に対する情熱が、発表の端々から感じられたからである。一年を通じてそれぞれの研究内容について話し合い、交流してきたが、その成果を、凝縮された15分間の発表で堪能できたことは、非常に得がたい体験である。

今西常務理事から事前に、そして片岡達治先生から総括の際に、専門外の人にも「わかりやすく」研究内容を伝える、という御指導を賜った。もとより「わかりやすく」は、苦難に満ちた研究を通じて積み上げた知見を、安直な研究自伝に置き換えることを意味しない。端的にいって学術は難しいのであり、短時間で理解できるものではないのである。両理事が仰る「わかりやすく」とは、聞き手の知的好奇心をくすぐり、聞き手を研究分野の入り口に案内することだと拝察した。

このような通俗性と、研究分野の専門性を発表の形式に撚り合わせるのは、骨の折れる仕事である。自分の研究をわかりやすく発信するには、まずなによりも研究分野について体系的な理解が必要となってくる。このように考えた時、大学院での専門訓練は、通俗性についての思考の基盤を用意するものでもある。研究とは不思議なもので、専門分野に深く入り込んで思索を重ねなくては、一歩退いて研究分野の全体像を観測することは難しい。知識の断片的な集積だけでは決して到達できない境地というものがある。今回の渥美財団での研究発表は、これまでの専門的な思考からひとまず離れ、自分の研究の全体像を虚心に眺める契機を私に与えてくれた。それは同期諸子にとっても同じことと思う。この貴重な場を設けてくださった財団の皆様にはただただ感謝するばかりである。

報告会終了後の交流も楽しいものだった。多分野交流は相互の視野を拡げるとよくいわれるけれども、実のところ、各自の研究の土台がしっかりとしたものでなくては、また他分野の研究に対する畏敬の念がなくては――研究者同士でも役に立つ・役に立たないという価値基準で自他の研究を品定めするこの御時世なのだから――、ぎすぎすした浅薄な会話におちいりやすいものである。専門分野について懇切丁寧に説明してくれるラクーンの皆様にあらためて敬意を表したい。知的なよろこびを共有することも研究の醍醐味、私が大学院の門を叩いた頃に思い描いたアカデミアのイメージは、本文冒頭に引用したヴェーバーが語る孤高の研究者像とあわせて、このような交流が含まれていたのだった。

今回の発表報告会には24期奨学生も参席していた。去年は彼らと同様に、先輩の発表を拝聴する立場だった私(23期)が、今年は発表する立場に回ったわけで、どうやら人間というものは、こういったシチュエーションに時の流れをしみじみと感じるようだ。私個人の感傷はさておき、財団、そしてラクーンメンバーの更なる御発展と御活躍を祈念して結びとしたい。


当日の写真

(文責:宋かん)